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妻がいてくれれば十分だから「子なし」です
ちょっと前の記事で書いていた「子なし」の理由についてですが、私達夫婦の場合、特に私の場合は「妻がいるだけで十分だから子供を持たない」という理由が一番強いものなんじゃないかなと考えるようになりました。よりシンプル思考に。
特にそれ以上求めるものがない。自分以外の他者に対して求めるものは「妻がいてくれること」くらいなんですよ。本当に、それ以上何も「他人になにかしてほしいこと」がない。
だから仕事で思い通りに動いてくれない同僚に腹を立てることも、友人や知人に対して何か期待したり腹を立てることも、親や兄弟姉妹に不満を持つこともありません。
私は「妻がニコニコ」さえしていれば、後のことは何も望んでいません。自己完結しないことについては、特に。
朝起きて美味しいコーヒーを飲みたい
気になっている〇〇駅の周辺を散策したい
〇〇について勉強したい
副業をもう少し〇〇にしたい
など、自分でやりたいことはたくさんあります。けれども、他人と一緒にやりたいことは何もありません。自分が何か活動していることを「他人」に「評価してほしい」みたいなこともありません。Noteも、YouTubeも、その他色々なことも、ただ自分がアウトプットして頭の中を整理したいからやっているだけで、特に何か他者にどう思ってほしいとか言うこともありません。
これがそのまま「子なし」につながっているのだと思います。子供をほしいと思う気持ちの前提がないのかもしれません。
一緒に幸せに暮らす家族がほしい=妻がいれば十分
誰かと楽しいことを共有したい=妻がいれば十分、むしろ妻が一番
自分の生きた証がほしい=今、毎日楽しんでいることが生きている証
他人の成長を見てみたい=妻が自由な人生を獲得しているのを見ているので十分
親になってみたい=ぬいぐるみがいるので十分
周りと同じように子供を持ちたい=そういう欲望はない、周りと違うからこそ楽しい
自分の子孫を残したい=自分が死んだあとの体裁とか期待とか、どうでもいいかな
一人前だと認められたい=名誉には興味がない
少子化対策が云々=世界的に見れば人口増加傾向であり問題はない、この手の議論はナショナリズムに傾倒しすぎ
子供がいる人達が羨ましい=昭和型核家族を作っている人で幸せそうに見える人が相対的に少ない、不幸そうな人の真似はしない
みたいな感じで、どれをとっても「子供を欲しがる理由」に、自身の価値観が当てはまらないんですよね。
逆に妻と二人でいると、こんなにハッピーなことがあります!
時間に余裕がある=散歩、朝のコーヒー、晩酌、一緒に運動
お金に余裕がある①=シングルインカムで余裕=妻が労働しなくていい=妻が毎日生産活動できる=それをシェアして夫婦でインプット2倍
妻がどんどん新しい勉強や縁を獲得してニコニコしている
二人だけの時間を過ごせる
妻だけに愛情を集中的に注ぐことが可能
大人同士なので互いに程よい距離感で関わることができる
学校(無法地帯・団体行動)に関わらなくていい
お金に余裕がある②=出世・昇進が不要=労働に割く時間と労力を削減可能(総合職バリバリ系じゃなくても生活費が十分確保できる)=過処分時間が増加=たとえば毎日定時で帰宅して夕食を作ることができるand平日に休んで出かけることが容易
ぬいぐるみをたくさんお迎えできて幸せ
妻がすやすや寝ているのをぬいぐるみと一緒に撮影して幸せな気分になれる
頑張るより「楽しむ」、気を張らず、コンニャクやお餅みたいに柔らかい生き方ができる
この幸せがあるのに「子なしの人生」が不幸だなんて思うはずがないんですよね。「子なし」でも十分に幸せになれますし、子供に注ぐ愛情を妻に全部注げるので、より夫婦仲も良好になります。
これ以上、何も望むことはないです。自分が世界で一番幸せだと思っています。妻のことがとても大切で、とても好きですね。唯一無二の存在です。毎日ありがとうって言って寝てます。
自分みたいな社会不適合者のゴミを好きになってくれる変わり者の妻ですが、二度とこんな人に出会えることはないでしょう。この人を大事にしないで、誰を大事にするというのでしょうか。そんな認識なのです。