やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉖~花開く
前回まで
精神保健福祉士として、常勤のグループホーム世話人の仕事に就くことができました。
自分の精神疾患についてはクローズであったため、特別な配慮をいただいていたわけでもなく、精神疾患の当事者経験を前面に出してピアスタッフとして業務にあたっていたわけでもありませんでしたので、いい事もありましたが苦労する点も多かったです。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉕~いい事ばかりでは・・・|せっと|note
今回は、その後の私の歩みについてお話ししていこうと思います。
自分は精神保健福祉士
グループホーム勤務を3年ほど続けていく中で、相談の対応をしたり、カンファレンスに参加したりと地域の他機関の方々と連携しつつ入居者の方々の支援にあたることが日に日に増えていくにつれ、何となく精神保健福祉士っぽく働けているのかな、なんて思うことも多くなりました。
その後転機が訪れます。
法人内の異動があり、相談支援専門員の業務を担当することになりました。
この経験によって自分は大きく成長することができたと思っています。
利用者さんの希望する生活実現のために何をしていったらいいか、一緒に考え計画を立て、実行していく・・・相談支援の業務はとてもやりがいのある仕事でした。
利用者さんがエンパワメントしていく過程に一緒に立ち会えることと、そこに自分の力も多少なりとも役立てていると感じていましたし、そのことで自分自身も元気になっていってるように感じていました。
また、相談支援の仕事をする上で、地域の行政機関や事業所の方々とお会いし一緒に仕事をする機会が増えていきました。
他機関の方々と連携していくなかで何人もの志の高い尊敬できる方々との出会いがありましたし、その方々に混じってそれなりに渡り合えるようにもなり、そんな自分のことも内心誇らしく思っていました。
自分がキャリアも実力も申し分ない彼らと同等だと見なされているのかもしれない、みたいに思えていたのですね。
精神保健福祉士として相談支援専門員であるということが、このころ仕事をする上での自分自身のアイデンティティになっていました。
どんどん元気に・・・
同じ地域で働く支援者の仲間にも恵まれていましたし、そこそこ私の名前も知られるようになっていましたしね。
彼らと地域のことについて、支援のことについて議論したり一緒に考えたりすることはとても自分にとっては刺激的でありましたし自分の仕事がとても社会的意義のあるものだ、と思えていました。
相談支援の仕事をすることが楽しくて仕方がなく、一心に夢中に仕事に取り組んでいた時期でした。
自分自身どんどんパワーアップしていきたい、より高いレベルで仕事ができるようになりたいなんてことをいつも考えていました。
無敵と言ってしまうといいすぎかもしれないですが、とにかく乗りに乗っていましたね。自分が支援の仕事ができているということがうれしくて仕方がなかったということあったように思います。
病気で何もできなかった自分が、今や憧れていたソーシャルワーカーの仲間に加わることができている、ということに誇らしい気持ちもあったのでしょうね。
このころの経験は、私のソーシャルワーカーとしての歩みの中で間違いなく自分自身を大きく成長させてくれたものでした。
今現在の自分の仕事をする上での基本的姿勢や考え方はほとんどこの時期に培われたといってもいいでしょう。
今回はここまで。精神疾患当事者か支援者か、そのはざまで悩んでいた自分のアイデンティティ、立ち位置はこのころから支援者、ソーシャルワーカーである、といった方によっていきました。
自分の中の「精神疾患当事者である」ということは今後どのようになっていくのか・・・後日お話ししていきたいと思います。