「俺か、俺以外か」
「俺か、俺以外か」by ローランド
今更ながら、ローランド氏のこの言葉にはまっている。
これって核心をついているのでは?
ここのところ、
「どれだけ『純わたし』を濁らせないかだわ」
と思っていたところに、久しぶりに目にした冒頭のセリフ。
そうだ。その通りだ。
「私か、私以外か」だ。
この世には「私か、私以外」だ。
ズバっと刺さってきた。
全員、全生物「私か、私以外」
私以外が入ったら、私は濁る。
そんな唯一無二の『私』と、「私以外」を照らし合わせて、お互い押しつけて、ヤキモキザワザワ、これは滑稽だ。
『私』のすることは、その唯一無二の『私』を純粋に生きること。
それしか出来ない。
『私』に「私以外」は生きられない。
私には「私以外」の何かが貼りついているのがわかる。
特にそれは、観念となって私の中にいる。
そして私をコントロールしようとする。
『純粋な私』を混乱させ、濁らせる。
でも、ソレ脱いでも剥がしてもいいよね。
『私』じゃないんだから。
着ぐるみは重くて暑い。
純粋に私の色を発している個体同士が交わり、そのグラデーションが世界の色になるのではないか。
共生、共創というのはそういうことではないのかな、と思ったりする。
「俺か、俺以外か」と、ローランド氏がどういう意味で言っているのかは知らないけれど、彼のこの言葉にはまっている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
今日も幸せな一日でありますように。