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わかるって何?2
こんにちは、丹野です。前回、「わかるって何?」という記事を書きました。
この記事では、何かをわかるための第一歩として”違いを区別”できること、そのためには知覚を高めることの重要性に触れました。今回は、区別したあとの「同定」の必要性について触れたいと思います。
同定って??
ところで「同定(Identification)」ってなんなんでしょうか?細菌分類学では、分類、命名、同定、系統の4つに分けた上で、「同定とは、分類と命名の実際的な適用」と定義しています(駒形, 1993)。知りたい対象の詳細を調べ、すでに明らかになっている種類と比較して新しい種かどうかを決定することのようです。一方、機械分野では、”設計や解析の対象となるシステムや構造系の未知の特性を実験やシミュレーションで推定すること”と定義しています(機会学会)。こちらは計測データからモデルを構築するためのアルゴリズムや計算式を指すようです。誤解を恐れずに言えば、現実結果をもとにして予測モデルを構築するための記述作業です。現実とシミュレーションの比較ということとも読み取れます。
化学分野や地質学分野など、他にも多くの分野で同定の定義がありますが、総じて「知りたい事象と同じ事象があるかどうかを調べる」ということのようです。なんとなくですが、わかった気がしますが実はわかっていません。。。
前回、”ある事実について、知覚を経て自身のこころの中に心像(メンタルイメージ)をつくりあげる”ことに触れました。このつくり上げた心像が、知識や経験から既に知っていることなのか、知らないことなのかの作業が「同定」ということですね。
山鳥先生曰く、心像は2つあるようです。1つは前回触れた知覚を経て作り上げる心像で、こちらを「知覚心像」と呼びます。もうひとつは、過去の経験などから蓄積された記憶で、こちらを「記憶心像」と呼びます。知覚した事象を同定するには、同じものがあるかどうかや、似たものがあったときに同じかどうかを重ね合わせる比較対象が必要となります。その役割を記憶心像が担うというわけです。
記憶って何?
では記憶ってなんでしょう。これもまた難しいです。記憶を一言で表すと、”過去に経験したことを忘れずに覚えておくこと”ですが、藤井先生によれば「自己の経験が保存され,その経験が後になっ て意識や行為のなかに想起 / 再現(表現)される現象あるい はそれを支える機能」とのことです(藤井, 2013)。また、心理学の観点からは”記憶=学習による変化の保持”としています。
一言で記憶といってもその範囲は広いですよね。身体で覚えていたり、食べ物の香りを嗅ぐことで思い出したり、昨日のことは具体的に覚えていたり、、、
記憶は、言葉にできるかどうか(陳述or非陳述)で分けることができます。記憶を言葉として表すことができれば他の人に説明したり尋ねたり、共有することができますよね。これを陳述記憶と呼びます。陳述記憶はさらに2つに分けることができます。1つは「出来事(エピソード)記憶」です。これは、昨日の夕食の場面や1週間前の旅行など、ものすごく具体的に覚えている記憶で体験によって得られます。もう1つは「意味記憶」と呼ばれるもので、人の顔や声から人物を思い出したり、食べ物の絵を見て味を思い出すといった記憶です。この2つとも記憶という範囲では同じなのですが、いろいろ違いがあるようです。この違いをTulvingという研究者が調べて整理しています。すごいですね。
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https://www.jstage.jst.go.jp/article/apr/18/3/18_3_182/_pdf
一方、言葉にできない記憶もあります。代表的なものとしては、鉄棒の逆上がりといった感覚が優先する運動があります。”体で覚えている”というやつで、こちらを非陳述記憶と呼びます。子供のころから自転車に乗れる人が、何十年もの間、自転車に乗っていなくてもすぐに乗れることもこの記憶に該当します。
かなり暴走気味ですが、過去の経験や知識を”記憶できていれば”、同定は可能になります。つまり”わかる”ことができるわけです。わかったことを”言葉や文字として伝えられるかどうか”は別の話です。例えば、バイク好きの方が友人に「乗れば違いがわかる!」と話すことがありますが、本人は違いがわかっている状態だと思います。長嶋茂雄氏がバッティング指導する際の「スーっときたボールをガンと打つ」というのも同じではないかと想像しています。
では、人はどういうプロセスでものごとを記憶するのでしょうか。また、何かがわかると何が良いのでしょうか。このあたりを次回、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。