内藤哲也が2023年2月22日に得た想念
◆◆◆この記事は、2023年3月10日に書きあげたものです。まだ3か月しか経ってないのに随分前のことのように感じるのは、プロレスが止まらず日々動いていることの証明ですね。(そのときのまま補足・修正せずに公開させていただきます)◆◆◆
2023年2月21日。東京ドームの中心に置かれたリングの上で30,096人の観客が最後に目にした光景は、この日の主役である武藤敬司、そしてまさかの蝶野正洋、このふたりの最後のシングルマッチだった。引退試合後にサプライズで武藤が対戦要求し、それに応えざるを得なかったというよりもこの時を待っていた蝶野との緊急特別試合。夢のような1分37秒を観客は目に焼き付けていた。かつて憧れていた選手の引退試合で勝利した内藤哲也はその10分前、既にバックステージへ引き上げていた。その空間にはもう内藤哲也の残り香はなかった。
この日は完全に武藤敬司が主役の舞台だった。そして想像以上に観客も他の選手も強烈なインパクトを見せつけられた。武藤が生んだ言葉に「思い出とケンカしても勝てねぇよ」というものがあるが、それに最後の最後で勝ってみせた。いや、自身が思い出になった瞬間だった。誰にも媚びず最後まで自己顕示欲を押し出す武藤敬司というプロレスラーは最高の「思い出」を残し、引退試合大会を無事に終え、観客は「今日見に来てよかった」と笑顔と涙が混ざった表情で呟きながら東京ドームを後にし、大きな余韻を残して大会は大成功で幕を閉じた。
…で良いのだろうか。ネットや専門誌で武藤敬司視点の記事はたくさん目にしたが、対戦相手の内藤哲也かはこの試合をどう捉えどう変化したのか。「異なる方向から見ればテーマも印象も大きく変わる」のがプロレスの楽しみ方のひとつならば楽しもう。この試合に関わった内藤の心境を考察しないのはもったいない。
内藤哲也はプロレスに夢を乗せている。それは今もそうだし、キャリアをスタートさせたとき、そしてプロレス好きの学生だったファン時代もそうだった。
その内藤少年がプロレスを「夢を見させてくれる場所」から「夢を叶える場所」に変えたのは、1997年6月5日の日本武道館大会を観戦し橋本真也とのIWGP戦に敗れた武藤敬司を見たことがきっかけだった。
プロレスラーとしてデビューした後もファンから武藤敬司のコピーという印象で見られていた。武藤や棚橋のようなヒーローになりたいと思う気持ちが空回りし過ぎて、やっかみに近いブーイングを浴びた。プロレスラーとしてのセンスは抜群なのに何もかもうまく運ばず観客から認めてもらえなかった。虚勢を張って強がって見せていたけど、正直、ファンから見てもどこか頼りなくて不安に感じてしまう部分もあった。でも、真っ直ぐに自分の信じた夢を追いかけるしかなかった。
まだもがき苦しんでいたあの頃、プロレスを見たことがない人数名と新日本プロレス両国国技館大会を観戦したのだが、大会終了後に「どの選手が印象に残ったか」と質問すると内藤の名前を挙げるものはいなかった。それどころか、初観戦の人からも「プロレス全然詳しくないけど、あの選手は華を作ろうとして作り出せていない」「やりたいことはわかるけど、自分の身の丈に合ってないというか、自分がコントロールできてなくて見ている側が戸惑っちゃう」と一刀両断されていた。まさか初心者にも同じような印象を与えるとは、内藤はやっぱりジーニアスじゃないか、と揶揄したのを思い出した。それくらい首尾一貫で迷っていた。
その後一念発起してLOS INGOBERNABLESと出会ってからの内藤の飛躍は知っての通り。猪木が新日本を旗揚げしてなかったら、棚橋が誘いに応じて全日本に移籍していたら、に続き、内藤がL.I.Jを結成してなかったら、は俗に言う「新日本プロレスたられば」のひとつかと思われる。
そして2023年。1.21横アリのメイン終了後、武藤直々に引退試合の相手として指名されるまで昇り詰めた。
海外の超大物や歴史を振り返るような過去の対戦相手ではなく、これまでほぼ接点がなかった内藤哲也を武藤敬司が指名したときは正直驚いてしまった。大丈夫か?テーマはあるのか?と。
ところが、試合に向けての作品作りが始まり、武藤からのコメント、そして内藤の過去を照らし合わせると、この選手こそ引退試合の相手に相応しいとしか思えなくなったのは、武藤マジックであり内藤の真っ直ぐな夢への向き合い方によるものだろう。
現実がどんなに思い描いたものではなくても決して自分の信じたプロレスを諦めなかったのは、内藤哲也にプロレスは自分の夢を叶えられる場所だからという信念があったから。その結晶でもあった。
2023年2月21日。東京ドーム。確かに武藤敬司の対面に内藤哲也は立っていた。
30分近い試合をし、圧倒する形で勝利を収め、憧れだった選手の介錯をした。
ところが。
試合後、武藤から感情が薄い握手を求められ、退場するよう唆され、自分のいないリングで「灰にもなってねぇよ」と言われた。そして蝶野を招き入れ、本当の引退試合が始まった。
これは武藤による現役選手への最大限の抵抗であり、同じ時代を生きてきた同期や同志たちへの賛辞と労いでもあった。遠慮や恩情を考えず全ての印象をかっさらう武藤敬司という存在の恐ろしさを叩きつけられた。
内藤哲也は、憧れの選手の歴史を閉じ、思い出の領域へ引導した。しかし、思い出まで葬り去ることはできなかった。これまで武藤が苦しんでいた見えない敵が、ついに内藤にも圧し掛かってきた。プロレスの歴史が継承された瞬間でもあった。
果たして、あの日の東京ドームの最後の景色を、内藤は思い描いていたのか。
おそらく、少なからずは「やられた」と感じたに違いない。きっとファン時代の内藤少年、そして一方的な憧れをぶつけるだけだった以前の内藤なら落胆し悔しさを隠し切れなかっただろう。
ただ、今の内藤には焦りも迷いも感じられなかった。バックステージで内藤は少年のときの自分ではなく、あくまで現在の内藤哲也としていつのも調子いつもの口調でコメントを残した。その表情はファン時代の嬉しさや感傷的なものではなく、明日以降の未来を思い描いているプ
ロレスラーの顔だった。これが去っていく選手と今も戦い続けている選手の差ですよ、と見せつけんばかりに。
ファン時代のことを考えれば感傷的な言葉や感謝の気持ちを表すことを選ぶのだが、それを一切見せることなく、ここでピリオドを打ち引退する選手とこの先時代を創っていく選手との差を見せつけることで武藤の世界観に対抗してみせた。思い出とケンカすることを選ばず、思い出をスルーすることがプロレスラーとしての内藤哲也の意思表示であり、憧れていた選手への全力の手向けだった。それができること、何よりそれを観客が認めること支持することで、またひとつ内藤哲也の価値が上がったのは間違いない。本心は見えないがその佇まいでこれからのプロレス界を背負っていく覚悟を見せつけてくれた気がする。
2023年2月22日。東京ドーム大会の翌日、高松市総合体育館で開幕した新シリーズ。第4試合。歓声が出せるようになった768人のファンから東京ドームに負けないくらいの大ナイトウコールで迎え入れられリングへ歩みを進める内藤哲也の表情は憧れの選手を介錯した虚無感はなく、大仕事を成し遂げたあとの充実感で満たされ、いつも以上に余裕と貫録が出ているように見えた。存在感も前にも増して大きくなっていた。迷いなど一切見えず、自信の塊のようだった。超えたとか超えられなかったとか、どうでもいい。大事なのは今プロレスを見に来てくれるお客様が誰の試合を楽しみにしているかでしょ、とでも言っているように。
先代のプロレスラーたちが呪縛され歩んできた「思い出との対戦」を経て、そうなることは想定内だったかのように全ての毒を受け入れた内藤哲也は、いよいよ新しいステージ、更なる高みに到達したのではなかろうか。
きっと、1997年の内藤少年が2023年の内藤哲也を見たら、芯が太く行動がぶれず何にも染まらないその個性に惹かれ憧れただろう。内藤哲也は2.21後に得たこの自信に満ちた表情をあの頃の自分に見せたかったのかもしれない。あの武藤敬司を相手にしても迷うことがない凄いプロレスラーになれるんだぞ、と。
そして数十年後、今の内藤哲也に憧れてプロレスラーを志し、経験を積んで自信に溢れた選手が自身の引退試合の相手になる。そんな景色を思い描いていることだろう。
ただ、それはまだまだ先の話。トランキーロ。