責任って何だろう3
こんにちは、丹野です。
気がついたら2ヶ月ほど投稿をしていませんでした。反省。。。
何も書かずに今年を終えるのも気が休まらないので少しでも何か書こうと思います。
近年、従業員エンゲージメントやモチベーションが企業業績にポジティブな影響を与えるという認識の広がりを見せています。その流れの中で、従業員のやりがいや働きがいを自身で明確化するためのフレームワーク?として”Will-Can-Must”という概念が広がっています。
この概念は本人による本人の理解促進ツールなので良し悪しは何もないですが、人材育成関連の人や人事周りの人と話していると、”Will”にフォーカスしすぎているような気がして違和感を感じています。
この違和感を解消するヒントが次の本の7章に書かれていましたので、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。
鷲田先生のこの本の7章に子育てやボランティアを例として、責任の観点から”したいこと、しなければならないこと”について書かれています。
ここでは、必要な何かの行動を、①自分のしたいこと、②自分がしなければならないこと、のどちらからアプローチするのか、そのときに責任(Responsibility)に対する日本と欧米の捉え方の違いに触れながら説明しています。
近年、よく見聞きする「この仕事は言われたからやっただけです」「悪いのは私ではありません」という発言の背後には義務は果たしたが責任は果たしていないことを個人的に感じます。以前のコラムで、日本において責任があいまいになる理由について触れました。
日本で責任があいまいになる理由として、文化的背景(責任を負うことで将来の不確実性が増し不安になる)を挙げていますが、
どうもそれだけではなさそうです。
鷲田先生によれば、日本での責任は国家や組織という”匿名の役柄”に対する責任であって、特定の個人に対する責任という含みはない一方、欧米におけるResponsibilityには、神を含む他者からの呼びかけに個人として応じることを意味しているとのことです。
責任とResponsibilityの間には、非常に大きな意味の違いがありそうですね。まだまだ理解できていないことが多いので今回はここまでになります。