ルーキーの個性と没個性
「不安定は自由。安定は不自由。」
プロレスラーに安定はない。団体からスター選手としてプッシュされたとしても、観客に認められなければ永遠に主役になれないし、跳ねたとしてもそれを維持したり若い世代のからの突き上げを叩き返さねばならない。何より怪我という大きな敵とも常に戦い続けなければならず、安定という場はないに等しい。
そう、プロレスラーはキャリアを通じて不安定な職業である。安定を求めて引退を考えてり副業がいつの間にか本業になったりする選手も少なくない。逆に言えば、プロレスラーは不安定=自由な職業でもある。
この場合の自由というのは「好き勝手にやっていればお金が稼げる」ということではなく「自分の思いのままのパフォーマンスで支持を集め、自分の力で商品価値を高められる」というもので、その自由に価値がなければ地位もポジションも変わらずくすぶったままなのだ。
そんな不安定且つ自由な表現者であるプロレスラーになるには、自分が選んだ団体に入門し、練習生としての期間を過ごした後、観客の前で試合することが認められデビュー戦が決まりようやくプロレスラーを名乗れる、という流れが定例である。
ただし、デビュー後の選手個々の見せ方や振る舞い、ファイトスタイルは団体によって様々だ。自由と不自由、個性と没個性、各団体の異なる育成方針には一長一短があるといえよう。
日本で一番歴史のある老舗団体の新日本プロレスと全日本プロレス。
新日本の新人選手は鳴り物入りで入門し華々しいデビュー戦を行う選手以外は基本的に黒のショートタイツと黒のリングシューズのみ。これが新日本を象徴するビジュアルであり伝統。
若手選手はヤングライオンと呼称され、デビュー後はしばらく派手な技を使わない若手然とした試合を求められている。それは観客に向けてだけではなく、新日本という看板を守るべく基本基礎だけで試合を組み立てられ自己表現ができるようにするためだ。
「飾りはいらない、強さだけあればいい」というストロングスタイルの伝承的「没個性」。わかりやすく言うと「無課金プレイヤー」状態。毎日ログインすればコインも手に入り、このあとは状況に応じてあらゆるものを装備していくだけ。丸裸に近い姿を晒すからこそ、凱旋帰国したときの変化がより一層際立つのである。
ヤングライオン期が幼虫だとすれば、海外修行がさなぎ。そして凱旋したとき一人前の煌びやかな蝶になる、というとわかりやすいだろう。
一方、全日本では黒以外の単色系のショートタイツにそれに合わせた色のリングシューズが主。ただし色が明るいだけで、余計な飾りも柄もそこにはない。あくまでシンプル、これが基本。
全日本でよく聞くエピソードが「急遽デビュー戦が決まりタイツとシューズの発注が間に合わないため、先輩のお古をいただきそれを着用して試合をした」というもの。このおさがりシステムもデビュー戦が鮮やかな色のタイツの理由のひとつなのかも。
そして何より、創設者である馬場さんが赤色のタイツを着用していたのでその明るい色を伝承していると思われる。当時からすれば、馬場×猪木というライバル関係から新日本への差別化もあったはず。赤×黒、受け継がれるタイツの色はふたりの象徴でもあったのだ。
ともに団体創設者がいなくなった現在、全日本では新人選手でも黒いタイツの着用が多くなり、新日本ではヤングライオンの伝統が今も続いている。
他の団体を見ると、DDTでは「新人選手の黒パン禁止令」が出されているほど。「没・没個性」ともいうべき育成方針だ。
団体のカラー同様に選手にはデビューと同時に個性が求められる。というか、強烈なインパクトを持つ先輩方が多数いる中で自分にしかない個性を出さないと、この団体に属する意味すら消されてしまう。それほどまでに自己発信力が問われる、文科系プロレス特有の良く言えば放任主義。そこにはキャリアの長短は関係ない。
無課金プレイヤーとは真反対のDDTは「新規登録すれば大量のコインがもらえるよ」状態。ただ、どのアイテムを選ぶかはプレイヤーのセンス次第という。
また、女子の団体及び選手はというと、コスチュームはデビュー戦から衣装として完成されたものが多く、数十年前の飾りっ気のない競泳水着1枚、というのは現代ではコンプラ的に逆に難しいのかもしれない。体のラインや華やかさを強調し、お客さんにルックスやキャラを強く印象付けられるのは垢抜けた女子選手だからこそ可能なことで、プロの表現者として不可欠で大切なファクターかと思う。
他にも独立系の団体ではマスクマンとしてデビューしたり、デビュー戦がタイトルマッチだったりというケースも珍しくない。デビュー戦で地元凱旋興行なんていうのもある時代。キャリアと地位がある選手が逆に黒いショートタイツと黒いリングシューズのままだったら、むしろそれが個性になる逆転現象を生んでいる時代。
このように、老舗団体は伝統を守り続けることを見せ、インディー団体や女子選手は伝統や歴史に捉われず新しいものを見せる、というのが新人選手のコスチュームやファイトスタイルによる個性である。
ではルーキーにおける個性と没個性、自由と不自由、どちらが正解なのだろうか。
新日本のような新人時代の没個性はあえて自由を剥奪すること。ただ、その間はゆくゆく手に入れられる自由のためにプロレスラーとしての基礎をしっかり学び肉体的にも精神的にも成長だけに特化した環境にいられること。約3~5年と決して短くはない期間だが、一概に没個性が不自由ともいえない。
DDTのようにいきなり個性を出せるというのは自分の思うまま自由にやって良い、ということだが、逆の言い方をすれば反応もわからない状態のデビュー戦から個性やセンスを求められるわけで、実はとてもシビアなことでもある。
これは新人選手にとっては酷なことだが、仮にここで自己主張が成功した場合、いきなり飛び級で注目されるというチャンスが最初から転がっている、ということでもある。実際にデビュー直後に跳ねて一気にトップ戦線に入り込んだり、あらゆる形式の試合にチャレンジしている選手も多く出てきている。
個性を求める団体、個性を消す団体、それぞれの教育方針が明確な今、これからプロレスラーを目指す人にとって選択肢が幾つかあるのは良いことかと思う。そして、日本のこの育成システムが素晴らしいのは各団体の方針が旗揚げから何十年間も一貫していることで、新人のカラーがそのまま団体のカラーに繋がるのは他団体との差別化が自然と行われ、ファンにとってもわかりやすい。
見る側もそのつもりで見ている。プロレスラーにとってデビュー戦はもちろん新人と括れるキャリア内はその選手の「成長期」であることは見る側はしっかり認識している。ヤングライオンを見て「こいつら全員同じ格好して同じ技ばっかしやがって」とも、新人女子選手を見て「新人のくせして派手なコスチュームに小慣れたアピールばっかしやがって」とも思わないはず。むしろそうじゃないと見る側が困惑してしまう。
運営方針変わると、団体の未来も大きく変わるからだ。
プロレスにおいて個性はとても大事である。自分にしかできないもの、自分だからこそ輝かせるものを察知し、伸ばし、不変のものにする。プロレスは成績以外の自己プロデュースによる印象という部分で脚光を浴びることができる、他に類を見ない競技である。
ただ、ひとつ忘れてはいけない重要なことがある。
個性が光るのも、その根本に「強さ」があるから。
あくまで「個性=影響力」であって「個性=強さ」ではない。プロレスラーとしてまず強くないといけないし、強くならないといけない。強さを求めない者に絶対に個性は生まれない。プロレスにおいても他のどんな競技においても、強さは最大の個性になる。
仮にデビュー戦で完成された個性を見せつけたとしても、新人時代の個性のままキャリアを終える選手はほぼいない。むしろ、それほど早くに完成され何も変化がない選手を見ていても面白味を感じない。個性なんてものはいつでも変えられるしいつでも上書きできる。
なので、キャリアにおいて新人と言われるうちは、どれだけ閉じ込められたとしても、黒歴史になりかねない奇抜なキャラであったとしても、プロレスの基本を学び肉体も精神も強靭にさせながら、来るべき日に備えそれぞれの個性を蓄積させてほしい。
そして、その団体で最高に輝き、ゆくゆくはプロレス界そのものを牽引する選手を目指してほしい。プロレスを天職にしてほしい。あらゆる新人選手にそれを願っている。
新人時代というのは、プロレスのことだけ考えられる贅沢な期間、そしてプロレスラーとしての責任感を生む期間、そう私は思う。
全日本プロレス、6.17大田区大会。
昨年9月にデビューした安齊勇馬選手が、僅か9ヶ月のキャリアで団体最高峰のタイトルである三冠ヘビー級王座に初挑戦する。大抜擢だ。
黒タイツ黒シューズの安齊選手。この大一番で「強さこそ最大の個性」であることを証明してくれるか。そして、プロレスラーとしての輝きをさらに強められるか。
注目の一戦が控えている。