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歴史に興味がない理由とDINKsになる理由は似ている

大河ドラマに出てくる人物や物語がまったくわからない程度の歴史音痴な私、妻が徳川家康のドラマを見ている横で、自分自身の教養のなさを露呈している。ただ理系出身だから日本史や世界史に関心がないというわけではなく、たとえば、近現代の世界情勢などはしっかりと学生時代に勉強したり、映像を見て考えたりすることもあった。では、なぜ、著しい昔の歴史に関心が持てないのか。それが妻との会話で見えてくる。
 
地理が好きなので、ブラタモリのような番組をよく見る。番組内でも歴史の話題は出てくる。歴史人物の話題が出てくると、まったくわからなくなる。別の番組で、歴史人物について話題になった時、妻がこう話していた。妻は日本史よりも世界史の方が好きで、その理由は、世界史は華やかな印象があるけれど、日本史は戦争や権力争いの話がメインだから、ものによっては楽しめない、世界史の方がきれいなものや芸術的なものが多くて、興味を惹かれる。正確ではないかもしれないが、こんなことを話していた。そして、歴史は勝者の歴史であり、勝者が刻んできたものだとも言っていた。
 
勝者の歴史、戦いの歴史、これを聞いて、私が歴史に無関心な理由が見えてくる。自分と関係ない時代に生きた人間のことをそこまで興味を持って追いかけることができるのは、何かそこに惹かれるものがあるからだ。それは何かと考えたときに、権力や社会的地位の存在が浮かぶ。現代において、会社内人事や政財界のポストに大衆が注目するように、力ある者のドラマに触れることで満足する感情が、人間にはあるのだろう。自分自身の人生と関係ないのに、誰がどんなポストに就いているかとか、大企業の動向、スケールの大きいものの動向にやたら敏感で、それを得意げに語る人は少なくない。あたかも語っている自分もそれの一部であるかのように、どや顔で話す人は何人か記憶している。
 
前置きが長くなったが、私が歴史に興味がない理由はそこにある。偉い人、肩書、強い人、有名な人、知名度、社会的地位…そんなもののほぼすべてに関心と執着がないからだろう。だからスポーツにも興味がない。強さ自体に関心がないし、日本の誇りであるみたいな感情もよくわからない。戦隊シリーズにも興味がなかったし、運動会など勝敗を決めるものに興味がなかったから、部活動に参加することもなかった。あまり、他人を打ち負かしたいとか、勝って認められたい、祝福されたいという気持ちがないのかもしれない。結婚式をしなかったのも、この感情が基本にあるからかもしれない。褒められたい欲求が致命的にない。
 
浪漫を感じるものへの関心のなさが私の方向性を決めているように思える。他人の一喜一憂や自尊心の保護欲求に寄り添えず、軋轢を生んでしまうのも、この気質によるものかもしれない。歴史の好み一つから、色々と考えさせられるし、それが面白いと思う。こんなことを考えているだけでも、頭の中が楽しくなっている。それが私なのだろう。

普通の人間が関心を持つことに関心を持てない。だから自分自身が強制されてきた一般的なレールを再現したくない。自由になった自分、社会のレールから逸脱できた自分がもう一度そこに関わることが怖い。これが私がDINKsである理由の根底にあることは間違いない。

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