防御特化と異世界転生モノ。
『痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。(防振り)』。
VRMMORPGを始めたメイプル(主人公)が、タイトルの通り「痛いのは嫌なので防御力に極振りした」結果、思いがけず最強クラスのプレイヤーになってしまい無双する…という話だ。
最終話まで観たので軽く感想を纏めようと思う。
ゲーム世界を舞台にしたアニメといえば、最も有名なのは『ソードアート・オンライン(※)』だろう。
だがそこにあった「ゲームオーバーがリアルの死に繋がる」等の殺伐とした感覚は、『防振り』にはない。とにかくストレスフリーな作品だな、という印象だった。
ゲームの知識が少しあれば分かるが、現実のMMORPGでは、メイプルのようにバランスブレイクを体現したプレイヤーはまず発生しない。だが本作では発生する。発生した後も、気持ち良いくらいに色んなことが噛み合って、良い方向へ良い方向へと話が転がっていく。
この感覚、覚えがある。そう、「異世界転生モノ」だ。
実は最初、僕は『防振り』を異世界転生モノだと勘違いしていた。
最初と言っても2年ほど前、広告か何かで『防振り』の小説版を初めて知った頃の話だが。
異世界転生モノ。異世界に転生した主人公が、現代日本の知識やスキル、隠された素養(転生先でしか通用しない)等で無双する作品。
昔、異世界転生モノについて、
「言葉が通じる、固有名詞が同じ、常識感が似通っている、なぜそんな見知った世界を舞台にしているのか? 読者・視聴者は知らない世界に行きたいのではないのか?」
という声を見かけたことがある。それに対する僕の回答は単純だ。
「そもそも知らない世界に行きたいワケではないから」
ではどこに行きたいのか? それは「勝手知ったるゲーム世界」だ。
例えば人間には、「経験を積めば習熟する」という性質がある。
対して「経験値」や「レベル」は、これをデジタル世界でゲーム的に扱うため抽象化したものにすぎない。そう考えると、元の「経験を積めば習熟する」をそのまま流用するのが、異世界の世界観としては自然ではないか?
だが多くの異世界転生モノは、あえて「経験値」や「レベル」等をそのまま設定として使う。なぜならそこは「勝手知ったるゲーム世界」だからだ。
改めて考えてみよう。ゲーム世界とはどんな世界なのか?
色んな観点があるだろうが、ここでは「努力がかなり報われやすい」点を挙げたい。
「時間を掛けて敵を倒し続ければレベルは必ず上がる」等、多くのゲームは「プレイヤーの努力に対して成功体験を返す」という構造を持っている。この成功体験で人を楽しませるのがゲームだ。
現実世界では、努力は必ず報われるものではない。この構造を持つゲームがエンタメとして成り立っていることが何よりの証拠だろう。
(「いや必ず報われる」「報われないのは努力が足りない」等とあなたが思うなら、僕としては「そう信じ切れるのが羨ましいです」としか返せない)
やや大袈裟に言い換えれば、「ゲーム世界では成功が約束されている」のだ。
それは異世界でも同じだ。現実世界で成功を諦めた人が、でも成功への希望を捨て切れなくて、異世界転生モノに触れるのだ。
人がゲームに求めているものを、小説やアニメ等でも提供しようとなった時、「だったら主人公をゲーム世界に飛ばしてしまえ」と考えるのはとても素直な発想だろう。
つまり『防振り』が異世界転生モノっぽいのは、至極当たり前なのだ。だってゲーム世界の話なんだもの。
舞台がゲーム世界であるか異世界であるかは、ここでは些末な問題でしかない。異世界転生モノが市民権を得た今、『防振り』がこうやってアニメ化されたのは、自然な流れと言える。
つまり何が言いたいかって言うと、『防振り』は頭からっぽにして楽しめる作品で、メイプルの笑顔は守る必要がないです。
※『ソードアート・オンライン』はストレスもある話だが、特にアニメ第一期については、ゲーム世界が舞台で俺TUEEEEEEEEでモテモテで最強角のプレイヤーになるという「異世界転生モノに近い性質を持つ作品」だった。放送時期を鑑みると、異世界転生モノが流行る嚆矢だったと思う。「舞台がゲーム世界であるか異世界であるかは、ここでは些末な問題でしかない」ので。