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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊴~対話の先にあるもの

前回まで

やるかやられるかの世界を生きている私、そしておそらく統合失調症である私、そんな私に対して、もっと言えば統合失調症であるかもしれない方々に対してもですが、私や彼らに対してどのように接してもらいたいかについて前回お話ししました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊳~統合失調症を生きる|せっと|note

統合失調症であったりして、世界の認識が周りの人たちとちょっと違っていたとしても、それは「異常な」ことなのでしょうか?
そのように排除してしまうことなく、それも一つの考えであるというように認めそのうえで共存していくにはどうしたらいいでしょうか?
今回はそのあたりのことについて、私はどうして自分自身が排除されたり、病気認定されたりすることがなかったかについてお話ししていきます。
もしかしたら統合失調症であったり、世界に認識がまわりとはちょっと変わっていたりするような人たちとの共生のヒントがあるかもしれません。

僕の話を聴いてくれ、笑い飛ばしてもいいから


今回、わたしがすんなりと世界は自分が生きているような「やるかやられるか」ではないのではないか、と思えるようになってきたことのひとつの要因として、私の話を聴いたすべての人が、私の話を、言ってみれば「異常な」話としてとらえたり、否定したりすることなく、まず受け止めてくれたことが大きかったのではないかと思っています。
受け止めてくれたうえで一緒に考えてくれた、妻などは私の世界観を面白がってくれてそのうえで当事者研究という形にまでしてくれましたから。

もしかしたら「面白がる」、ということもキーワードかもしれません。世界観に興味をもって、面白がって耳を傾ける、話を聴いてもらっている・・・こちらとしてもとても話しやすかったですし、「聴いてくれてありがとう」、みたいな気持ちにもなりました。

安心して話ができるということ


その意味では安心して話せる場があるということときちんと話を聴いてくれる人がいるということは自分にとってとてもよかったと思っています。
また、話したことで誰もいわゆる「ひいてしまう」、ことがなかった、「もしかしたらこの人やばい人かもしれない」、みたいに思われなかったことも救いでした。

もっとも自分の場合は「やるかやられるか」の世界が普通だと思い込んでいたので、その考え自体は自分だけのものとして認識してなかったわけですが、もしかしたら中には「自分の考えが人とは違っているのかもしれない」、などと思い悩み話せずにいる方もいるのではないでしょうか。

または「話したことによって周りの反応が微妙なものになってしまった」、という経験がある方もいるのではないでしょうか。
確かに誰彼構わず、自分のコアな部分の話をしてしまうということはハードルが高いかもしれません。受け入れられるとも限らないですから。
私の場合、一番身近に自分の理解者になってくれる人がいたということが大きかったとは思います。

対話は大事

「私は異常ではない」、「私は私でいい」・・・
「やるかやられるか」、である私の生きる世界を理解してもらえたとは思っていませんが、私の話をそのまま受け止めてもらえたことで少なくとも私は私自身を認めてもらえたような気持ちにはなりました。
また、私の世界観に寄り添ってくれて、詳しく世界観について話を聴いてもらえた、興味を持ってもらえたことも私には大きかったです。
世間的なものさしで私の世界観を測り、バッサリと切り捨ててしまわれていたら、私はおそらく戸惑い、もしかしたら絶望したかもしれません。

「ものさしはひとつではない」、よく言われることですが「みんな違ってみんないい」・・・
いろんな価値観があり、いろんな世界観がある、それぞれに対して「いいね!」と言えるような世界、認め合えリスペクトしあえるような世界になっていけばいいななんてことを思います。
それはたとえ精神疾患であったとしても、障がいであったとしても同じことなのではないでしょうか?
いろんな世界観を持っている方々がごちゃまぜで共存できるような世界、誰も否定されない世界、そんな世界って、ちょっといい感じだよな、なんて思います。

今回はここまで。世界が「やるかやられるか」、であったとしても、そのことに対しておかしなことと切り捨てられることがなかったおかげでかえって私は自分の世界観と向き合うことができたように今思えば感じています。
自分の世界観について思い悩んだり、悲観したり、戸惑ったりすることなく、(多少はありましたが)、「やるかやられるか」である世界をそのままにどのように生き抜いていくかということについて考えていくことができています。

「多様性」、「違いを認める」なんてわりと言われますがすんなりとそのハードルを越えることって結構大変であるように思います。
とくに精神疾患であったり、障がいであったりということに結びつけられるとなおさらなように思います。
精神疾患である私のここまでの経験から、それでもちょっと生きやすい世界ってどんなものかな、なんてことを次回はお話ししていきたいと思います。


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