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夫婦が同じ空間にいることの意味

私たち夫婦は40平米の1DKに住んでいます。扉で仕切られているものの、部屋は分かれておらず、キッチン部分から窓際まで通しです。なので、それぞれの「自分の部屋」はありません。

それぞれの部屋がないことを「狭い」「自由がない」などというネガティブな感じにとらえることもできますが、私たち夫婦にとって、この仕切りがないことが、夫婦仲をとても良くしていると日々実感しています。

ある平日。朝ご飯をたべて、洗濯を回し、私は在宅勤務、妻は大学の勉強をしています。妻がちょっと休憩、ゲームで息抜きしながらコーヒーを飲んでいます。私は仕事が一段落したら副業の動画編集を進めます。お昼ご飯の時間になり、夫婦で準備をして、ラジオを聴きながら食べます。午後の天気をチェックし、晴れていれば、夕飯の買い物に二人で出ることに決め、私の勤務終了の15時半まで、またそれぞれ自分の作業に。リビング中央にあるテーブルで向かい合ってはいるものの、私も妻も自分のことを別々にやっています。妻が何か面白いお店やニュースを見つけると、私に話しかけ、二人でそれを見たりして、ああだこうだ雑談して数分、また自分の作業に戻ります。

バラバラの行動をしているけれども、すぐそこに相手がいる安心感。互いに、自分の活動を前に進め、それを途中でシェアする。これが、夫婦仲をとても良いものにしていると感じます。

遠くにいてもお互いを思い合える関係って、良いものですよね。妻が旅行に出ている時、帰りを待って家のことをしたりするのが好きな私ですが、普段のこの生活様式でも、それと同じことを感じます。相手と一緒にいるけれど、まるで相手が別の場所で別のことをしているかのような感覚。今、どんなことをしているんだろう、楽しんでるかな、なんて、すぐ聞けばわかるのに、聞かずに想像したりします。

一つのゴールを目指して旅をしているけれど、分岐点でそれぞれ別々の道を進み、また合流するのを楽しみに、自分が選んだ道を楽しむかのような、ある意味で、毎日がRPGのような感じです。「今、ゲームどこまで進んだ?」っていうやりとりをしながら、誰かと遊ぶ時の、なんともいえないワクワク・ドキドキ感、それを結構な頻度で楽しめるのが、この「同一空間内別行動」です。

一切の仕切りもなく、音も共有される場所、それでも、互いにヘッドホンをして集中したり、窓を開けて電車が通過する音を聴いたり、多分、見ているものも聴いているものも、同じ空間にいながら全く異なるのでしょう。それでも、ひとりじゃない安心感。絶妙な感覚を覚えるんですよね。

「この生活スタイルと間取りって私達にとても合っているよね」

そういいながら、今日も平日の昼を過ごしています。

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