品品喫茶譚 第71回『大阪 梅田 フランドル』
スシローを目指して歩いているときにいつも思うのは、本当にスシローだったか、くら寿司じゃなかったかという疑問である。これは私のように視力が弱く、眼鏡を日常的に使う必要がある人間にとっては、さて欲しい感じの眼鏡のデザインがあったのはzoffだったか、jinsだったか、分からなくなるというのと同じ問題である。答えは、どっちでもいいなのだが、いつもこの問題は頭をもたげる。この問題からは誰も逃れることができない。もっともくら寿司には食べ終わった皿を投入すると遊べるガチャガチャみたいなものがある、という明確な差があるが、次にどちらかの店を目指すころには忘れている。
さて、なぜそんな話題から始まったかというと、つまるところ先日、久しぶりにシルクスクリーン製品を増産するため大阪に行った(私たちには『絶版バッグ』、『初版バッグ』、『重版バッグ』というグッズがあり、このたびそのうちのひとつ、『絶版バッグ』を復刻することとなった)。それに加え、東京で九月中旬に予定している私の十周年記念公演のオフィッシャルグッズ『ノスタルジーですって?』Tシャツを作りにいったのである。これらの商品はなんと手刷りで、一個一個丁寧に作っている。私たちは前述のトートバッグ類をここ数年、何度も大阪に作りに行っているのだが、帰り道にスシローがあり、そこで少し腹ごなしをするということが多かった。果たして今回もそうしようとてくてく歩いていたところ、件の回転寿司店は数日前に閉店していた。そして、そこはくら寿司であった。ああ。
さて「フランドル」という喫茶店は私たちが作業している場所の近くにある喫茶店である。入口の幌にはちゃんとフランドルと書かれているのに、入口扉の横の壁にはフラントルと書かれている。ドルの濁点をトル。
店内に入ると、おっさんが二人静かにモーニングを食していた。テレビでは始まったばかりの甲子園がかかっている。店のママが珈琲を淹れている。球児たちは暑そうだ。スタンドもグラウンドも、観ている私たちもすべてが暑そうだ。実際に私たちは暑い。なんでこんなに今年の夏は暑いのか。心配になってしまう。もちろん皆さんもそうだろう。
店の奥にはゲーム機のテーブルが何台かあり、私たちが座ったすぐ横の個体は脱衣麻雀であった。おしゃんな店内には少し似つかわしくないかもしれないと思ったが、すぐにそんな考えはかき消す。こういう懐の深さこそ喫茶店である。麗しいことなのだ。
モーニングを注文する。モーニングというと大抵、サラダにゆで卵、トースト、そして珈琲って感じのオーソドックススタイルの店が多いが、ここは私たち二人分だろうか、半分に切られたトーストが何枚ものせられた大皿が一つ、ちんまりとしたサラダ小鉢が二つ、そしてゆで卵というなんだか大皿料理じみた内容であった。特に内容は小難しいものではなく、むしろ古き良きスタイルを継承した真っ当なモーニングだが、トースト二人分をどかっと一皿にのせるというイズム(これはもはやイズムである)はコロンブスの卵(というと、少しややこしいが)だった。その、二人分なんだからまとめてどかっと一皿でいっちまったほうが食べる方も楽だし、洗い物も楽そうだ(これは私の感想である)という至極ラフな感じに異常な清々しさがあって、気持ちよかった。まだ喫茶店に驚かせてもらうことがあるというのは本当に嬉しい。近くにはいい感じにちんまりとした商店街もあり、喫茶店も多いようだった。再訪を決め、店を後にする。
灼熱の大阪を歩く。暑いというよりもはや、もさい。刷ったTシャツにドライヤーをし、アイロンをかける。プリントがTシャツに定着する。たたむ。重ねる。しまう。
くら寿司はなくなった。スシローはある。Jinsかzoffかどちらかはある。あるいはどちらもあるだろう。駅地下の中古ギター屋は鉄道模型屋に変わり、フードコートではいつもどこかで見かけるようなファーストフードの洪水。静かなカフェで抹茶のパッフェを食って、人波に流されながら、いつもの電車に乗り、やっぱり夜は暗かった。部屋に帰って、少し濃いめのカルピスを作り、ごくごく飲む。終わりそうにない夏が頼もしく、また少し怖くもある。