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夫婦の依存関係について
最近の私たち夫婦がよく話すこと、それは、夫婦の居心地が良すぎて、他の人に理解されなくてもまあいいかって思うようになってきていることです。子なしでも家や車に興味がなくても、出世に興味がなくても、周りから何を言われてもマイノリティーを楽しみ、他人の雑音を聞き流せるのは、他人を気にせずに生きていけるからであり、それは、配偶者が自分のことを理解してくれる安心感があるからなんだろうねと話しています。
一方、それって依存なのではないかと思われる人もいるでしょう。配偶者だけに自分の理解されたい欲求を向けているのではないか、それは配偶者を亡くしたときに困るのではないか、そんな疑問を持つ人もいるかもしれません。友達を作る意欲をなくして、社交的であることを放棄してしまうんじゃないかというようなことを言われることもあるでしょう。
確かに妻は私の最大の理解者ですし、妻以上に一緒にいて居心地の良い人はいません。妻がいてくれるから、話し相手になってくれるから、特に飲み会で誰かに話を聞いてもらわなくてもいいし、誰かと話したいという会話の欠乏に陥ることもありません。それでいいやと思ってしまっているのも事実です。
これは確かに依存しているといえるでしょう。妻だけに自分の拠り所を見出しているのですから、妻がいなくなったらどうするのかって意地悪なツッコミを入れてくる人もいるかも知れません。そこで、もし妻と出会っていなかったらと、考えたくもないような仮説を立ててみましょう。私はどんな人生を歩んでいたでしょうか。
恐らく、妻がいない人生を歩む私は、以前の通り、誰にもそこまで心を開かずに生きていたでしょう。上述のような、誰かに話を聞いてほしいとも思うことなく、趣味や勉強や家事をそこそこ楽しんで、生きていたと思います。人付き合いはどうだったのかと考えると、今現在、妻以外の人と関わっている程度に他者と接点を持つ程度だっただろうと思います。年に数回、他人と会う、食事をする、散歩して雑談する程度でしょうかね。深い話も特にせず、それなりの距離感で人と関わっていたと思います。
だから個人的には、「配偶者だけに心をひらいているなんて、それは悪い依存なんじゃないか」…という心配は不要だと思っています。少なくとも私は。妻が話を聴いてくれるとか、安全基地になっていてくれるというのは、この上なく幸福なことです。ただ、それがないからと言って生きていけないというわけでもないと思うのです。だって、妻と出会うまでの長い年月も、それなりに楽しく生きてきたわけですから。
妻と出会って、人に心を開いたり、人と深い話をする面白さを知りましたが、それは妻が私に与えてくれたオリジナルの娯楽であり、本来の私は、親友と呼べるような友達付き合いも出来ない、そもそも、濃い人間関係を楽しんでこなかった人間なので、妻と出会うことなくして、こうした人間関係の温かみや安全基地を持つことの意味を理解することはなかったでしょう。もともと、自分のことを誰かに承認してほしいという類の欲求はなかったのですから。
自分が心から大切だと思う人と結婚したからこそ、安全な居場所の有り難みや魅力を知ることが出来た、そんなところでしょうか。妻と出会う以前は友達がそういう存在だったんじゃないか?とも考えてみますが、友達は配偶者とはまったく別物ですし、夫婦のように絶対的な味方になることはないと思います。それは私が他人に心を開いていないからかも知れませんが、妻との関係ような強力な安心関係、信頼関係を友達に求めたことはありません。
私の説明が下手で理解しにくい文章になっていますが、簡単に言えば、もともと他人に依存する体質があるからこそ、夫婦の世界に籠もったときに依存が発生するのであって、そうじゃない限りは依存は生じない、依存したとしても、それは悪い依存にはならない(あったら幸せだけど、なくても不幸ではない形)と思うわけです。
「自分の最大の理解者は〇〇さん」みたいに、他人に全面的な理解を求める人は、配偶者ができれば「自分の最大の理解者は配偶者」となり、配偶者を失えば、その代わりに自分を全肯定してくれる人間の存在を渇望するでしょう。しかし私にとっての妻は、依存先の枠に当てはまっただけの人ではないのです。ケーキの上に乗ったイチゴのようなものです。そもそも、ケーキとは独立したものなのです。
したがって「夫婦だけに拠り所を求めるのは依存だから、じゃあ他の友達を作って、その人とも妻と話すような濃い話ができる関係を構築しよう」とはならないわけなんですね。妻とだから居場所と感じられる関係を持ち、結果的に楽しめているのであって、誰でもいいから居場所になってほしいわけではないのです。友達とは友達ならではの距離感で関わっていけば十分なのです。
ある意味「この人がいないと物足りない」という具合に、良い形での依存にとどまるのであれば、お互いに相手を尊重しあえる関係である限りは、夫婦の世界に籠もってしまうなどと心配しなくても大丈夫なんじゃないかという話でした。妻がいてくれることに感謝して、毎日大切に過ごしたいですね。