フィリア(philia)

この人を愛しています、というと大抵の人は恋愛の愛を思い浮かべるだろうけど、今回ここで語るのは
フィリア(友愛・友人との間の愛)と前置きしておく。


『愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない』

とゲーテは言っていたけど、付き合いを続けていくとどんな人にも欠点は見えてくる。このときこそが関係の節目になり、この欠点をどうとらえるかで関係のフェーズが変わるのだろう。
この人とは一生涯を共に付き合える人だろう、と思って関係を続けていても、欠点を愛することが出来ない人もいるはずで、それが「愛情がなくなった」状態なのだと思う。


私には二人の愛する友人がいる。
どちらの人ともぶつかって、離れた経験があり、その離れていた期間も非常に存在感が大きく、彼らのことを考えなかった日はなかった。

離れたくらいだから、確かに嫌な思いはしたのだけど、それよりも彼らの素晴らしさ、貰ったものの大きさと感謝の気持ちが大きく、日が経つにつれて彼らは幸せでいるだろうか?と知る由もない元友人のことを思っていた。

カウンセリングを受けている心理士さんは「無理に軸を交わらせてはいけない」といっていた。人間関係は無理矢理軸を交わらせることが恨みや怒りの種の土壌を形成するのだそうだ。
この話を、再び交流するようになったこの二人のうちの一人の友人に話すと「君と僕が再びまた巡り会ったように、縁があればまた惹かれ合うはずだ。心理士さんの言う通りだよ」と心理士さんの言葉をあと推ししてくれた。

周りの支えによって、友人のことを祈り、心で想う日々を重ねていた或る日………

共通の友人を通じて再び意思の疎通をはかることが出来た。最初はとにかく元気で過ごしていたのだと分かってホッとする気持ちだった。そこから伝言を介する形で会話をしていくと、友人が全く同じ気持ちで私のことを想ってくれていたことが分かった。

その心の暖かさと感謝と感動で涙と嗚咽が止まらなくなり、今でも思い出すと涙が滲む。
今はまた少しずつまた距離を近く出来て、再びぶつかり合ったり、笑いあったりする仲になれたら……と思ってる。


『誤解は解だから解くことは出来ない』

友人の言っていた言葉だ。正解は互いのしがらみを無くし、謙虚にならなければ導き出せないのだという。

私は周りの人間と、友人の謙虚さによって正解が得られたのかも知れない。一度導き出した解はもう解き方が分かるはずだ。心の核に彼らへの愛はしっかりと宿っている。この先、どんなにぶつかり合っても私の導き出す解は同じだ。

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