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Fictional World, Functional Life _8

「幼い頃ね…」

静かに目を開けて、話を切り出す。

「まだ学校という物理的な集団教育の場があった頃さ、学校の校門からすぐ外に出たところの空き地に混成緑地帯があったんだ。その頃には地下社会の歴史もまだ浅かったからさ、半分以上人口的な緑草との不純な緑地帯でも、十分な日光のない地下では珍しかったんだ。」

学校の歴史では、人類の社会の転換点として、公転周期の変化による短期的氷河期と太陽光の有害化をまず学ぶ。地球の急激な環境の変化によって、生活圏は地表社会から地下社会へと変化を余儀なくされた。地表社会と地下社会とではヒト種の社会的価値観に一貫性を見いだせないからだ。ぼくが生まれたのは、ちょうど段階的地下社会への移行から1世紀にも満たない時期だったと記憶している。まだ今ほど、地下空間に濾過された太陽光の拡充が進んでおらず、ぼくら子供が行ける範囲にだって年中薄暗い場所はたくさんあった。

「裕福な地域だったのですね。」

「ああ、今思えばだけどね。ぼくが生まれ育った場所は地表から10数メートルもない場所だったよ。でも、そのときにはまだ明文化された社会優先度はなかったから、実際裕福だったかは微妙なところだね。」

薄く開く目には灰色以外の景色を映さないが、そこに子供のころ見た薄暗さに似たものを思い、懐かしさの中にほんの一滴の苦みが混ざるような感覚を覚える。

「それでさ、学校の登下校の時になんとはなしにその緑地の前でぼーっとしてから帰路に着くのがぼくの日課だったんだよ。何をするでもなく、ただぼーっと僅かに吹く空間の揺らぎみたいなそよ風に揺られる草の音に耳を澄ませてね。」

「とても幼い頃の話とは思えないですね。おじいさんみたいな日課。」

彼女は柔らかくくすっと笑う。先ほどの笑みのような小馬鹿にした感じはなく、彼女の言葉が尤もだということも相まってぼくの頬も緩む。

「まあね。でもその時のぼくは、今となっては何故かはわからないんだけど、草の揺れる音とか、たまに吹く強風が作りだす蛇の足跡みたいな草地の表情の変化に、特別な感慨を抱いていたよ。ただその習慣も初等教育のときだけで、教育段階が進むにつれてそんな習慣も遠ざかって専門教育に進んだ頃にはすっかりその頃の気持ちを忘れていたんだけどね。」

なくした気持ちをなんとはなしに探すように、目を細めて思い巡らしてみるが、取りこぼして、置き忘れた気持ちはどうやったって鮮明にはならない。ただ、一つだけはっきりと覚えている感情もあった。

「そんな折に大規模な区画整理があったんだ。それが終わった頃にたまたま初等教育の頃の通学路を通りかかったらさ、その緑地帯はなくなってたんだ。」

区画整理ですっかり様変わりして、薄暗い路地や居住空間の雑然さからくる不均等で不効率な空きスペースは淘汰され、以前とほとんど同じところを見いだせない住宅街然とした景観にあって、その時のぼくがなぜその空き地を思い出したのかはわからない。人間の記憶とはその主観的な滑らかさとは裏腹に不連続で断片的なのだということを思い知らされるような気がする。

「幼い頃に無心になって眺めてた緑地帯がひっそりといなくなっていることに寂寥のような、言葉にならないふつふつとした感情が湧いてきてさ。捉えどころのない、なんだか気に入らない気持ちになったんだ。そこを通りかかるまで忘れていたのにね。」

もうとっくに完治した古傷の疼きを宥めるように手をさすり合わせて、何もない空間に微笑みかけて話を終える。なんとなく彼女の顔を見れる気がしなかったが、きっと優し気な表情で微笑んでいるのだろう。

「やっぱり、先生は自然が好きなんですね。」

「ああ。そういった言葉で一括りにしていいかはわからないが、少なくともそういった感情と同じくらい、思うことはあるみたいだよ。」

あるいは足りない何かを自然に求めているだけなのかもしれない。そう考えると急に理屈をこねてる自分が滑稽に思えて、気を紛らわせようと彼女を見る。彼女はその口調とは裏腹に、どこか寂し気で何かを諦めてしまったような顔をしていた。思わず怪訝な顔を向けてしまい、それに気が付いた彼女はすぐに表情を取り繕って笑う。

「寂しくも素敵な経験だと思います。」

「どうかな。」

何の気なしに返事はするものの、やはり彼女の様子が気になり怪訝な表情を取り払えないぼくを見て、彼女は疑問に答えるように口を開いた。

「わたしは…どうなんでしょうね。」

同じことを反芻するような迷い、逡巡の空気を珍しくも纏う彼女は、やっとという体で言葉を続ける。

「外の太陽光に奪われたものは少なくはなかった私たちにとって、自然は怖いものでしたから…。」

「そうか。」

ぼくにはそれしか言えなかった。彼女の過去について多少聞いて知っているぼくには、納得がいく意見であると同時に、知っているからこそ安易に同調することも、心配することも、ぼくにはできなかった。

「ねぇ先生」

しばし時を同じく閉口してできた沈黙を彼女の声がゆっくりと破く。

「さっきの話なんですけど…」

「どの話だい?」

ぼくは然として表情を作らずに、それでいてとげの無いように問いかける。

「カマキリのお腹にいる針金虫の話です。」

「ああ。」

それがどうしたのかい?という言葉を飲み込む。彼女が悲し気で、寂しげながらも、彼女の逡巡の中に、何とはわからないが、何かを決意したような表情を見た気がしたからだ。

呼吸を整えるように静かに息を吸い彼女はぼくに聞いた。

「先生は、カマキリのお腹にいるその針金虫を取り除いて生きながらえさせることに反対ですか?」

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