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『ペルソナ5 ザ・ロイヤル』感想 ~これからのサブカルチャーの話をしよう~
『P5R』をクリアしたので感想です。
一周だけ、最初から最後までずっとHARDでプレイ。ネタバレなし。無印版は未プレイで、そちらの感想と言っても差支えはないと思います。
「この物語はフィクションである。」
NEW GAMEを選ぶと、まずこの一言からゲームが始まる。それもチラッと言い訳程度に出るものではなく、
こんな選択肢まで出す念の入れようだ。
ここで同意すればゲームが始まるが、同意しないと、
こうなり、ゲームが始められない。
主人公たちは2つの仮面=ペルソナを持っている
1つは「都内の学校に通う一般的な高校生」という仮面、もう1つは「世間を騒がす正体不明の怪盗団」という仮面だ。だが彼らが盗むものは金銀財宝の類ではない(ちょっと盗んでた気がしないでもないけどメインじゃない)。
偶然手にした不可思議な力で、悪人の心象世界のようなものに入り込み、歪んだ欲望の源を盗み出すことで現実世界の本人を改心させる――それが怪盗としての彼らの仕事だ。
ターゲットは「体罰やセクハラを繰り返しているが、オリンピック出場の実績を持ち学校の星となっているため、問題を表沙汰にできない教師」など、様々な事情で警察や法律の対処に期待できない人間ばかり。
ざっくり言って「『必殺仕事人』の殺さずに改心させるバージョン」と考えていいだろう。
プレイしながら、「もし仮に怪盗団が実在したら、絶対支持しないだろう」とまず思った。
主人公達は「怪盗団が一般大衆にどれだけ支持されるか」に始終振り回されるが、自分だったら徹頭徹尾、支持しないだろうと思う。
私怨や国民感情といったものに物事を任せるとロクなことにならない。だからルールや基準を設けて、それに準じて対処しよう――というのが、法治国家の基本コンセプトのはずだ。
ゲーム内には「明智吾郎」というズバリな名前の探偵が登場し、ライバルとして立ち塞がる。そして警察に協力し「怪盗団は法の裁きを受けるべき」と主張する彼は、作中で「正義」を象徴する人物として扱われている。
シナリオ内で「怪盗派か? 明智派か?」と大衆が問われているが、僕なら断然明智派だ。
だが「本作は悪いゲームか?」と言われると否だ。
それはゲームが「サブ」カルチャーであることに由来している。
「サブ」カルチャーとは、「メインではない」カルチャーという意味だ。そして「メイン」とは、正道や常識や規範や決まり、つまりある種の「正義」だ。
誰だって多かれ少なかれ、この「メイン」から落ちぶれた部分があるし、それを上手く掬い上げるのが「サブ」カルチャーの役目の一つだと僕は思っている。
あいつを殺したいほど憎んでいるのに、法律さえ、「正義」さえなければ、実際に殺すのに……だとか、みんな密かに考えたことがあるだろう。
そこまで強いものではなくとも、様々な方向性の様々な「サブ」と向き合い手なずけるのが、ゲームを含めた「サブ」カルチャーというものだ。
これは「この物語はフィクションである。」からこそ得手とする分野だし、受け手もそれに「同意する」から、作品世界では安心して「メイン」を脇に置き「サブ」と向き合える。
つまりこのゲームは、「サブ」カルチャーとして至極真っ当で正しい作品なのだ。
「サブ」を肯定することは、決して「メイン」の否定ではない。無理に「サブ」を否定してるせいで、自分の中の「メイン」が侵食されてるんだろうな――なんて人は、ちょっとTwitterとかを探せばゴロゴロいる。
明智派の僕は、このゲームをかなり楽しめたし、235時間かけてトロコンも達成した。
本作が許されないなら『必殺仕事人』だって許されないはずだ。
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