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白鷺の想い
私は高校3年間は、電車通学をしていた。梅雨の時期だったであろうか。水田に水が張られ田植えが終わった季節に、私はいつものように窓辺に寄り掛かり外をぼんやりと眺めていた。
橋の上を渡る時に、何故かいつもテンションが上がるのは、釣り好きの血が騒ぐからであろう。思えばあの橋の下のポイントには、一度も訪れたことがない。脳内で完結しているブレインフィッシングだ。
そしていつものように、2本目の中級河川を渡り、暫くすると目的地の駅に到着する。
何故か3年間の電車通学は全て曇り空のイメージだ。朝方だからなのであろうか。それに前の記事にも書いているのであるが、駅を降りた後の記憶に乏しく、さらに今思うと帰りの電車の記憶も乏しい事に気が付いた。夜が多かったのであろうか。それともまだ日がある夕方?
部活がなく早めに帰れた日の記憶は、何故か良く覚えている。日常は風化してしまうのであろう。
そんなありきたりの日常から離れさせてくれた日の記憶は、今のこの季節と同じ初夏の風景の記憶だ。
私はいつものように窓辺に寄り掛かりながら外を眺めていた。
そこに一羽の真っ白な白鷺の姿を見た…
高速で移動する電車からなので、時間にするとほんの一瞬であろう。その刹那に、私と白鷺は目が合ったのだ。
感動的であり、運命的な時間の流れであった。そして私は思ったのだ。あの白鷺も多分あの時、私と同じ事を考えていたに違いないと…
今となればその真偽を確かめられる術もなく、その感動的なシーンは今思えば幻だったのかも知れない。けれど私はその時にそう確信したのを今でも覚えている。
数少ない通学時の、鮮明に心に残る記憶である。