うつになってから止めたこと2
・挨拶します
こんにちはパブロフのぼくです。
音楽とイラストの作品といえなくもない何かを残したくてnoteをはじめました。創作活動は進んでいません。やりたいことをできてないことにフラストレーションを感じてます。
今回はうつになってから止めたことパート2です。うつ関連の記事を書くのに少し悩んでましたが、書ききらないと進めないなぁと思いなおして改めて記録に残しておこうと思う次第です。
・万事諦めた!-具体的には?
前回、うつになってから止めたことと題して記事を書いてます。詳細は以下の記事です。
これの結論って”万事諦めた”ってことなんですけど。具体的に何を諦めたのか。列挙してみます。
・他人に悪く思われないということ
・他人に嫌われるということ
・努力の結果、成果があるということ
・あらゆる可能性を自分が持っているということ
・失敗をせずに仕事をこなすこと
・失敗をせずに人と付き合うということ
・他人に好かれること
・誠実な人間であること
・生活力
・自分が価値のある人間であること
・自分がストレスにあまり強くないこと
・誰かと理解しあえない自分
・誰かに情けをかけること
こんなところでしょうか。大別すると、他人との関係、失敗に対するスタンス、自分の脆弱性の3つですね。一応なぜ諦めたかをまとめていきたいです。
・他人は大事じゃないから諦めたった
他人に嫌われないように、敵視されないように、好かれるまで行かなくとも良く見られるように、無意識に顔色を窺う生活。ただ、誰にも彼にもそう接すれば疲れるもので、基本的に人付き合いって私にとって楽しさ以上に疲労の積もるものだったように思います。
うつから復調して精神的にすり減っていたことに気が付いたとき、大切な人はいれど、自分以上に大切なものはないと思えました。自分が擦り減ってしまっては、死んでしまっては意味がない、なんて当たり前のことに気が付きました。そう考えれば、大切な自分をすり減らしてまで、維持するほどの人間って、少なくともぼくの見える世界にはほぼいない。10人くらいは大切にしたい人っているけど、それでも、出会った人々の中の10人という数は誤差みたいなものです。それなら、他人と呼べるものに関しては総じて諦めてしまう方が手っ取り早いなと思いました。
対して重要ではない他人に、一線を引いて、暗にこれ以上のことは、あなたにしてやれない、私はこういう人間だと、態度とたまに言葉で主張するようにしてこうと決め、今もそうしています。
・どうせ失敗するから諦めたった
失敗に対する脅迫観念がありました。些細な事でも、自分が嫌な思いをしたらどうしよう、と思うことが往々にしてありました。特に他人に頼まれたこととなると、八方美人のええかっこしいも相まって無意識化でストレスがたまっていました。それでうまくこなせればいいのですが、うまくいかないとなると、他人の期待から逃げるしかなくなってしまうことが多かったです。
失敗に対しての恐れがあったのは他人から失望されるのと自分に失望するのが怖かったから。うつを経て明らかに完璧ではない自分の姿を見せつけられて、完璧を求める無意味さを思い知りました。う〇こはしょせんう〇こなのです。シャネルの香水をぶっかけてもいい香りのするう〇こに過ぎないって、ブラックラグーンの張維新が言ってたしね。
ぼくはう〇こだけど、熟成してたい肥になることを目指すことにしました。
・ストレスに弱いのは僕のせいじゃないから諦めたった
うつについての学術誌にはこう書いてある。
近年,精神障害の発現には,上記の成因が複雑に関与しており,必ずしも明瞭に区分できるものではない,すなわち, ほとんどの精神障害はさまざま要素が重なり合って引き起こされるものであり,遺伝と環境的要素の両方がその発症に影響するという,「脆弱性-ストレスモデル」の考え方が 受け入れられるようになった.
引用:うつ病のメカニズム;岡 村 仁 、バイオメカニズム学会誌,Vol. 35, No. 1 (2011)
つまり
うつになるのは、遺伝的な要因(生まれつき)と環境的な要因(人間関係とか肉体とかのストレス)が原因で、詳細な仕組みは完全にはわかってない。
ということらしい。
「脆弱性ーストレスモデル」というのは、生まれつきのストレスに対する強さ(脆弱性)と直面したストレスとを合わせて考えようね、ということ。
実際、代表的な精神障害であるPTSD(外傷後ストレス障害;いわゆるトラウマ)にしても、同じ出来事を経験したからと言ってみんながPTSDになるわけではないと書いてある。
なにが言いたいかというと、人間関係のストレスに過敏で疲れやすいという自身の性質は、ぼくのせいではないってことです。生まれつきの性格かもしれないし、育った環境かもしれない(これについては思い当たる節はある)。自分のせいじゃないなって思えれば反省することもなくなるし、それだけで少しだけ心が晴れやかになる。
こうやって受け入れれば対処のしようもあるって前に進める気がしました。
・諦めて変わったこと
美しくもなく、誠実でもなく、傲慢で薄情な自分を晒すことを許したことで仲良くできる人は減りましたね(笑)。ただ自分にとって誰が大事か、何が大事が少し明確になったことで、大事にしたいひとや大事にしたい自分の感情に時間をさけるようになりました。
なにより一歩も動けないって状態があまりなくなりました。万事諦めの副次的な効果として、精神的にバランスを崩しているときには自分の中でアラートが鳴るようになりました。ちなみにこれ書いている今も少しなってますね。コロナで職もなく引きこもってるからでしょう。少し鬱屈した感情がたまってますね。行動に昇華していこうと思います。
・諦めきれないこともある
それをそのまま言葉にするなら、何者かであるということ、です。小さいころから、何者にかになりたかったんです。それはときに科学者だったりヒーローだったり、弁護士だったり、アーティストだったり、ちゃんとした大人だったりしましたが、それらは子供のころの夢物語で今はそれらになるつもりはありませんが、脈々と細い種火が今の自分にまで続いています。これが自分である!なんて言いたいって気持ちです。自分の形をある程度はっきりさせておきたいという気持ちです。まあきっとはっきりはしないんでしょうが。
それで選んだのが何らかの作品を作るということです。とりあえず好きな音楽で作品を作りたい。イラストは最近始めたけど面白いから作品にしていきたい。そうやって過去のわだちを見てこれが自分の形だったのか、ってただただ言いたい。それだけは諦めたくなかったです。
・とはいえなんだかんだ大切にしてるものはほかにもある
万事諦めろなんて書いたぼくですが、大切にしようとしてるものはほかにもあります。リゾバで出会っていま一緒に住んでいる、パートナーとか相方とか言えそうな人です。関係性の呼び方は決めてないのでそんなあいまいな感じにしてますけど、そういう相手がいます。全部受け入れてもらわなくてもいいし、ダメなところも積極的に見せよう、そのうえで一緒にいて少しだけ助かるとか楽しいとか思える関係を作っていけたらなって思ってます。お互い神経症持ちでダメな時はダメかもしれませんが(笑)。まあゆるりとやって行こうと思ってます。焦ってまたうつになるのは嫌だからね。
・やっぱうつの記事はこれからも書こう
それと同時に他に書きたいこともいくつかあるから気分によって平行して書いていけたらな、なんて思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。