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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊲~統合失調症との共存

前回まで

私の世界の見え方、「やるかやられるかの世界」に私は身を置いています。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊱~統合失調症は治ったのか・・・?|せっと|note
そんな私は「統合失調症」であり、「治療が必要な状態」なのでしょうか?
私が生活する中で考えている、「統合失調症と共存するには」みたいなことについて今回はお話ししていきたいと思います。

私は統合失調症


私の状態・・・おそらく、医学的に言えば、統合失調症の被害妄想とか、関係妄想とかいうことになるのだと思います。
もしかしたら私の話を聴いたら、「すぐに治療が必要だ」、とか、「薬は効いているのか」などという人はいるであろうとも思います。
私が精神保健福祉の仕事をしてきた中でも、かかわってきた方々から「悪の組織から盗聴されている」、であったり、「特定の組織に後をつけられている」、であったりといった話は幾度となく聞いてきましたし、そのたびにそのような方々について病院にかかった方がいいのではないか、とか妄想に支配されているのではないか、という風に見立てることはありました。
私の状態というのも、そのように私が見立てていた彼らと何ら変わりがない状態であるように今にしては思います。

統合失調症=治療が必要か?


私のような状態であったり、私がかかわってきた方々のような状態であったり、つまり世界の認識がちょっと人とは違うからといって、すぐに治療につなげて統合失調症認定することって、必ずしも必要ないのではないのかな、なんてことを考えます。(決して治療が必要ない、という意味ではありません)。

繰り返しますがおそらく私の状態は統合失調症の症状によるものだと思います。しかしながら私は自分なりに工夫しながら生活をしてくることができてきましたし、仕事もして家庭を持つこともできています。
統合失調症の症状がありつつもうまく折り合いをつけながら生活をしていくことはできるのではないかな、服薬をして、通院をして、日中活動の場に通って・・・統合失調症の患者として、もっと言えば「統合失調症の患者らしく」、「精神障がい者らしく」、生きていかなければいけないなんてことはないんじゃないのかな、なんてことを思います。

やりたいこと、夢、希望、何でもやったらいいのではないかな、かなうかかなわないかはわからないまでも、チャレンジすることはできるし統合失調症だから、といった理由であきらめてしまうのはもったいないのではないかな、なんてことを思います。

私のサバイバル術


私が当事者研究を行う中で、「やるかやられるかの世界」に身を置きながら、様々な対策や工夫を講じながらどうにか生き抜いてきたことを以前お話ししました。

闇の組織とはこうして戦う

■イヤフォンをする
電車の中などでは特にそうですが、イヤフォンで音楽などを聴くことで意識をそちらに集中し、自分の世界に入り込みます。おそらく自分のことをスマホで検索したり、情報のやり取りをしたりしている人たちはいるでしょうが少なくともそのことを意識しないでやり過ごすことはできます。
外出するときにイヤフォンは欠かすことができません

■ノートに書きなぐる
攻撃されてるな、と思ったら、可能であれば「いま〇〇という人に攻撃されている」、ということをノートに書きだします。どのような人にどのような攻撃を受けて、自分がどんなダメージを受けているか、そして自分はどんな状態か、等々事細かに書き出します。
その次に相手のどのように反撃できるかを考え書き出します。この時浮かんできた相手に対する罵詈雑言などがあればそれも書き出します。
ノートの中で相手と戦い、相手をやっつける感じですね。
この作業をやることで自分の勝ちが確認できれば自分に対するダメージを防ぐことができます。

■念じる
ノート作戦が使えないときは頭の中でシミュレーションをして相手と戦います。相手に対して攻撃の念を送り続けたり、罵詈雑言を頭の中で投げかけたり、自分ができる怖い顔をしてみたりもします。

■シャワーを浴びる
私は外出から帰ると可能であればまずシャワーを浴びるのですが、シャワーを浴びることで外出中に受けた攻撃により体に付着した念や電波的なものをすべて洗い流すようにしています。シャワーを浴びることで体や気持ちも浄化できるように感じています。

やるかやられるかの世界の中で、私がどのような工夫をして生活しているか、どのように闇の組織と戦っているか、ある程度お判りいただけたのではないかと思います。
他にも自分なりに工夫していることはあるように思いますが、こちらで紹介したような方法をとることで、日々の生活が何とか送れています。

やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑧~当事者研究


それはつまり、世界が「やるかやられるか」であることを認めてしまったうえで、その世界を何とかするのではなく自分の方がその世界にアジャストしていくというアクションであったといえると思います。

もちろん、治療を受けなくていいなどということを言うつもりはありません。服薬や治療によって、世界が生きやすくなるのだとしたら私もありとあらゆる治療を試したみたい気持ちはあります。
ただ、世界の認識がちょっと人とは変わっている方々について、「統合失調症」だから、とその人を見る時にフィルターをかけてしまうようなことはとても残念であるように思います。
このことは精神保健福祉にかかわるすべての支援者、ご家族の方々に対しても声を大にして言いたいです。

世界の認識が「ちょっとへんてこ」、であってもいいではないですか。
私もですがそのような世界でどっこい生活を送れているのかもしれない。
世の中の常識といった物差しで判断し、自分の生きている世界を「異質なもの」、「理解不能なもの」と断じてしまわれるのは悲しいです。
決して居心地がいいとは言いませんが、私は私なりに「やるかやられるかの世界」を生きていたんです。
私にとって世界が「やるかやられるかである」、ことに変わりなく、その世界を否定されてしまうと、とても困惑してしまうことと思います。

今回はここまで。私が一番お伝えしたいことをお話ししました。
そろそろ今までお話ししてきた内容のまとめに入ります。
また次回にも続きます。



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