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個展タイトル「Love Letter」について

「去年の俺たち、必死で生き抜いてきたよね」6月某日、恋人にふと云われました。

ちょうど10年前の2014年。私は初めてペン画だけの個展を開催しました。久しぶりにできた恋人のためだけの展示にしようと思いました。誰しも新しい人と付き合った当初はそれはそれは燃え上がると思います。私も例に漏れず、付き合いたての日日は裸足のまま自転車に乗ってどこまでも永遠に坂道を駆け抜けていけるようなそんな夢見心地な毎日でした。それと同時に分かってもいたんです。「この気持ちってずっとは続かないな、いつかは落ち着いた関係性に変化していくんだろうな」と。それは悲しくもなんともないことなんだけど、付き合いたてのこのなんでもできてしまいそうな、爆発してしまいそうな熱量を絵に描いて残しておきたいなと思ったんです。

当時、絵は描く行為自体が一番重要で正直描き上がった絵を目の前で捨てられても別になんとも思わないくらい、兎に角描く「工程」を重視していました。絵の具や筆に想いを乗せてキャンバスにぶつけていたんだと思います。なんならその想いというのはほぼ負の感情でした。怒りや悲しみを筆に乗せて思い切り殴っていました。その成れの果てに出来上がった潰れたサウンドバッグみたいな作品なんて誰も興味が湧かないじゃないですか。でも私はその行為を少なくとも大学在学中~卒業して1年と少し、だから5年くらい続けていました。全く意味がないとは思わないけれど誰も幸せになれないオナニーみたいなことをしていることに気づかず、誰かに観てもらうことよりも自分の発散のほうに重きを置いてしまっていたので、その結果にできた副産物みたいな絵はあまり多くの人には観てもらえませんでした。

そんな中、初めて自分以外の人のために絵を描きました。「残しておきたい」と思ってやさしく、丁寧に作品を作る毎日でした。そしたらその個展で人生で初めての出来事が起こったんです。それまでは展示をしても大学の友達とか、家族とか、その+αくらいの身内にしか観てもらえなくて(観に来てくれたのは有難いんだが…笑)でも誰かを想って、作品を残しておきたいと思いながら描いた個展では、私のことを全く知らない人たちが来てくれて、それでいてたくさんの人が観に来てくれてすごいなと思ったんです。それと同時に遅すぎるかもしれないけれど「誰かに絵を観てもらえるってこんなにうれしいことなんだな…!」と初めて感じました。「あそこに描いてあるのは何?」「このモチーフには何か意味があるの?」と色んなを質問されて、応答するのは大変だったけれど「描いた作品に興味を持ってもらえるってこんなに楽しいんだ…!」と初めての感覚に戸惑いながらも悦びも覚えていたような気がします。


そんな体験から10年経ちました。長野で同棲を始めて3年目に突入し、恋人とは確実に付き合った当時の熱量とは違った関係性に変化していると思います。当初に比べたら「熱は冷めた」とか「落ち着いた」とか「お互い大人になった」とか、今のこの感覚をどんな言葉で綴ろうかと考えたけれど一番しっくりくる言葉がありました。「家族」になったんだと思います。


去年一年間、本当に壮絶な一年でした。(詳しくは過去のnoteに書いてあるので探して読んでみてください…笑)本当になにもできなくなってしまって、でもそこから少しずつ、少しずつ時間をかけてやっと日常生活が送れるくらいには回復することができました。苦しかったです、とても苦しかったです。でも状況が改善された今、恋人もまた苦しかったんだなと思えるようになりました。一日中寝たきりのヤツが家にいて、食事の準備も、洗濯も、掃除も。いつ回復するか見込みも立たないヤツ相手に働きながら全てこなして本当に迷惑をかけてしまったと思います。迷惑ついでに書きますが本当に迷惑行為をしてしまうんです私。障害の症状でパニックになると夜中に叫んでしまってご近所に通報されて平謝りだし、もっと酷い時はもうめちゃめちゃに物を壊してしまって直近だと扇風機2台殴って壊しました。あとなんだっけ…テーブルの脚も折ってダメにしちゃったし、思い返すと落ち込んでしまいそうなんでこのへんにしときます…(笑)

そんなことがあった次の日は自己嫌悪で死にたくなるのだけど、そんなとき彼は決まって仕事から帰ると私がうずくまっているベッドに来て「また自己嫌悪になってるんでしょ、昨日のことは仕様がないじゃん。俺は全然大丈夫だよ」と云って抱きしめてくれます。安心します。自分の中にいる自分では制御できない怪物みたいな存在がいてときどきそれが私を飛び越えてその存在に支配されてしまうんです。私だって安らかでいたい、夜中に叫びたくないし物も壊したくない。

それともうひとつ、私は人間社会で生きていくためのモラルとか常識が欠落、というか理解しきれないところがあります。合わせられます、たくさん経験してきたので「こういう場でこういうことは云わないほうがいいんだな」とか「話しすぎてないかな」とか変に思われないようにたくさん学んできたつもりです。でもそれって常に気を張ってる状態なのでとても疲れます。心身ともに疲れすぎてしまったとき「もう無理」ってなって文字通りなにもかも投げ出したくなってしまうこともあります。

「カネコアヤノ」知ってますか?彼女の「追憶」という曲が好きでそのサビに「君はいつも死にたがった私を連れ出してくれたね 君はいつも歌って踊る 晴れた日には特に 二人で外へ」という歌詞があって、まさに私たちのことだなと思ったんです。一日中なにもできずにうずくまってた私に「これからお酒飲みながら少しだけお散歩する?」とか「○○が美味しいらしいから食べに行こうか?」とか、彼は兎に角外へ連れ出してくれました。死にたい気分も紛れてその度に外に出られてよかったと感じました。

つらつら文章を書いて客観的にもこんなに面倒臭い生き物で本当に申し訳なくなります、色色問題がありすぎる…。でも本当に苦しかったとき、寄り添ってくれたどころではなく苦しい思いをしながらでも一緒に生きてくれた恋人に感謝の気持ちを伝えたいんです。伝えてますよ、でもありふれた言葉じゃなく私にしかできない方法で伝えたいなと想ったんです。

彼がいるなら生きてみようかなとう思うし、彼のためになにかしたい。そんなことを考えたとき私にできることなんて絵を描くことくらいしかできないなぁと思ったわけです。だから10年前と同じように、そしておそらく今このときにしか感じられないこんな想いをまた描いて残しておきたいんです。2014年にやった個展のときと想いは変わらず「恋人のためだけの個展」を自分勝手にやりたいんです。「こんなポンコツと一緒にいてくれてありがとう…でも私は生まれてきてよかった、この人生を歩んできてよかったと思えるくらいあなたと一緒にいると幸せだよ!」っていう個展をね(笑)

抱きしめるたびに何かこぼれてしまいそう、君だけにに見て欲しくて描いていくよ。そんな今をラブレターのように残したくて個展のタイトルを「Love Letter」にしました。(なんだこの文章、大丈夫か!?)


ありがとう。
君がいれば、あとはどうだっていいよ。


2024/08/25
ホリウチヒロミ

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