紛争前にイスラエルに行った話。
前回、更新が3ヶ月くらい空いたら一気にいいねの数が減ってしまいました。。
"継続"の重要性を実感した今日この頃。
とはいえ、もともと完全に自己満で始めて、いいねのために書いてるわけではないので健気に書き続きたいと思います!もうほぼ完結だけど。
そして、また更新をサボっている間に、イスラエルで凄惨な紛争がはじまってしまいました。
イスラエルについて話す際に紛争、というかユダヤ人とアラブ人の関係や歴史について避けては通れないと思うので、そういったことにも触れつつ、今回はイスラエルに行った旅行記を書いていきたいと思います。
というわけで。
ミラノの次はイスラエルに行ってきました。
今回イスラエルを選んだ理由としては、
・ヨーロッパに飽きた
・エジプトが楽しすぎたので、アフリカ〜中東に行きたくなった
・小中高がずっとカトリックの学校で、キリスト教の聖地であるエルサレムに興味があった
・長年紛争が絶えない地域なので、行ける時に行っておきたかった
という理由があります。
最後に関しては帰国してすぐに凄惨な紛争が始まったのを見て、心から痛感しました。
ミラノからテルアビブ(エルサレム)のベングリオン空港まではeasyjetで行きました。
テルアビブとエルサレムはかなり近い距離にあり、それぞれイスラエルの第2、第1の都市です。
日本人の多くはイスラエルの首都をエルサレムと思っている方が多いと思いますが、エルサレムは世界で一番ゴタゴタのある地域で、完全にどの国が保有しているか決まってないような場所なので、国際社会では基本首都はテルアビブとされています。
イスラエル自身は首都をエルサレムとしていますし、アメリカもエルサレムを首都としています。
これはイスラエルとパレスチナ、つまりユダヤ人とアラブ人の争いに対して、アメリカがイスラエル側に立っているため、イスラエルの主張を認めている、といった理由になります。
この辺の詳しい話は後ほど詳しく触れたいと思います。
イスラエルに到着してまず驚いたのが、空港がすげー綺麗。
オイルマネーで優勝してる以外の中東やアラブ圏の国って、どうしても後進国なイメージを持ってました。実際エジプトもインフラとかバキバキだったし。
けどイスラエルは中東のシリコンバレーって呼ばれるほどのIT大国だったり、あらゆる宗教の聖地で観光客も多かったりで、非常に豊かな国らしいです。
遺跡っぽい雰囲気もありつつ、とにかく綺麗で、それでいていろんなところにIT技術が駆使されていて、空港の段階からとてもワクワクできました。
ちなみにイスラエルに入国する際、パスポートにスタンプは押されず、別紙で入国許可証明みたいなのを渡されます。
これはイスラエルのスタンプが押されたパスポートだと、シリアやレバノンといった、イスラエルと国交断絶している国に入国できなくなるから、という理由からだそう。
だからといって別紙でやっちゃうからセーフ!!wwとかいうのガバガバすぎね?とか思っちゃう。IT大国のくせにそこだけ鬼アナログだし。
テルアビブ空港からエルサレムは電車で向かいます。
右も左もわからんかったけど、Wifiもあるしクレカも使えたのでなんとかなりました。
どんだけ未知の国でも、とりあえず電波と金があればなんとかなります。
駅も電車もとっても綺麗でした。
特にエルサレムの駅は宇宙船みたいで近未来的だった。
早速街歩き。
日本で「イスラエル」という単語を耳にする時、基本的に紛争だとか宗教問題だとかガザ地区だとかの話題で、イスラエル全体的にずっとピリピリしてて治安も不安定なイメージがありましたが、実際めちゃくちゃ平和でした。
空気も穏やかだし、みんなニコニコしてるし、そもそも街も発展してるし、女性や子供も一人で歩いてる。
流石に東洋人は珍しいらしく目線を感じたり、何度か話しかけられたりしましたが、悪意を持ってそうな人はいませんでした。
※とはいえ、私が行った直後に紛争になり、実際に訪れた場所がいまは1人も歩いておらず、誰も学校や会社にも通えない状況だというので、「治安が良い」という表現は適切ではないかも知れません。この時に関していえば一時的に治安が良かっただけでした。
駅から歩くこと2時間くらいかな。
途中ショッピングモールやバザールにも寄ったので直接歩けば30分くらいの距離で、エルサレム旧市街に到着しました。
旧市街は全体が城壁で覆われており、まさにウォールマリアのような感じ。
入ったらすぐ、お土産物屋や服屋、食べ物屋が並んだバザールになってました。
この600m四方ほどの狭い旧市街の中に、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の歴史を作った岩のドーム、聖墳墓教会、嘆きの壁といった宗教聖地が犇めいているので、すごく重たく厳格な雰囲気なんじゃないかって思ってたんですが、実際はもうかなり観光地化していて、緊張感ゼロで拍子抜けしました。正直ちょっとガッカリだった。
イスラム教のお祈りの時間帯は、ごっついライフル持った警備隊が死ぬほど現れて交通整備してたけど、嘆きの壁なんて壁に向かって一生懸命お祈りしてる人たくさんいたのに、その人たちをバックに記念撮影してる観光客の方が多かった。なんかそれって違くない?冒涜じゃない?もっと祈りって神聖で、あまり他人が介在しちゃいけないものじゃない?と思わずにはいられなかった。時代なんですかね。知らんけど。
想像していた雰囲気と多少の差はあれども、それでもエルサレム旧市街は歩いてるだけで非常に刺激的で楽しめました。
『最後の晩餐』が実際に行われたという食堂、イエス・キリストの遺体が埋葬されていると言われる教会、キリストが十字架に磔にされる際に最後に歩いたと言われる坂道。そしてメッカ、マディーナのモスクに次ぐイスラム教第3の聖地と言われる岩のドームや嘆きの壁といったイスラム教の聖地。
さしずめ犬も歩けば棒に当たるではなくエルサレムを歩けば聖地に当たると言ったところ。
それぞれの聖地の建物自体は、さすがに2000~3000年の歴史があるため、雰迫力がありましたし、歴史の重みを感じざるを得ませんでした。
しかし、それでもどの聖地も自分含めた観光客で溢れており、雰囲気はマジで新宿でした。いろんな人がいてとにかく雑多な感じ。ただ危険だったり不穏な空気は全くない。みたいな。
話は変わりますが、イスラエルの感想を書く上で、そんな平和だったイスラエルで今何が起きているのか、触れざるを得ないので、軽くまとめてみます。
まず、そもそもの根本として、争いの構図としてはユダヤ人VSアラブ人の戦いになります。
ユダヤ人とは、紀元前、今から3000年ほど前に、「神が人間にエルサレムを与えた」と信じている人たちのことです。
"日本人"や"アメリカ人"と言ったような、特定の地をルーツとしている人たちのことではなく、特定の信仰をしている人たちのことを指すので注意が必要です。
エルサレムはヨーロッパ、アジア、アフリカのちょうど真ん中、中継地にあります。そのためいろんな民族に襲われ、すぐに滅びてしまい、ユダヤ人は世界中に散りじりになります。
そんな中でも「最後に勝つのはユダヤ人だ」という神様の言葉を信じて、世界中で頑張ることにしました。
この「神がユダヤ人にエルサレムを与えた」「最後に勝つのはユダヤ人だと神が言った」という考え(ユダヤ教)を持つ人たちのことをユダヤ人と言います。
そのユダヤ人は多くが金融業を営んでおり、文明の発達とともにどんどんと大金持ちになります。
その結果、中世以降からは他の民族から「ユダヤ人のせいで我々が貧乏になっている」と妬まれ、嫌われます。
ユダヤ人たちの「ユダヤ人は神に選ばれた民族だ(選民思想)」という考えも他の民族から嫌われる原因に拍車をかけ、ついには「ペストを流行らせたのはユダヤ人の影響だ」「ユダヤ人は全員悪魔の手先だ」とまで考えられるようになります。
それがナチスドイツに代表されるユダヤ人迫害に繋がるのです。
そうして世界中から嫌われてしまったユダヤ人は、「神に与えられた場所」エルサレムに戻ることにします(シオニズム)。
しかし一度世界中に散り散りになっていたので、戻ろうとした頃にはアラブ人がエルサレムに住んでしまっていました。
そこで、このエルサレムを巡って「元々神に与えられてこの場所に住んでたのは俺たちだ」と主張するユダヤ人vs「お前ら一度出てったしそのあと住んでるのは俺らだからここはもう俺らの場所だ」と主張するアラブ人の戦いが始まり、いまに至るまで決着がついていない、という状態なのです。
しかし。ただの2つの民族の争いで終わっていればここまで拡大化、長期化することはなかったでしょうが、アフガン戦争、ベトナム戦争、朝鮮戦争etcと同様に、この2つの民族にそれぞれ色々な国がバックについたことによって、現在まで続く争いとなっているのです。
まずはじめに介入したのは紳士の国イギリス。
世界史を齧ったことがある人ならご存知と思いますが、イギリスは紳士の国なんていう2つ名が笑わせに来てるんじゃないかと思うくらい、自己中で傲慢で、世界中のあらゆる争いの原因を生み出している国です。
私は決してイギリスのことが嫌いではないし、むしろ好きな国トップ3に入るくらいなんですが、外交面で見るとそれはもう最低の国だということは否定のしようがありません。
それを代表するのがこのエルサレム、パレスチナに関する三枚舌外交。
第一次世界大戦の際、どうしても戦争に勝ちたかったイギリスは、
ユダヤ人に対しては、ユダヤ人から資金を得る代わりに、パレスチナにユダヤ人国家の建設を約束し(バルフォア宣言)、
アラブ人に対しては、アラブ人にイギリスへの加担をさせる代わりに、オスマン帝国の支配下にあったアラブ人の独立、そしてアラブ人のパレスチナでの居住を認め(フサイン=マクマホン協定)、
その裏で勝手にパレスチナの領土をフランスと分け合う(サイクス=ピコ協定)
という信じられないほど矛盾した外交を行ったのです。
ユダヤ人、アラブ人としては、お互いに「イギリスさんがここはお前らの場所にしていいって言ってた」という主張が生まれ、さらに争いがヒートアップしました。
そんな頃にはもう世界大戦も終わっていたのでイギリスは知らんぷり。
その結果、資金力、そして世界中に散らばっていたことにより世界中の国々とのパイプがあるユダヤ人が圧倒的優勢になり、この地域はイスラエルと呼ばれるユダヤ人の国になりました。
そんな背景があるので、アラブ人諸国の多くはイスラエルを国として認めておらず、今だに国交断絶している国も少なくありません。
そして住む場所がなくなったアラブ人が、イスラエルの極一部の場所にパレスチナという場所を作り、住むことにしたのです。それが今よく耳にするガザ地区、そしてヨルダン川西域になります。
仲の悪い人たちが近くで暮らしているため、当然争いは耐えません。
パレスチナはイスラエルに囲まれているため、度々イスラエルに攻撃されます。純粋な戦力で勝てっこないパレスチナ(アラブ人勢力)は、一矢報いるためにゲリラでの攻撃を行います。
そんなゴタゴタが続く中、第二次世界大戦後、冷戦と続き、ソ連とアメリカが、世界中のいろんな場所で喧嘩をします。
この争いはいつしか社会主義(ソ連)vs資本主義(アメリカ)という戦いになり、その構図は現在も変わらず、ざっくりロシア、中国、北朝鮮といった社会主義国vsアメリカ、西欧諸国、日本といった資本主義国の争いになっております。
その主義を背負った戦いが、パレスチナ問題にも影響し、
アメリカ側がユダヤ人(エルサレム)を、ロシア側がアラブ人(パレスチナ)を支持することになったのです。
それに加え、主義とは関係なく、サウジアラビア、シリア、ヨルダン、イラクといったアラブ人国家がパレスチナを支持したり、アラブ人国家であったはずのエジプトがアメリカと外交をしたいからエルサレム側に寝返ったり・・・と様々な要因が絡みに絡み合って、もうどうしようもない状態になってしまった、というのが現在の状況です。
そういったもう複雑化しまくった状況で、ガザ地区に住む、ハマスと言われる過激派アラブ人勢力が、突如エルサレムを襲撃したため、今回の紛争が勃発し、イスラエルの平和が一瞬にして失われてしまったのです。
この紛争が起こる前にイスラエルに行けてよかったと思いますし、同時に、一刻も早くこの悲惨な争いが終わって欲しいと心から願っています。
私はイスラエル、パレスチナ、どちらを支持しているわけでもありませんし、遠い日本に生まれ実質無宗教でこれまでの人生を送っていた身でどちらかを支持するなんてありえない話だと思っています。
ただとにかく一刻も早くこの凄惨な戦いが終わり、話し合いで解決する平和な社会になることを心から望むのみです。
決して綺麗事ではなく、実際に訪れた場所で悲惨な紛争が始まってしまったからこそ、より平和を願う気持ちも強くなったのかなと感じます。
これも、世界中を旅する意義なのではないかと思います。
そして、この件に関する日本の報道について。
日本はアメリカ様の子分なので、アメリカが支持しているイスラエルを支持する形となっており、テレビの報道でもイスラエル寄りの報道が多い風に見受けられます。
また、今回の紛争ではハマスが非人道的な行為を数多く行なっているため、「ハマス=悪者」という構図にしやすい状態でもあるのは事実です。
しかし、イスラエル側もこれまでハマスとなんら変わらない非人道的な行為をアラブ人たちに行ない続けていましたし、この争いはそれぞれの歴史や主張の上で発生しているので、断片的な情報に踊らされたり、感情で判断してしまうことは絶対に避けるべきだと感じます。
世界が少しでも平和になるために、どんなときも感情や断片的な情報で判断せず、常に客観的な視座を持つ事が大切だと思っています。
と。柄にもなく真面目な話になってしまいましたし、非常に長くなってしまったので、今回はこの辺にしておきたいと思います。。
次の記事では今回の旅のまとめや、おすすめ旅先ランキングの更新、今後行きたい国等を書いて行きたいと思います。
マジで長くなりましたが読んでくださりありがとうございました!!