見出し画像

無くしたことを忘れるのではなく、慣れていく。〜子宮とおっぱいを無くしてから〜

両側乳房全摘手術のあと、私は「喪失」ということを時折、考えるようになった。
47歳の時の子宮筋腫手術による子宮の喪失は、快適だった。
抗がん剤の使用で髪の喪失は少しはショックだったが、ある意味想定通りのできごとであり、すぐに慣れてウィッグなど楽しめるようになった。親しい友達や家族であれば坊主姿を見せることもできた。
ただ胸の傷はまだ見せられない。夫は見ているが、子どもにも見せられない。おっぱいがなくなることは頭で理解していたが、胸に残った傷痕を私自身が「痛々しい」と思っており、他人にそんな思いを抱かせてはいけないと感じているからなのだろうと思う。胸の喪失について、私はまだ受け入れきれていない。

喪失とは動詞であって状態ではない。
喪失する、というできごとのあと、喪失してしまった自分が現れ、
あとはその自分をいかに受け入れ、いかにその生活に慣れていくか。
私はいま「おっぱいをなくし、そのかわりに大きな傷痕が残った自分」を少しずつ受け入れ始めている。
確かにお風呂に入る前に鏡を見るたび、なんとなくがっかりはするが
前ほどのショックはなくなっている。
人とはこうして状態に慣れていくものなのだと思う。

医療の言葉にACP(アドバンス・ケア・プランニング)という言葉があり、これを厚生労働省では「人生会議」と名付けた。
人生の最終段階にあたって「どんな治療やケアを望んでいるか」「何を大切にしたいのか」ということを本人と医療者、大切な人達を含めてみんなで話し合おう、というものだ。これで強調されていることは、一度で終わらずに何度も話し合いを重ねることである。

人は変わっていくのだ。
「寝たきりになったら、もうすぐに死にたい」と言っていた人が、実際にそうなった後で、「歩けなくなっても人生の中に喜びはある。もう少し生きていたい」と変わることは普通にある。
人は環境に慣れていく。
その慣れ方は人によってさまざまではあるが、基本的に人は強くたくましい。
今ちょうど読んでいる「ホモサピエンス全史」でも、サピエンスほどさまざまな環境に適応して生存している種族はいなかった、と書いてあるが、
環境に適応する力こそが、私たちの強さなのだろう。
新型コロナで「自由な外出」を喪失し、最初は疲弊していた人達も、zoomを使ったコミュニケーションやおうちでの手作りマスクや料理など、少しずつその生活の中で楽しみを見つけ始めている。

もちろん喪失した状態に慣れることができず、
立ち直れずにいる人がいることも知っている。
大切な人を亡くして長く悲しみの中にいる人も知っている。
受け入れるには、慣れるには、時が必要だ。
それは失ったものの大きさにもよるし、その後の生活にもよるだろう。
慣れるまでは、人によってスピードが異なる。

事故や事件で突然、理不尽に大切な人を亡くして、人生が一変する人もいるだろう。
私がもしも女優やモデルやホステスという職業であったら、乳房を無くすということは生活を一変させ、生き方を変えざるえないできごとになっただろう。今から恋をしたい、子どもを産みたいという若さであったら、絶望したかもしれない。「おっぱいが大きい」ということをアイデンティティとして生きていたとしたら、生きていく自信を無くしたかもしれない。
同じものをなくしたとしても、人によってその意味も、その時も違うのだから、その状態に慣れていくのには、その人なりの時間や代わりのものが必要となる。

喪失には、グリーフ(悲嘆)がついてくる。
「喪失した」というできごとは消えることはない。
白い布の上についた黒いシミは、消えないのだ。
小さなシミなら気にならない。
けれども、大きなシミを見つめ、覆い被さるようにシミに涙を落とし続ける限り、そのシミはどんどんと広がっていく。
そのようにして布全体を薄い灰色で広げていく、そんな生き方もあるのかもしれない。

喪失したことは忘れられないし、なかったことにはならない。時が忘れさせるのではなく、時が慣れされるのだ。それが無くなってしまった日常を。それでも私は生きるのだ、と。黒いシミがあるからこそ、白さが際立つのだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?