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やりたくないこと、をやめたその後

息子から「大学を休学したい」と聞いたのが4月の終わり頃。
GWが明け、ようやくその手続きに動き始めた息子です。


休学したい宣言をし、本人も
「休学決めたら気持ちが軽くなった」
と晴れやかな顔。
息子を覆っていたどよーんとした気も、日に日に軽くなっています。

そんな息子が先日の夜、高校の友人達に会うと言って出かけ、翌朝早くに「今山梨」とLINEを送ってきました。
「どういうこと?」と私は混乱。

どうも友達と別れたその足で、突然思い立ち、山梨に住む私の母を訪ねようとしている、その途中だったようです。
そのまま母のところで二日間を過ごし、帰る間際に、母に連れられて伯父宅に行ったとか。

帰宅してから、山梨であったこと、その中で感じたこと、思ったことを話し続けています。
母にも、十数年ぶりに会った伯父夫婦にも歓迎され、存分にもてなされ、話もはずみ、とても楽しい時間を過ごしてきたようです。

「大学に行かなければ
   でも行く気にならない
   俺って何やってんの…」

そんな考えの中に閉じ込めていた自分自身を解放した途端、
やりたいことが出てきた時に、何も考えずに軽やかに行動して、結果とても楽しく充実した時間を過ごすという体験があった。

憂いが無いというのは、こんなにも人を変えるのかと思いました。

逆に、気がかりがあると、その気がかりがその人の足についた錘となり、どれだけ行動を制限するのか。
それは先日まで私が見ていた息子の姿でした。

「おばあちゃんに会いに行こうかな」は
息子がずっと言い続けていたことでした。

「オレ、こういうことしたいんだよね。
おじさんとかおばさんとか、親戚ともっと会って、色々な話を聞きたい。みんな凄い面白いエピソード持ってるから、そういうのもっと聞きたい。
本当はアメリカの親戚にももっと会いたい。
もっと話をしたい。みんなに会いたい。
将来のこととか話してみたい。
考えを聞いてみたい。人と話すのが楽しい」

本領発揮だね。そう思いました。
息子が素で生きているのが伝わってきます。

〝やりたいことをやる〟って
本当に特別なことではないんだな、とつくづく思いました。

友達に会いたい
おばあちゃんに会いに行きたい
おばあちゃんが手伝って欲しいことがあったら、手伝いたい
親戚の人たちともっと会いたい
みんなと話したい

こんなにシンプル。

でも〝気がかり〟や〝やりたくないこと〟があり、その比重が自分にとって大きければ大きいほど、シンプルなことにさえ取り掛かるのが億劫になることがある。
なぜなら足に〝気がかり〟や〝やりたくない〟の錘がついているから。

動けない時は、先に気がかりを解消したり、自分とって〝重いこと〟を取り敢えずやめてみるのは、思っている以上に効果が大きいなと感じています。(息子の場合)

「免許が取りたい」と教習所に通いつつ、当日になると行かないことが多かった息子。
一体なぜ?  と思っていたのが、
それもあっという間に完了させ、あとは免許センターで筆記試験を受けるだけになりました。

そんなに大学のことが重かったのか。
本当に、人のことはわかりません。
本人のことは本人にしかわからない。

葛藤しながら自分で考えて、気づいて、決めて、動く。
〝自分で〟というのが大切だと思う。
思えば、そうやって、息子は何度脱皮してきたのでしょう。
脱皮作業、毎回結構大変だと思います。

ところで、一年休学するのかと思っていたら、半年なのだそう。

「大学の友達が、絶対に半年で連れ戻す。
引きずってでも連れて行く。って言っているから」
と教えてくれました。
えーっ、嬉しい。
そう思ってくれる友達、ありがとう。
 
「オレも一年休んだら戻れる自信がない」

軽やかさを取り戻した息子は、最近とても饒舌で話す機会が増えました。
そして私は話を聞きながら、息子は案外自分のことをわかっているのだなと思っているこの頃です。

今日も幸せな一日でありますように。

Love & Peace,



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