見出し画像

責任って何だろう?

こんにちは、丹野です。お盆期間ということもあり仕事休みの方も多いと思います。こういう時にこそ本を読む!という方も多いのではないでしょうか。私も本を何冊か読み終えました。その中で、まだ整理できていないですが印象に残った2冊をコラムに書こうと思います。

重度障害者のお子様を持つ生物学者/社会学者である最首氏の書籍です。当時、中高生だった3名が最首氏との座談会を通じて、”人が生きることとは?”という問いに向き合うというものです。座談会では水俣病や、やまゆり園事件を題材として人を評価することの難しさ、社会的合理性や優生思想に陥ることの怖さを中心に議論をすすめています。

最首氏によると、人間とは人の間(あいだ)であり人と人が関係するところ、すなわち2名以上の人が居る”場”を指しています。「自他未分」や「通態」、「風土」というキーワードが出てきますが、これらに共通しているのは”明確な境界線を引かずに、あいまいにつながっている”ということではないかと理解しています。例えば、家族や友人と会話をするときに主語がなくても会話が成立したりすることがあるように、日本の社会ではあまり違和感がないように思います。

明治以降、欧米の文化が日本に急速に流入してき他ことでさまざまな点で欧米化が進み現在に至っています。最首氏は欧米の文化や思考が入ってきたことで日本が競争的思考に変わり、人に対する能力評価主義に変わってきたのではないかと主張します。この流れが優生思想に繋がったり、過剰な自己責任論、あるいは差別に結びつくのではないか、ということです。

こちらは、”ことば”によって社会がどのように変わっていく/変わらないのか、ということを整理した書籍です。

私は、価値観が五感で感じられる状態になったものが文化であり、言葉も文化の1つとして捉えています。書籍の中でも出てきますが、”なんとかハラスメント”に代表されるキャッチーな言葉が広まることで、社会も大きく変化します。これには良い面ばかりではなく悪い面が含まれます。良い面は悪き習慣がなくなることですが、悪い面として”意味がなくなる(ウォッシュされる)”があります。パパ活なんかが代表例ではないでしょうか。パパ活はいわゆる売買春行為ですが、軽い言葉にすることでちょっとした遊びのように聞こえてしまいます。

また、 書籍の中で中村氏は、日本人は自らの意思決定よりも周囲が正しいと思っている正しさに従うことを重視すると主張しています。私もそう感じます。日本では空気に支配された正しさ、何だかよくわからないけどすでにあるルールを遵守する傾向が強いように思います。

これら2冊を読んで感じたことは「責任とは何か?」という問いです。責任に関する論についてはレヴィナスやハートといった哲学者の考えが参考になりますが、とても難しくなかなか整理ができていません。もう少し時間をかけて整理していきたいと思います。


いいなと思ったら応援しよう!