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自分に正直になるシンプルな年末年始

年末年始は帰省もしない。初詣も初売りも行かない。田舎の親戚の家に帰省することもしない。そんな「普通の日本人」とは異なる時間を過ごした。日本において標準とされる「子供を連れて混雑する中、田舎に帰省し、親族たちとともに年明けを過ごす」的なものとは無縁である。

私の実家が神奈川県なので、年始にお昼を食べに訪問したが、いわゆる「年始の挨拶」的な訪問ではなく「まだお節残っているけど来る?」という誘われから始まったものであり、宿泊もせず、特に食事以外何もしていない。もちろん、兄弟姉妹も親戚も一度に集まらず、各自の予定に応じ集まってくる。

特別なことは何もしていないが、特別じゃないことはたくさんしている。普段通りお互い自分の副業を進めたり勉強をしたり、生産活動をしているし、任天堂スイッチのマリオパーティの最新作で遊んでそれを動画に収録したりと、結構遊んでいる。英会話やリスニングのトレーニングも欠かさない。料理も欠かさない。テレビは全く観ていない。

いつもどおり、毎日を丁寧に前に進んでいるだけである。ただ、ここまで長く自宅に滞在するのは稀なので、色々なことをぼーっと考えることや、年末年始ならではのイベントにより考えることがあったので、記録を兼ねて投稿してみようと思う。


1.テンプレ的な帰省をしない

妻は九州出身だが、実家には帰省しない。飛行機が高すぎるというのが表向きな理由だが、私たち夫婦に共通しているのは「混雑に耐えられない」ことと「実家が狭い」ことである。

(1)混雑に耐えられない

妻と私が出会い、生活を始めたのは2020年。2020年といえば都心各所がゴーストタウンで、どこに行くにも閑散としていた時代である。飲みに行ったりはしなかったものの、混雑が無縁の中で外出していたので、混雑していない目的地が私達にとっての「出かける場所」の基本形になっている。

一度は行ってみたいという希望から妻を案内したディズニーランドも競馬場も、閑散としている2022年初頭に行った。結婚前に妻の地元を訪問したのも2021年で、飛行機はガラガラだった。妻は2020年以前の東京を知らないので、2023年辺りから急激に人流が回復してきた東京の人混みに対して苦手意識を持っている。

私も、コロナ前の東京を歩いていたにも関わらず、コロナ社会の閑散とした静かな都会に慣れすぎて、ゴミゴミしている場所が苦手になってしまった。

じゃあ田舎に行けばいいじゃないかという話だが、そうではない。閑散としている無機質な街が好きなのである。それを叶えてくれるのが「都県境」周辺の地域であり、世田谷も同様だ。あと一駅で東京・神奈川といったような地域である。交通が縦横に展開されて便利な半面、適度に自然が多く、高層ビルが密集している感じもなく、観光地もないので、極端な混雑は見られない。何より人間関係がほとんどなく、静かなのだ。

周辺都市はとても住みやすいのである。こんな生活をしていると、地元で十分に楽しめるという感覚が芽生え、閑散期でも旅行に行かなくなる。近所の喫茶店、美術館、図書館で十分に楽しめるし、飲食でさえ、地元に素敵な店がたくさんある(それ以前に外で飲食することも殆どなくなったが)。

昨年「地球の歩き方」の世田谷区版が発行された。読むと、一生かけても回りきれないほどの魅力が世田谷にあることを知る。この素晴らしいインフラを身近に持っていて、わざわざ混雑に巻き込まれて観光地や人間密集地域に出かける必要があるのだろうかと思ってしまう。テーマパークよりも世田谷散歩の方が奥深い。「おでかけは平日の午後や有給取得時に数時間以内でサクッと」が私達の当たり前になってしまったのだ。

(2)帰る家が狭い

おじいちゃん・おばあちゃんの田舎の広い家に親戚が集まるというステレオタイプな「帰省像」がすでに存在しない。共に両親は賃貸物件に住んでおり、親戚の家に見られるような大きな家はすでに存在しない(売却や賃貸として手放している)。親戚内に、訪問しても外泊するスペースがない家しかないのである。

したがって、外泊するならホテルに宿泊する必要がある。そうなれば、わざわざ高額な時期に行く必要はない。私達は子なしで妻は労働をしていないので、用があれば平日に帰省すればいいだけの話なのだ。私も周りの目を気にしない窓際社員なので、平日に有給を取得することはまったく難しくない。正月や盆に帰省する必要は、私達にはまったくないのである。

2.交友関係について

子供がいない私たち夫婦は、30代になり周囲が労働や育児にシフトする中で、交友関係が減ったと感じることが増えていた。特に、恒常的に関わる人やこれまで身近だった人と、話題や行動様式がずれていき、これまでのように関わることが難しいと感じる場面もあった。別にそれで構わないのだが「このままだと夫婦だけの世界になっちゃうね」などと、これからの交友関係を自分たちで新しく発見し、構築する必要があると時々話していた。少なくとも私は、この考えが大きく変わった。それについて記録してみる。

(1)年末年始の連絡

普通を徹底的に逸脱していると書いたが、年賀状はまだ出している。新年の挨拶のためというわけではなく、年賀状を出さないと人と交流することを完全に断ち切ってしまいそうだからである。私の年賀状はあけましておめでとうございます的なことは一切書いておらず、ひたすら自分のライフワークの近況を写真と文字で綴ったものになっている。初めて受け取った人は驚くか戸惑うだろうが、もう10年以上この形式だ。昨年は〇〇箇所や〇〇を中心に街を散策しました的な活動報告になっている。

そんな自己満足の年賀状を送って意味があるの?と問われそうだが、意味がありまくるからやっている。もちろん、自分にとって意味があるということだ。

ごく普通の挨拶しか書いていない年賀状だとまったく人の記憶に残らない。そういうのは嫌なのだ。他人の記憶に残したいというのは、承認欲求的なものではなく、たとえば、何か活動をしている人が私の活動と共通点を感じた際に、連絡してくれる可能性を増やすために受け手の記憶に残したいのである。面白い話や珍しい話があったときに、それを話してみたいとか、声をかけてみたいとか思えるような人間でありたいのだ。

会社労働を脱却するきっかけも、それの積み重ねじゃないかと思っている。99人の人間にオカシな奴だと思われても、1人から「こいつ面白そうだな」と思われればよく、年賀状みたいな手紙を自己開示に活用しない手はないのだ。

年賀状はだいたい10枚出している。年賀状を出しているのは「年賀状でしかつながっていない人」だからであり、電子媒体に移行した人も同様に10人程度いる。その人達にもメールやSNSでメッセージを送っている。送るのは年末。年始だと「あけましておめでとうございます」メッセージになってしまうから、「今年もお世話になりました」という意味のメッセージとして、12月30日に送るようにしている。相手の健康や幸福を願いつつ、自分の近況は必ず書く。うざいほどに具体的に書くのだ。具体的に書かないと響かない。恥や相手から揶揄を受ける可能性は捨てるのだ。もちろん、自分たちが子なし主義であることも隠さない。否定されても、否定された事自体が価値のある物語なのだ。

(2)誰に送っているの?

よくあるのは「今関わっている人」に送るパターンだろう。しかし私は変わり者で浮いているので、リアルタイムで所属している場所には仲間がいない。嘗て在籍していた会社を同様に辞めた人間や辞めさせられた人、短期で在籍していた人、死ぬほど世話になった公文式教室の先生、無職時代の友人、学生時代の友人などが多い。全員に共通しているのが、日常的に会わない相手ということだ。年始に顔を合わせる人間には送らない。離れてからが交友関係の本編のはじまりというパターンがほぼ100%なのだ。

(3)そこから感じたもの

メールやSNSで送ったメッセージ。面倒くさそうに定型文で返ってくることもあるが、6割程度が同量・同質の長文で返ってきたのである。かなり突っ込んだ内容を連ねる人もいた。中には数年ぶりに私をふと思い出してメールをくれた人もいた。別にその人とは常に会うわけでもなく、この数年間でゆっくり話したのは2回だけである。それでも「〇〇さんにふと連絡してみたくなり」と書かれており、それがとても嬉しかったのだ。他にも「こっちもちょうど送ろうとしていた」的なことを言ってくる人もいる。それがとても嬉しいのである。

毎日顔を合わせたり何かに一緒に取り組んだりするのが友達だとは思わない。集団生活をあれだけ強いられてきた学生時代の友人がほとんど皆無なのがそれを象徴している。私にとっての友人・知人は、普通と違うのだろう。一生会えなくてもどこかで相手の幸福を願うことができる関係こそが私にとっての「友達」なのだ。

その人の地元を散策した時、別に会わなくても「元気にしているかな」と思ったり、「この前〇〇を歩いたよ」と連絡できるだけで十分なのだ。何時間もお酒を飲んで話したり、一緒に何かに向けて協働する必要はない。

蒸発してしまい、生きているかもわからない一番の友人も「この友人にいつか笑顔で再会するためにも、今日を大事に生きよう」と私に日々思わせてくれるのだ。言葉を交わし、顔を見なくても、ちょっと頭の片隅に保存しておけるような関係が、私にとっての友人だ。

(4)いわゆる「友達」なんていらなかった

標準的な考えでは、定期的に顔を合わせたり連絡を取り続けたりするのが友達の定義かもしれない。飲みに行ったり、遊びに行ったり、一緒に旅行したりなど、妻の田舎では上記のような濃い交流が家庭を持ってからも続いていくという。そういうのが「友達」なのだという考えはとても広く共有されている。

しかし、私は今回、知人との年末の連絡を経験して、交友関係はこの程度で十分だと心底思った。一緒に出かけたり長時間顔を合わせて飲む必要なんてなく、時々思い出して、相手の幸福を願う程度の関係があれば、孤独感など全然ないし、特に誰かに会いたいとか、大人数で盛り上がりたいという気持ちもないのだと分かった。

人混みの中で初日の出やカウントダウンに繰り出すことはもちろんのこと、友人知人と飲みに行くことも本当は欲しておらず、自宅で妻と一緒の空間で、自分のペースで家事、勉強や創作活動などの日課を消化するだけで十分であると、本当に思う。

親戚の集まりでさえも、特に自分には不要だと思っているし、両親や兄弟姉妹や叔母とも、時々ちょっと会って近況を話して、困った時に助け合える関係があれば十分だと思っている。

それは私が結婚しており、妻という絶対的な安全基地があるからかもしれない。とも思う反面、学生時代もワイワイやるよりも黙々と作業をすることを好んでいたようにも思えるから、自分自身の本質に戻っただけかもしれない。そもそも、私は人間の人間臭い部分が苦手だから、深入りしない(深煎りしない)人間関係を楽しむ程度でいいのかなとも思う。

3.老後の先取り

このように、普通の30代と異なる年末年始を思い切り楽しんでいる。年末年始自体を楽しんでいるというより、「労働しない」「人のいない街での」「静かな」時間を楽しんでいる。すでに休暇7日目。ストレスは1秒も感じなかった。27日に食料品の買い物をし、お雑煮・漬物・すき焼きなどの準備のために食材を冷凍パックして以来、買い物にも出ていない。お金も全然使わない長期休暇。退屈は1秒もないし、まだまだ書きたい記事も編集したい動画も読みたい参考書も残っている。

今年のお雑煮。毎年作るのが楽しい。

元日に少しだけ散歩すると、私達が出会った2020年4月のように人がいなかった。車の通りも、一体何があったんだというレベルに少ない。天国のような空間がそこにあった。ここを歩くだけで120点満点の贅沢なのだ。人に注目され、賑わう場所よりも、何倍も充足感を獲得する場である。

隣町の調布市。ただ街道を散歩するだけ。

子供を連れて実家に帰省することもない。親戚に子供もいないので「お年玉」という言葉を聴くこともない。何か正月行事をすることもない。お節料理も実家に顔を出した際に分けてもらった以外は、買ったり食べたりしていない。「普通の週末」が拡大しただけの年末年始が過ぎていく。本当ならば、休日や平日の区別も必要ない。平日に自由になればいいだけだからだ。そもそも休日に休む必要も私達にはなかったのである。こう考えれば、私達が今経験しているのは、忙しい人生を送っている人の老後である。自由時間を行使できるという意味では。それをアレンジする能力を試されている。今のところ、休みが長すぎて退屈だということはないので、力不足ではなさそうだ。

みんなと同じことをやることで安心感や満足感を覚える人が大半な社会で、尽く人と違う生活や人生を選択することで、上記のような「閑散とした空間」を多く獲得でき、ラッキーだなと感じることが増えている。その喜びが更に幸運を呼んでいるように思えるのだ。

4.何が幸福か本音で考える

人と深く関わらないことにより幸福な時間を過ごすことができている。健常者が見たら必死に否定してきそうな考えであるが、この年末年始で感じたことのすべてがこれである。

無縁になるのではなく、返事を気にしない温度感の手紙を送る程度の関係にとどめておき、それ以外の時間はひたすら静かに自分自身と向き合い、自分自身がやりたいことを黙々とやる。それだけで、幸福など簡単に獲得できるのだと学んだ。

逆に、今何か不満や不幸があるのなら、手に入れるべきものではなく、捨てるべきものが多すぎるだけなのだ。必要なのはたくさんのものを手に入れることではない。不要なものを捨てることなのだと。

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