やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊳~統合失調症を生きる
前回まで
私が統合失調症であることは間違いない事と思います。
統合失調症でありながら、そのことに自覚的にあるいは無自覚的に私は日々生活を送っています。
もしかしたら私の生きている世界はちょっとへんてこなものであるように思われるかもかもしれませんがそれでもそれが私の生きるリアルな世界です。
そしてそのことは果たして私が統合失調症であるということと結びついているからなのかな、なんてことを前回お話ししました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊲~統合失調症との共存|せっと|note
私は「やるかやられるかの世界」を生きていますが、他にもこの世界を様々に解釈して生きている方々っていらっしゃると思います。
世界の認識がちょっと人とは違っているからといって、すなわちそれは病状などによるものなのでしょうか?
今回は、私も含めたちょっと人とは違った世界を生きる方々とどう共存していくか、していってほしいか、といったことについて、私の思うところをお話ししていきたいと思います。
これだけは言いたい
「闇の組織が・・・」、「後をつけられていて・・・」、「自分の悪口を言われていて・・・」、こんな訴えを聴いて、「薬が効いていないんじゃ・・・?」、とか、「調子が悪いのでは・・・?」、と見立ててしまってはいませんか?
今までのお話の中でも触れましたが、私は精神保健福祉の領域で仕事をしています。
日々いわゆる支援者といわれる方々が利用者さんと接する中でこのような場面に出くわすことは割とあることなのかなと思います。
また、例えばご家族の一人が、友人の一人が、このような発言をするということもあり得るのかもしれません。
そういった場面を見聞きして、支援者同士の会話の中で、上記のように話されることもまたあるあるな光景のように思いますし、実際私も耳にすることもあります。
また、ご家族や友人であったとしても、このように思われたり、対応をとったりすることもあるのではないかな、と思います。
もちろんそのような発言をされた方に話を伺うと、実際服薬を忘れていたといったこともあることではありますので、必ずしも間違った見立てであるということを言うつもりはありません。
私も闇の組織の攻撃にあった時に、攻撃をかわすために頓服を使うことはありますからね。
しかしながら攻撃を受けているのは私にとっては事実なんです。
頓服は攻撃をなくすため、攻撃が実際にはないということを認識するためのものではなくて、あくまで「攻撃をかわすため」のものなのです。
何度も言いますが、私にとっての世界は「やるかやられるか」であることは変わりはないので。
なので一概に「症状である」というようにバッサリと切ってしまわれるのは悲しいです。
願わくば、一緒に「やるかやられるか」の世界を生きていくための対策を考えてもらえたらうれしいですね。
やるかやられるかの世界を生きる
確かに、世界を「やるかやられるか」であるように思っているのは私だけかもしれません。
しかしながら私のように、ちょっと変わった世界に生きていたとしても、ちょっと世界の認識が人とは違っていたとしても、きっとみんなその世界で自分なりに工夫して苦労して生活しているのではないのかな、その世界観を共有することはできなかったとしても、間違いなくそのような世界がある、ということだけは認めてもらえたらいいな、なんてことを思います。
世界の認識が人とは違ったとしても、すぐに病気認定されてしまうのは悲しいです。
なぜなら自分の世界の認識を否定されているように感じるから。
この世界が「やるかやられるか」であって生きづらいものであったとしても、それが自分にとってのリアルな世界なのです。
なので私としてはその中でやられないように対策を講じて生きていくものだと思っています。
確かに戦う必要がなくなった世界は生きやすいのかもしれません。
しかしながら私にとって当たり前になっている「やるかやられるか」の世界ではない世界が目の前に現れたとしたら、私は戸惑ってしまうのではないかな、混乱してしまうのではないかな、なんてことも想像します。
共生社会ってなんだ?
みんなが自分の生きている世界についてフランクに語れるような世の中になれば、そしてそれをお互いが認め合えるような世の中になればもっともっと生きやすい世界になるのではないかな、なんてことも思います。
おそらく人の数だけ世界のとらえ方があって、それが誰かの物差しによって理解可能か、理解不可能か、なんてことは測れないように思うのです。
どこかの誰かによって自分の世界観を病的なものである、なんて言われる筋合いはない、なんて思ってしまいます。
いろんな世界観があっていい、むしろ私は私以外の方々がどういう世界を生きているのか、聴いてみたい気持ちがあります。
そしてその人の生きている世界を、私は「いいね!」、と認めたいです。
今回はここまで。統合失調症を生きる私が本当に伝えたいことをお話ししました。
私の手記もそろそろクライマックスです。
どうかもう少しお付き合いいただければ幸いです。