やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊵~大団円
前回まで
[やるかやられるかの世界」を生きている私の、もしかしたら人とはちょっと違う世界の認識、そのことについて否定されたり、ひいてしまったりされることなく、あるいは病気の症状であると一刀両断されることなく、そのままを受け止め、聴いてもらえることで私は救われたといったお話をしました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊴~対話の先にあるもの|せっと|note
その私の体験を踏まえたうえで、私が考える生きやすい世の中、いろんな方々がごちゃまぜでのびのびと生きていける世の中ってどんなものなのだろうか、ということをお話ししていきたいと思います。
「共生社会」、「ダイバーシティ」、といったワードを、割合いろんなところで耳にするようになってきています。
精神疾患があってもその人らしく生きていけるような社会、ありのままでいられる社会こそが「共生社会」だよななんて思っています。
いろんなものさしがあっていい。私もそんな社会を生きていきたいし、その中でいろんな人たちの価値観、世界観に触れていきたいななんてことを思っています。
どこで服を脱ぐか・・・
世界が「やるかやられるか」であるということ、自分としては疑うことなく、そしてまわりの人たちも同じように感じているのではないかと思っていたことではありますが、今までそのことを人に話したことはありませんでした。
もしかしたら、自分の中でどこかそのことを口に出してはいけないことのように思っていたところもあったのかもしれません。
私の場合、初めて話した相手が信頼を寄せている妻であったのですが、このような自分のコアの部分の話って、だれかれ構わず話せるものではないように思っています。
そのために「誰に話す」、「どこで話す」、ということはとても重要になってくるのではないかなと思います。
銭湯、温泉などに入る時は服を脱ぎますよね?そしてそれは自然なことであるし、他の方々も服は着ていないはずです。
そのような場であれば安心して服を脱ぐことはできるのではないでしょうか?
しかしながら銭湯、温泉以外でいきなり服を脱ぐとさすがにまずいことになります。
銭湯、温泉のように安心してみんなが裸になれる場って必要なんじゃないかな。
安心、安全が担保され、何を話しても否定されない、批判されない、ジャッジされない、そんな場が増えればいいな、またそのように話を聴いてくれる人が増えればいいな、なんてことを考えます。
自分自身がそのような場を欲していますし、同じような方も多いのではないのかな、なんて思います。
ごちゃまぜの集い
いつか近い将来、私と同じように、「ちょっと世界の認識が人と違う人」たちが集まり、安心・安全が保障された環境でいろんな世界の見え方について言いっぱなし、聴きっぱなしでわいわいと話せるような、そんな場を創れたらいいな、なんてことも妄想しています。
その先には、「統合失調症」、「幻聴」、「妄想」という言葉に付きまとう、ネガティブなイメージが払しょくされ、それこそ「ちょっと世界の認識が人と違う人たち」、といったような感じで受け入れられるような世界になっていくのではないかな、なんてことも思っています。
ものさしはいくつもある
自分のものさしだけで他の人を判断してしまってはいないでしょうか?私が「やるかやられるか」、であると認識している世界観は、精神疾患ゆえなのでしょうか?
一般的な認識ではないことは私もうすうす気づくようになってきました。
しかしながらだからと言って、即病気認定されてしまうのは悲しいです。
世界が「やるかやられるか」、であると認識したうえで対処法を考え生活を送っている私にとって、そのことを「病気の症状です」、と言われたとしても「なんだかなぁ・・・」って思ってしまいます。
私の世界観に理解を示してほしいとは思いませんが、願わくば「ないない」、みたいに切り捨ててしまうことはしないでほしいな、なんて思います。
私の世界観に興味を持ってもらいたい、そしてそのような世界もあることを知ってもらいたい、それは私以外のすべての人ももしかしたらそうなのではないかなと思います。
精神疾患があろうとなかろうと、いろんな方々のいろんな世界観に興味を示す、そしてリスペクトする、さらには「いいね!」って言ってあげる。
もちろん、その世界で生きづらさを感じている人がいたら、対応について一緒に作戦会議をしてみる。
病気の症状であるかもしれませんが、目の前で起こっていることはすべて「リアル」、なんです。
その「リアル」、をありのまま受け止めてもらいたいな、なんてことを思います。
ピアサポートを信じて
今までの連載の中でも触れましたが、私はピアサポートでつながることで元気になってきたと思っています。
その中で、誰も自分を否定することなかった、どんな自分であっても「いいね!」、と尊重してもらえた経験をしてきました。
ピアサポートでつながるということ、それはお互いがお互いを認め合い、そして尊重することかなと思っています。
病気を抱える人同士のみならず、同じコミュニティに属する人同士など、いたるところにピアサポートはあります。
ピアサポートでつながっていくことで、そしてピアサポートの輪が広がっていくことで、私のような「やるかやられるか」の世界に生きている人間も「いいね!」、と認めてもらえる、そんな世界になっていくんじゃないかな、そしてそんな世界って生きやすい世界なんじゃないかな、なんてことを思います。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術~長く書き続けてきました。
今回でいったん終了となります。
今まで読んでくださった方々、「スキ」してくださった方々には心より感謝申し上げます。
私の手記が読んでくださったみなさまの何らかのお役に立てばこんなにうれしいことはありません。
今までお付き合いいただきありがとうございました。