閉架図書 (短編小説)

閉架図書は地下にあった。寂れた町の、寂れた図書館の、さらに寂れた閉架図書が、私の居場所だった。私だけの居場所だった。

*

図書館に入ると、司書席に、顔なじみになった司書の中年女性が座っていた。彼女は汗かきで、特に今年の夏は暑かったから、彼女の額にはいつも、大粒の汗が、化粧の上に浮かんでいた。アイシャドウやマスカラも汗のせいでにじんでいた。また、白のシャツにも、脇のところに汗じみが浮き上がっていた。夏なんだなと、私は思った。
「閉架に行きたいんですが」いつものように今日も私はそう言った。
「はいはい」司書の中年女性が、閉架図書への入室記録簿を渡してきた。私はそこに氏名を記入する。毎日のことだから、私も司書も、慣れたものだった。
「夏休みも毎日来るね」司書が私に話しかけてきた。汗で額に張りついた長い髪の毛から、にっこり笑顔がのぞいていた。マスカラの黒もお化粧の白も、じっとりにじんで、彼女の顔は全体的にぼやけてしまっていた。
「夏休みも毎日です。平日も毎日。私は、不登校なので、ここの閉架図書が学校みたいなもんです」と私は、言った。高校に通わないのに、閉架図書に毎日通って、読書をすることが、なんとなく誇らしかった。
「そう」司書は、言った。

一階の自由図書には、司書と私を除いて、人は誰もいなかった。ぶぶぶぶぶと、エアコンから冷たい空気が流れて、図書館なのに、騒がしいなと思った。

*

閉架図書は地下にある。地下への階段は、固いコンクリでできていた。壁も天井も、固いコンクリ、夏場はとくにジメジメして、湿気がひどかった。階段は、十五段くらいあって、地下は奥深かった。蛍光灯は、裸電球で、昼間なのに薄暗く、その階段は、まるでトンネルみたいだった。底へ向かって、階段を降りていくと、足音が、壁と天井にコツコツと反響して、私以外にも何人かの人が、階段を降っているような気がするほどだった。でも誰もいなかった。
階段を降りると、三十畳程度の広さの、地下の図書室になっている。背の高い本棚が、縦に横に、壁になって、空間を切り裂いて、窮屈に、ぎゅうぎゅうと、その三十畳のスペースを、潰している。
私は、本棚のあいだにできた、細長い、直進の道々を、迷路をたどるように、目線をきょろきょろさせながら、面白い本はないかしらと物色して、ちょっと気になった本を、二、三冊、抱えてしばらくうろちょろして、そして、メインの本を手に取って、机に座った。
閉架図書には机が一台しかなかった。やや大きめの学習机だった。ここ数ヶ月は、私しか座っていないから、もはや私の机と言ってよかった。椅子も、ヨーロッパのアンティーク風で、背もたれに、縄文土器のような飾り模様がついていて、格好良かった。こいつも、私の椅子だ。閉架図書も、この空間も私の空間。だって、私以外、だれもここには、入ってこないんだから。
私は、机の上に、本を置いた。メインに読むを本を中央に。辞書とか、ちょっと気になった本は、わきに置いている。
メインの本は、「ギリシア語聖書マルコ福音書読解」という古い本。ギリシア語辞典とギリシア語文法辞典を傍に置く。ちょっと気になった本は「全集近松門左衛門」一巻と二巻。傍に置いた本は、ごつごつしている。「マルコ読解」は小ぢんまりしている。しかし、解説や註釈が、しっかりしている本だった。
マルコを読む。ギリシア語聖書、ここ数ヶ月、ずっと読めないなりに眺めていると、なんとなく読めるようになっていた。本文を読み、註釈を見て、文法書を見て、辞書を引いて、ノートに単語の意味やら品詞やらをメモしていく。延々その作業を繰り返す。
飽きてきたら近松門左衛門を読んでみる。日本語、古文はむつかしい。意味はよくわからないけど、語呂が良いからおもしろい。

…だけど高校に通ってないと、古文もギリシア語もちゃんと読めるようにならないのだろうか。「ちゃんと」「まともに」「それなりに」…
ちゃんと読める。ちゃんと社会人になれる。ちゃんと生きれる。一体どういうことだろう。
すべて誤読してるかもしれない。文法解析のノートは、大学生が見れば、鼻で笑うようなお粗末なもんだろうな。数学も理科もやりたくないから受験なんかしたくない。そもそも高卒認定試験を受けないと大学って行けないんだっけ。
よくわからないけど。会社にも大学にも行きたくない。ずっとここで、この暗がりのなかで、本を読んで引きこもっていたかった。

*

図書館に来てから三時間が過ぎた。十三時だった。お腹が減った。「ケイ、エルホメノン、ディケオシーニー」今まで学んだギリシア語の単語を、てきとうに口ずさんでみた。閉架の静かな壁と古書たちに、私の発した声は、涼やかに吸い込まれていって消えた。一階にいる、司書の耳にまでは届かない。
急におかしくなって、私は大笑いしてしまった。「きゃきゃきゃきゃきゃきゃ…」しかし、もちろん、その大笑いも、誰の耳にも届かない。むなしく、すずしく、消えていくだけだった。
だから私は、本たちに守られながら、シクシク泣いた。すこし声をあげて泣いた。閉架図書の、裸電球がじぃぃぃっと唸った。エアコンの風が、埃ぽくて、すこしかび臭かった。ずっとなきつづけた。
私の机、私の椅子のうえ、祈る格好を、見よう見まねでつくってみて、「イエス様、ごめんなさい。ごめんなさい。こんなふうになってごめんなさい。お父さんも。お母さんも。ごめんなさい」といって、泣いた。
お化粧していたらきっと私も、司書の中村さんみたいに、顔が涙でにじんでぼやけちゃっただろうな、と思ってクスクス笑った。そして、もういちど、福音書をひらいて、読みはじめた。
自分で見つけてきた牢獄の居心地の良さに、まだまだずっと甘えていたかった。

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