No.10【配布前に先取り】役者を70年以上続け、今なお楽しんでいる人の話
こんばんは、天野です。
2024年が始まって早くも1ヶ月以上が経ちました。
遅ればせながら、本年も世田谷十八番をよろしくお願いいたします。
2024年最初に発行する世田谷十八番、ちょうど10号目となります。この記念すべき号に登場してくださる先達は、御年91歳の役者・仲代達矢さん。
詳しいインタビュー内容は、3月末発行予定の紙面にて是非。今回は先読み記事ということでこぼれ話をお届けしますね。
まさかまさかの先達
そもそも「なぜ仲代さんが世田谷十八番に?」そう思いませんか?
思いますよね。私だって最初は信じられませんでしたから。
きっかけは、創刊号で取材した先達の奥様・マリコさん。
いつも世田谷十八番を陰ながら応援してくださっているのですが、ある日「もしよかったら…」と仲代さんとのご縁を繋いでくださいました。
いやはや、驚きました。
仲代さんと奥様の自宅だった稽古場を役者の養成所にした無名塾。この拠点が世田谷区で、無名塾を設立してから40年、ご自宅として居を構えてからだと60年以上が経つのです。
役者一筋で生きてこられた仲代さんの根底にあるもの。それは、戦争を体験した数少ない存在として平和の大切さや命のありがたさを芝居を通して伝えたいという想い。
私たち世田谷十八番にとって大切な節目となる10号に、仲代さんが登場してくださるのは、もはや奇跡であり運命でもあるような気がしてなりませんでした。
インタビューの数日前。今でもご本人の思い入れが最も強い作品の一つであるという『切腹』を観たのですが、これがとにかく素晴らしかった。モノクロの時代劇は苦手だと思い込んでいた自分を心から叱りましたね。
夫にも勧めたら、最初はそんなに乗り気じゃなさそうだったのに、見始めたら止まらなくなって最後まで一気見していました。
物語前半、要領を得ないように「ぅん?」と返答を続ける仲代さん、こと津雲半四郎。大きい目をもっと見開いてとぼけた表情をしているのに、その声は腹にまで響く重低音。その表情と声のギャップが妙に不気味で、ただとぼけているのか、何か考えがあるのか、あるならその企みは何なのか。物語中盤から見えてくる津雲の真意と相まって、ことさら心に残る場面でした。
切腹を観てしばらくの間、話しかけるたびに津雲の声で「ぅん?」と返答してきた夫。
・・・・・。
夫もよほど印象的だったのでしょう。
津雲の強い目力や体の奥まで響くあの声の持ち主を目の前にするのかと思うと、とても不思議な気持ちでした。
ご対面の瞬間
静かな住宅街の中で、一際目を引く煉瓦造りの建物が無名塾。
「ここが、かの有名な無名塾の稽古場かぁ」などと感慨にふけっていると、仲代さんがいらっしゃいました。
まるでピシッと音を立てたかのように、その場の空気が一瞬でものすごくクリアになった感覚、今でも覚えています。そこに佇むだけで空気を一変する力を持つ人が本当にいる。それを実感した、とても貴重な瞬間でした。
私たちが挨拶をすると、とても綺麗な姿勢でお辞儀をしながら仰いました。
「初めまして、仲代達矢です」
その所作のあまりの美しさに、『あぁ…もちろん存じ上げていますとも!』心の中で叫びましたよ。
私が切腹を観たと知ると「それは嬉しい、ありがとうございます」と、まっすぐ目を見て微笑んでくださって。お礼を言いたいのはこちらだし、伝えたいことはたくさんあるのに何も言葉にできませんでした。むしろ、あまりのありがたさに手を合わせて拝みそうになりました。
勝手なイメージで、緊張感を持って接するべき方だと思い込んでいたのですが、そんな様子は微塵もないどころか、とても穏やかなお人柄。目の前にいる仲代さんのつぶらな瞳の奥に、津雲の鋭い眼差しが重なって、夢と現実を行き来しているような感覚に陥りました。
お話を聞くために椅子へと移動する仲代さん。私が想像する90代のイメージを覆す姿勢の良さと、しっかりした足取りでした。
その椅子は、仲代さんが稽古の時にいつも座るというお席。そしてその横には、25年以上前にお亡くなりになった奥様のお席が今でもあります。
「自分が俳優としてやっていけるようになったのは女房のおかげ」
「塾生は皆、大切な家族」
そうお話される優しいお顔を目の当たりにしていると、今自分がここにいるという現実に感謝しかありませんでした。
生き様はどこに表れるか
私が夢と現実のはざまを彷徨いている間にも、インタビューは進みます。
インタビューも後半に差し掛かった頃、私は1つ質問をしました。
仲代さんが様々な役を演じてきた経験や、無名塾で多くの役者さんを育ててきた中で「人の生き様はどういうところに表れると感じているか」
世田谷十八番として多くの先達と会うようになったこともあり、私自身が歩む人生はどういうところに刻まれ表れてくるのか、聞いてみたかったのです。
顔なのか、表情なのか、はたまた佇まいなのか…、様々な想像をしていったわけですが。
答えは、“声”でした。
「声かーーーーーーー!」興奮が漏れないように心の中で叫びつつ、頭の中では津雲の重低音が何度も何度も流れました。
仲代さんは役をもらうと、この役はどの声を基準にしようかと考えるそうです。
低音・中音・高音という大まかな分け方がある中で「この役は基本的に低音で喋ろう」などと決めていく。
昔から「1・声、2・振り、3・姿」とはよく言ったもので、セリフのトーンや喋り方など、どんな音でその役柄を表現するかを毎回考えている、とのことでした。
なんだかとても大切なことを聞けた気がして、心の中で両手を挙げましたよ。でも同時に、今の私が出しているのはどんな声なのだろうと考えさせられました。
声に生き様が刻まれるということは、意識してできることではない。
その答えが持つ意味の深さにハッとさせられた瞬間でもありました。
今は、次の舞台の声を考えている
「役者として初めての先生は、アメリカ映画やヨーロッパ映画」と答えているインタビュー記事を読んだことがありました。侍などの役どころが多いイメージの仲代さんがなぜ外国映画を?と思ったのですが、それも声に関することでした。
当時の日本はどんな役でも地声で演じる役者が多かったけれど、外国の役者は役によって全く違う声で演じている。声を変えて演じていいのだと外国映画
から学んだ仲代さんは、声=音で役を表現することに意識を向けたそうです。
「実は今も、次の舞台の役の声を考えているところでね、それが女性の役なんですよ」
そう言いながら、ふふふと笑みがこぼれます。70年以上続けてきた役者を今もなお楽しむ姿にはもはや神々しさすら感じました。
その舞台は『肝っ玉おっ母とその子どもたち』
以前も上演されたこの舞台が、無名塾と縁の深い能登演劇堂で今年の秋に行われる予定です。
インタビューしたのは昨年の12月。今年の元日に起きた震災でこの演劇堂も被害にあったので、まだ開催できるかどうかはわかりません。でも、その場所で仲代さん主演の舞台が上演されることにはとても大きな意味と意義があるような気がして、個人的な想いではありますが、いつか能登復活の象徴の一つとして上演されることを心から願います。
そうそう、実は仲代さん。生まれ変わったら演歌歌手になりたいそうです。
“声”で聴かせる演歌が昔から好きで、よくテレビで観ている。特に「細川たかし」さんがお好きとのこと。
「これは書かなくていいからね」と仰っていたけれど、逆になかなか聞けなさそうなお話なので書いてしまいました。ごめんなさい。
これだけの地位を築いてもなお謙虚で努力を重ね、過去から現在、未来から来世のことまで楽しく力強くお話してくださる91歳の先達。その背中はあまりにも大きいけれど、同じ時代に生きてその声を聞くことができる私たちはとても幸せだし、だからこそ紡ぎ繋いでいくべきものがあると感じています。
皆様も、紙面を読んで仲代さんの言葉や姿を心に焼き付けてくださったら嬉しいです。
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