DINKs夫が結婚できた理由
私が結婚できたのは、妻が私を好きになってくれたからです。妻の選択には本当に感謝しています。
ただ、ここに色々と書いている通り、私は典型的な社会不適合者であり、いわゆる変わり者。結婚なんてできるはずがないだろうと思っていました。少なくとも学生時代は。そして成人以降も、妻と出会うまでは、まあ自分は結婚できないだろうな、それでもそこそこ人生楽しく生きれればいいや。程度に考えていました。
その時に自分が結婚できない人間だと思っていたのは、半分正しくて、半分間違いだと、今では思います。なぜなら、その時の「結婚できる」の判断基準が、ものすごいステレオタイプな価値観に洗脳されていると思ったからです。それは、私が結婚できた理由を考えると、本当によくわかります。
1.結婚に必勝法はない
「婚活」みたいなものが流行りだすと、必ず「〇〇な人は結婚できる/できない」のような公式が出来上がります。それ自体を否定するわけではないですが、結婚できる人に絶対的に共通している何かがあると考えるのは、ちょっと短絡的すぎないかと思うわけです。
なぜなら、何か一定の条件を満たせば結婚できるのであれば、たとえば学校や会社にイヤイヤ適合するように、ほとんどの人が自分を矯正して「結婚できる状態」にしそうだからです。義務に弱い日本人であればなおさら、ある種の条件を提示されれば、それに迎合する、迎合しないと不安になる人が続出すると思うのです。
もちろん、容姿や収入が条件であればそれは無理かもしれませんが、婚活コンサルタントが提示するような条件は、その多くが「就活必勝法」のような条件なわけで、没個性によりそれを叶えることは不可能ではないと思います。
しかし現実は、そういう公式や必勝法が提示されていても、結婚したくてもできない人が多いわけで、問題はそこではないんじゃないかなと思うわけです。
2.何が問題なのか
私見ですが、結婚を「○活」のようにしてしまったことが、逆に結婚願望者を結婚から遠ざけてしまったのではないかと思います。こうじゃなきゃいけないと思うのは時に必要かもしれませんが、それは自分が結婚したい相手が望んでいることではないわけで、あくまでも、第三者や一般論に服従しているだけです。婚活における「こうあるべき姿」というのは、社会の中で誰からも嫌われない無難な人に過ぎないのではないかと思うんですよね。
もしくは「あらゆる減点に耐えられる人」「減点の対象にならない人」といったところでしょうか。結婚は減点なのか、マッチングは減点なのか、減点採点した先に残った要素を拾い上げるような関係の二人が、仲良し夫婦になれるのだろうか。非常に疑問なところです。
夫婦になろうとすること、人と人が出会って親しくなって家族になって…という流れは、素敵なことだと思うんですが、このスタート地点が「消去法と減点」になってしまえば、ポジティブな感情やワクワク感も消えてしまうんじゃないでしょうか。最初から「楽しもう」「人の良いところを見よう」という視点がないと、仮にマッチングしても、相手を加点する習慣がつかないんじゃないかと思います。
3.私が考える結婚に必要なこと
結婚するために必要なことってものすごいシンプルなんじゃないかと思うんです。
(1)自分のことを気に入ってくれる人を1名だけ見つける
「モテる」「モテない」議論は世の中に無数にあり、結婚できるかできないかみたいな話も、恋人ができるかできないかみたいな話の延長で語られる傾向がありますが、結婚するのにそもそも「モテる」人間である必要があるのかなという疑問があります。
多くの人に好かれやすい素質が結婚に必要かどうかは、正直良くわからないところですが、「〇〇みたいな人」だけが異性に選ばれるのでしょうかね。これまで一度も恋人ができたことがないから結婚なんてできないというような言い方を見聞きしますが、それすら普遍性があるのか怪しいと思います。偶然、意気投合する人と出会っていないだけで、それがあたかも人間的魅力がないかのように語られるのはどうなんでしょうかね。
この部分が私にはよくわからない点で、もし本当に、共通認識としての「魅力的な男性/女性」像であることが「結婚できる」条件なのであれば、少なくとも、複数の人間から盲目的に好かれているアイドルや芸能人は全員結婚できているんじゃないかとも思いますし、実際にそうではない以上、マウンティング社会の中で「魅力的である」ことと、結婚できることはイコールではないんじゃないかなと思うんですよね。
それに、結婚相手は一人なわけで、その一人にさえ気に入られればいいわけですから、重要なのは、潰しが効く減点されないスペックを手に入れることではなく、徹底的に自分自身を開示して、多くの人に自分自身に対する好き嫌いを評価してもらう機会を増やすことなんじゃないかなと思うんです。100人中99人に「合わない」と思われても、1人から「合う」と思われれば、その人と結婚すればいいわけで、ひたすら世間や社会の評価に影響されて、みんなと同じ競争頂点を目指していては、逆にそれが手に入らないような気がしてしまうんですよね。
そしてこれを実現するのは、一対一で他人と向き合う時間を作ることだと思います。そんな簡単に異性と一対一で会ったり話したりできないという考えもあると思います。そういう場合は、複数での集まりでもよいので、その中で、できるだけ一対一の対話を増やすことが大事だと思います。これは同性でも、友達関係でもそうで、一対一の意思疎通じゃないと、その人とじっくり話すことはできないんですよね。
もちろん、グループの仲間内でパートナーを見つけるっていう展開もありますが、ワイワイ盛り上がる中で親しくなるのは結構時間がかかる場合があり、私と妻のように、歩きながら缶チューハイを飲んで身の上を語り合う、みたいなことが急速に距離を縮めることもありますから、やはり「一対一」は有効なんだろうなと考えています。
(2)自分とその人のことを大切にする
そして、そういう人と出会えたら、自分の中身を気に入ってくれたとして、その縁を大切にして、自分自身のことも、相手のことも大切にして、一緒に生き続ければいいだけじゃないかと思うんです。
そんなに人生は簡単なものじゃないとか、配偶者だけじゃなくて欲しいものは他にもあるという貪欲な部分を加味すれば、私が言っていることなど、理想論・綺麗事・向上心のなさの産物に過ぎないのかもしれませんが、私はこれまで、ロクに恋愛経験もないですし、ここに書いている通り、一般人が楽しむような恋愛を楽しめる性格でもなく、特に自己研鑽や自己投資もしてきませんでしたが、自分が何を考えているかを相手に伝えたり、一対一の関係をできるだけ多く作るようにして、妻と意気投合して結婚できました。大切なのは、自分が何者であるかを、不完全ではありながらも、できるだけ表現する経験を積むことかなと思います。
今日も穏やかな毎日を過ごせているのは妻のおかげですね。毎日感謝しかありません。