
妻が田舎を脱出して自由になるためにやったこと(結婚までの流れ)
地方在住の妻が田舎を脱出して東京での自由な生活を獲得するためにやったことを夫目線で書いています。あくまでも夫目線なので、妻にとっては異なる解釈や印象の出来事・視点があるかもしれません。その際は、妻バージョンの記事でこの記事に書いてあることを「実はこうでした!」と訂正していくことにします。そういうのも面白いかなと思いまして。
1.相手を見つけること
私達は別々の組織で働いていて、偶然、妻が出向で私の会社にくることとなり、そこで同じ仕事を担当していた関係でした。新型コロナウイルス感染症により仕事そのものが減っていたので、自宅待機などもありましたが、同じ仕事をしていて過渡期・変革期ということ、帰り道が同じ方面だったこともあり、次第に意気投合して仲良くなり、飲みに行くことも増えました。当時は二人とも東急田園都市線方面に住んでいたので、缶チューハイを購入し、国道246号線をひたすら歩きながら飲み、互いのこれまでやこれからを語るというスタイルで二人の時間を楽しんでいました。
終電まで歩きまわって、別れる習慣を毎日していると、次第に互いに惹かれ合いましたが、私が妻に相手がいると思っており、思い切って好意を伝えることができなかったことなどがあり、しばらく探り合いでしたが、妻から「どういうつもりなの?」と切り出してくれて、互いの意思を確認し、付き合うに至りました。付き合った翌日の夜には、妻が「もう結婚してもいいと思っている」と言ってくれたので、「いいね」と即答し、結婚が決まりました。付き合って22時間で結婚が決定。
2.今の仕事を退職すること
こうして始まった私たちの結婚計画。妻は地方の会社から出向だったので、その会社を辞めることが一つのミッションでした。田舎の文化に疲弊していたという妻は、ある意味、田舎を脱出するような転機を迎えたわけです。どうやって穏便に済ませるか、行動に移したのは、2年間の出向期間が終わる年度の後半でしたが、両親、身近な人物、職場の管理者という順番にどうやってこの考えを説明するか、ロードマップを作りました。
3.理解者にそれを話すこと
私達のこの計画はなかなか人には明かせませんでした。特に職場。出向の身分で出向会社を退職することは周りが悪く思う場合があります。日本は足を引っ張り合う社会、かつ、前にいた社会は、他人の幸福を妬む人間が多く存在していましたので、この関係の詳細がバレるとロクなことはありません。だから、私もこの会社を辞めることを前提に計画を立てました。婚姻時には二人とも今の会社、元の会社から縁を切った状態にする。これが私たちの想定したゴールです。そうなれば、それを職場の人に打ち明けるわけにはいきません。必ず噂され、邪魔され、無下にされることが見えているからです。
だから、妻の出向仲間だけにこれを打ち明けることとし、他の人には最後まで黙っていることにしました。出向が終わって、全部縁が切れてから、今後も付き合っていくだろう人にだけ打ち明ける。こう方向づけました。両親には早めにこの話をし、結婚を前提に付き合い、これから同棲するという話をし、了承を得てから同居開始。婚前かつ両家の顔合わせ、挨拶もまだでしたが、もう年齢も30だったので、反対されることもありませんでした。
4.双方の両親への挨拶
この了承はそれぞれが自分の親に話を持ち掛けただけだったので、お互い、相手の親に挨拶することを次に済ませました。妻の地元は遠方でしたが、親御さんが東京にくるタイミングがあったので、その時に挨拶を済ませました。今後のことについては段取りを組んでいましたので、雰囲気もよく、良い挨拶ができました。
因みに、肝心の夫婦の方針については、この時点で双方の親に話していました。子供を設けるつもりがないこと、二人で自由な働き方・生き方を目指していること、そんなことを理由も含めて話しました。渋い顔をされる場面もありましたが、夫婦で好きにやっていけばいいと最終的に親も諦めていたようです。
良し悪しですが、特殊性は早めにはっきりさせておくのも手だと思います。子供はまだ?家は持たないの?などと、昭和あるあるなプレッシャーをかけられるのも面倒ですからね。妻側を先に済ませ、私の実家にその半月後に行きました。
5.顔合せ
両家の顔合わせは横浜のなだ万で実施しました。横浜が自分たちがよく散歩したりお酒を飲んだりした場所だったことと、私の実家が神奈川県であること、妻の両親が横浜を気に入っていることなど、条件が重なりました。2時間程度、親同士が対面する座席配置、コロナ対策によりテーブルは4名限度だったので、テーブルを二つに分け、私と妹と妻のテーブルと、両親4名のテーブルにわかれました。
べちゃくちゃ喋って食事をするべきではないという空気もまだまだありましたので、沈黙が多少あっても気まずくならず、終始温和な感じに終わりました。これも双方の両親が協力的だったことによるものです。
6.結婚式はしなかった
妻の両親が離婚していたこともあり、親戚関係が複雑だったこと、私の方の親戚も少なく、すでに祖父母は4名中3名が亡くなり、冠婚葬祭に口を出せる状況にはないことなどもあり、結婚式をしないことに誰一人反対する人はいませんでした。妻も堅苦しい場面で人に気を遣ってしまう性格であり、親孝行でもあるので、親御さんのために無理をしてしまうこと、私は典型的な社会不適合者なので、式典や行事にまったく無頓着なことから、やっても二人が楽しめない、幸福じゃないという話になり、この結論になりました。
7.新生活の準備
私の転職については、親世代が信仰する安定志向と経済性を担保する転職先かつ、激務じゃないところに絞って探しました。私のような事務職をほしがる求人などほぼないので、情報システム担当者の職歴を活用して探していました。14か月くらい転職面接や試験を受けていました。労働に消耗させられていた妻をしばらく休ませたかったので、妻が安心できる所得があることが大前提でしたが、そもそも独身時代の貯金がそれなりにあったので、その心配も不要でした…が、給料が上がって安定しているよ!と言える方が、親世代も黙るので、その方が良いです。
古い世代は仮に条件が良くても、一つのところに勤めあげることを至高としていますし、変化を嫌う傾向がありますから、快く見放されるためにもここは頑張りました。しんどかったですが、会社に妻との関係を知られるくらいなら、このくらいの苦痛は仕方ないと割り切れました。(結果的にこのことが災いし、職場でミスマッチを起こして一時的に体調を崩したりもしましたが)
妻が借りていたマンションに同居していましたので、そこから別の場所に転居。私たちはミニマリスト的な思考なので、いろんな契約や物質に囲まれるのが苦手であり、副業も色々やっているので、ネットが無料のマンションを選びました。浴室乾燥機も重宝していましたが、モルスという小型乾燥機を購入したので、この条件は外しました。見つけたベストな物件に浴室乾燥機がなかったこともきっかけです。浴室乾燥機はちょっと電気代が高い気がしました。未検証です。
8.入籍
結局、いろいろなことが全部片付いてから入籍しましたので、2年間かかりました。付き合って1日で結婚を決め、入籍するまでにそこから731日かかりました。リスクや損失ゼロで結婚するには、これだけの年月がかかることを学びました。子供がいない夫婦なので、冠婚葬祭も今後は一つもなく、妻に精神的負担をかけることももうないと信じています。嫁という意識をまったくもたなくていいのが私の家のメリットなので、本当に、自由に生きてほしいと思います。束縛と抑圧に苦しんだ地方での生活を捨て、東京に来たのですから、気持ちも解放されないと意味がありませんからね。
9.注意点
友達には打ち明けるべきだったかというのは本当に難しいです。東京かつ私の周りには独身者も多く、「結婚報告=自慢」と感じる人もいたからです。子供の写真を年賀状に載せることについてネットで議論があったように、誰もが家庭を持つ時代ではないので、自分たちの身の上を積極的に他人に明かすこと自体がメジャーじゃなくなってきているのかなとも思います。
妻は本来田舎に帰って働くはずの人だったのですが、こうして東京に脱出し、今は自由に生活しています。それに嫉妬する人も実際にいますから、そこも気をつけていました。同じように独身だからこそ仲良しグループのようなものを作っている人たちもいましたから、本当に難しいですね。私なんかは他人の幸福を良くも悪くも自分自身の気持ちと連動させていないので、何とも思いませんが、転職や結婚は本当に嫉妬を受けやすいし、仲良くしているつもりだった友達でも、こちらがちょっとでも違う進路に向かおうとすると、雲行きの怪しい反応をする場合があったり、改めて、友人関係について考えさせられることとなりました。
10.まとめ
今もこれまでも変わりませんが、他人の幸福を純粋に願える人間というのは少ないというのが、今回得た教訓です。私は本当に自由な人生を歩んでいて、一般的な人が大事にする世間体や承認欲求と完全に決別しているので、この生き方を自由で羨ましいと思う人も多い反面、ズルいと妬む人もいることがはっきりとわかりました。
そして日本の気質かもしれませんが、低い方、不幸な方へ引きずり込もうとする負の同調圧力が強いですから、自己開示したときに、一般論や常識を振りかざしてそれを否定してくる人もたくさんいました。ここに書いていることなど、妻でさえも違和感を覚えることが多いでしょうから、それ以外の他人からしたらなおさらでしょう。こうした周囲からの批判・否定的な目線や、マイノリティゆえに誰にも身の上を話したり相談できない孤独に耐えられることが、この変化を無事に完了させたポイントだと思います。
私にベラベラと愚痴や雑談を仕掛けてくる友人たちも、私が自分の話をした瞬間にスルーしたり会話を終わらせようとしたりしてきますから、なかなか難しいところです。
少しでも、同じような境遇の人の役に立てればと思います。