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人生が運であると思う理由

自分自身が恵まれた環境に育ってきたことを、最近噛みしめることが多いです。身近な人が苦労した過去や経験、人間関係に囲まれていたことを知ると、なおさら、自分がいかにこれまでぬるま湯に使っていたかがわかります。

1.家庭によって人生は決まる

人の人生には親子関係が大きく影響していると感じます。管理教育、過干渉、必要な投資の出し渋り、根性論による洗脳、十分に話を聞かない、別人格の個体として十分に認識しないなど、本当に色々な原因によって子供が正しく育たなかったり、トラウマになることがあります。

多くの親と私の両親を比較した時に、私の親は子供に一般論や世間体を強制しない親だということを、年々強く感じます。世の中の親、祖父母、親戚は、本当に自分たちの理念や理想を若者に投影し、それに自らの夢や欲望を託す生き物なのだろうと感じます。私は親からこういう道に進めとか、こういう職業につけとかいうことを言われたことが人生で一度もありません。

長男ですが、家を継げとかそういうことを言われたこともありません。子供を持たない選択を告げたときも、意見はされましたが、それを全否定するようなことはありませんでした。職業に活かせない文系の私立大学に莫大なお金を投資してくれて、ニートだった期間に人格否定されたこともありませんでした。投資に関しては、本当に、こんな不良債権の無能にお金をかけてくれたことに驚きを隠せません。

両親は不仲だった時期もあり、それが今の人格形成や、本音で他人と関わろうとしなくなった理由の一つかもしれませんが、それでも、自分にはできないほどの投資、生まれた環境、確実に一般人よりも楽して生き残れるための環境がそこにあったのは事実です。私が親だったら、私みたいに意味もなく投資を無にするような無能に投資したいとは思いません。過去の自分が恥ずかしすぎて、自分みたいな子供を持ちたくないというのも、私がdinksを選んだ理由の一つでもあります。

2.学校という毒素

自分自身のこれまでの人生が、身の程知らずで傲慢で身勝手だったこと、それを今から是正すればいいじゃないかと言われますが、それは私自身の未熟さもありますが、学校という閉鎖・比較空間で優劣意識にさらされていたことによるものも大きいと思っています。生まれて育って学校に行ってという循環がある限り、不毛な虚栄心に毒され、人は無駄な投資や自己陶酔に埋没し、貴重な時間を飛ぶに捨てていくのだろうと思います。

私は最初から人よりも優位な場所にいました。公文式という自学自習の教材を使って就学前に中学校までの勉強を終えており、勉強が芸術やスポーツに比べて費用対効果が高く、自身の付加価値を最大化できることを早期に認識していました。そこから発揮されるパフォーマンスが一時的に高かったこともあり、それを自身の能力や努力の証だと勘違いしていたのです。大学受験で失敗し、打ち砕かれ、ようやく謙虚になれました。

3.懺悔と再生

もちろん、それは私の努力ではなく、紛れもなく、親や祖父母が培った財力による機会投資によるものでした。にもかかわらず、傲ったり見栄や体裁に毒されたりしていったのです。罪深いことです。いかに自分が幸福かを意識せず、感謝することを忘れていた時期がありました。それに気づいて、手遅れになったこともたくさんありますが、何よりも、これからやるべきなのは、生まれた環境に感謝し、それを受けている身として、幸せそうに生き続けることだと思います。

恵まれているから更に努力をするとか、苦労するとか、そういうことをして余裕をなくし、再びイライラしたりストレスをためたりしては、何のためにその土台を用意してくれたかがわからなくなってしまいます。私が親をはじめ、これまで関わってきた人に感謝する最大の手段は、私自身が幸せそうな顔を周りに見せ続けることだと思います。

そういう意識でいると、ヘラヘラしたり不真面目に見えて、人の反感を買うこともありますが、そういうイライラした人たちが獲得できなかった満足のベースを用意してくれたのが私の生まれた環境であり、親や親族の努力なのだと思います。

だから、幸せそうにすることが、それを与えてくれた人がこれまでやってきた価値を認め、感謝を伝えることなのだと思います。プレゼントを貰って恐縮するよりも、思い切り喜んだほうが相手への誠意になることと似ています。思えば、頑張らないことや無理をしないことの大切さも、たくさん周りの大人に教わりました。感謝を行動で示すために、今日も明日もその先もずっとニコニコしていることにします。

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