中年は睡蓮にカエルを見るか。
伝説などではない。
今となっては語り継がれ、この国でモネの偉大さを象徴する逸話となっただけである。
当時の記憶は定かではない。
かつて睡蓮という作品を拝んだのかも知れないが、その場の質問にそう答えた気もするし、心当たりがないといっても過言ではないのだ。
あやふやに薄れゆく記憶は母親が最後まで証人となってくれていた。
最後まで私を励ましてくれた母親のシワまみれな両手は、今もなお墓の下で祈り続けているのだろうか。
あの日の記憶は真実か捏造か。本当に朧げなものなのだが、そんな事は今となってはどうでも良い。
世の中はその小奇麗で残酷な偶像に惹かれ、その後の4歳児がどうなったかなど知る由もないのである。
私は真偽を確かめようとしなかった。かつて世に期待され、温かく見守られていた有名子役の現在など、知って得する人間などいない。
今年で46歳。一向に水面から出てこないカエルは、あの日とは違う形で池の中へ閉じ篭っている。
当時見たカエルこそが私そのものだったのだ。
何万人と行き交う美術館の中で、何百年という時間を経ても、絶えず留まり続けている奇麗な奇麗な水面の中で。
カエル一匹。
もう水面には、上がれない。
※追伸
ここまで読んでくれてありがとー!
ここは本編に続いたかも知れない、「もしも」の世界、おふざけタイムだよ!
そんな絵の前に坊主が一匹。彼は美術館の支配人にそう言ったそうな。
「これは虫籠ゆんよ。捕まえちゃるけ、はよ水ん中からカエル追い出しね!」
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