#ゆたかさってなんだろう「心のときめきを大切に扱うこと」
お片付け界の有名人「世界のコンマリさん」こと、近藤麻理恵さんの著書を読んだ母の感想に、衝撃を受けた。
"子供時代に何が好きで、何が得意だったかを思い出してみて"微笑む母の言葉をヒントに記憶を辿る。
実は、今も子供の頃から変わることなく、食器売り場に行く度に、私は、胸をときめかせている。
整然と美しく並んだ食器に、眼を輝かせ、恍惚とする子供が、そのまま大人になったような感じだ。
その中から、自分でも買える値段で、他の手持ちの食器と合いそうな物をみつけると「運命の出会い」の如く、その良縁に感謝する…
それを知っていたのか、家族や友人は私へのお土産に食器類を選ぶことが多かった。
つい最近だと、家族が、ムーミンショップで買ったという「2個目のスナフキンのマグカップ」だろう。
マグカップの絵柄は、まだ訪れぬ憧れの休日を切り取ったようで、遠い未来へと私を誘ってくれる。
海辺でヒトデと戯れ、寝そべるスナフキン。その横にはヤシの木が、ゆらゆらと風に揺れている…
このように、食器やマグカップは、私にとって、毎日の暮らしを彩る、心豊かな暮らしの必須アイテムなのだった。
一体、この食器に対する感覚は誰に似たのだろうか?
自分でも、よく分からない。
「全ての食器を我が子のように愛でる人、周りにそんな人がいたらどれ程、分かり合えるだろうか」と、時々考えたりもする。
"食器愛"、こんな言葉があるなら、そう名付けても良いほどに、1枚1枚を大切に洗って乾かしている。
たかが食器、されど食器…
その絵柄やデザインから私は何かしらの発見や、日々を輝かせるエッセンスを与えられている。
「あなたの家にある食器は、ある意味、その人の分身や憧れの象徴なのでは?」
こんなことを食器を洗いながら思い浮かべる、今日この頃である。
その仮説が当たっているかどうかは、お手持ちの食器をじっくりと見て、各自で考えてみるのも面白そうだ。
「たかが、食器、されど食器。」
身の回りの生活用品を、その人個人の人柄が滲み出ているような感覚を持って、じっくりと選び、大切に使うこと。
その心のときめきを大切に扱う感覚こそ、ある意味、金銭とはまた別のところにある、豊かさや、心のゆとりの源泉なのかもしれない。