幸せなおっぱい 〜乳がん手術の日〜
2019年10月21日(月)7時
本当ならば朝食の時間だが、今日は手術の日。朝から1日絶食となる。夜、下剤を飲んでいたが7時になっても出ない。
「出なかったら、浣腸しますから」とは昨日の夜から聞いていたが。
「浣腸しますから横向いて寝てくださいね。お尻だしますよ〜」
「はい、終わりました〜。3分〜5分我慢してくださいね」と看護師さんは帰っていく。3分〜5分ね。・・・いやいや、もうこれ限界。30秒くらいでもう限界。
トイレ間にあわんかったらどうするの?そうだ、ちょっとトイレまで移動しておこうか、なんて考えたのが浅はかだった。
一応、看護師さんによってティッシュで押さえられていたので、そのティッシュをおさえながらそっと歩きましたよ。でも、あんなに液体が垂れてくるのね。
「これ勝負パンツだから、手術の時にはいてね」と友達からもらった赤い勝負パンツ。彼女が手術の時も、友達からもらってそれを履いて手術室に行ったという。
はい、見事に手術前にダメになりました。ズボンもやられました。
これさ、個室だったから室内にトイレがあって、55歳にもなってそんな状況を誰にも見られずにすんだわけだけど、大部屋だったらどうなの?大部屋だったら、浣腸も他でするのかしら・・・。
「え〜これで出なかったら、看護師さん呼びにいって『浣腸我慢ができずにトイレに早くいってしまったので、もう一回お願いします』とか言うのか?」
なんて悩みながらトイレに座っていたら、昨晩の下剤も効いてちゃんと出た。ほんとによかった。
パンツとズボンを洗面台でもみ洗いし、新しいパンツをはいた。
手術の時に勝負パンツがはけなかった話は、友達にはできないままでいる。
9時、グレーの手術着に着替え、看護師さんと共に手術室に向かう。
使い古された手術着はジャージ素材で、浴衣のようにひもで前をとめ、肩から袖にかけてマジックテープでとまっている。肩を通さないでも、前からバッと脱がせられるようになっている。
10階からエレベーターで3階まで降りるが、その間、3回扉が開き、うち2回は同じグレーの手術着の人が同じように看護師さんと一緒に入ってきた。
さすが大きな病院は朝一番の「9時」からいくつも手術があるんだね。
夫は手術室の大きな入り口前まで。「では、行ってくるねぇ〜」と入り口に入ると、小さな子どもがお母さんの膝の上で泣いていた。
淡々と手術室に向かった私だが、寝台で横になった時に
「あぁ、本当にこれでこのおっぱいとはさよならなんだな」と改めて思った。
思い出したのは、小さな子ども達が私のおっぱいを飲んでいる姿だった。
おっぱい越しに見る、彼らの必死さが大好きだった。「必死」っていう言葉は好きな言葉ではないけれど、おっぱいだけで生命を維持していて飲まなければ「必ず死ぬ」わけだから、まさに必死なのだ。うぐん、うぐん、って音を立てながら子どもが吸うと、なぜか私のおっぱいから母乳が出てくる。
・・・いま不思議に思ったけど、母乳のことも「おっぱい飲もうね」って、乳房と同じ「おっぱい」って言うね。それはほぼ同一のものってことなのか。
私のおっぱいは、幸せなおっぱいでした。
私にたくさんの幸せな思い出をくれた。
幸せなおっぱいだったなぁ、おっぱいありがとう、と思ったら、ツーッと涙が流れた。
腕には麻酔の点滴が入って動かすことはできずに涙は流しっぱなしになり、そのまま意識がなくなった。
おっぱいの柔らかさに癒やされるのは、子どもだけじゃなかった。私自身もなにかあると、ふと自分のおっぱいを触って癒やされていたような気がする。
腕を前で組んで、脇の下ぐらいで指先でおっぱいをトントンと触る。これまであまり意識したことがなかったが、そういうことをよくやってきたような気がする。
がんになったとわかった時に相談した友達から「セロトニンを出すために、よく寝ること、ちゃんと食べること、そしてふわふわしたものを触ること」と言われた。
そのときにはふわふわしたものを触るだけで、人や癒やされるんだなぁ、みんながぬいぐるみやクッションを無意識に出している意味がわかったわ、と思ったが、そうか私も今まで自分のおっぱいに癒やされていたんだ。
ほんとにありがとう。大きすぎず小さすぎずかわいいおっぱいでした。