約束
noteに辞世の句を残して二ヶ月。
意識を戻してしばらくの間は孤独感に苛まされてた。
周り中敵だらけで嫌われてると揶揄されてる人を心から羨やんだ。自分自身に敵意を向けられるのは大きく存在を認知されているということ。決して孤独感には囚われない。本当に孤独を感じるときは味方どころか敵対してくれる人すらいないのだ。ただ、自分が一人でいるだけ。
意識が戻り、醜く生き延びたのだと身を切りつけ、死ぬために生きていた。
二週間以上経過し、置かれてる状況と病状が把握出来るようになるとようやく世界が見えてきた。或る友人は「よく生きていてくれた。とにかく手を尽くそう。それで何も術が無ければ、世から見送らなければならない、意志のない魂を長らえさせることほどの苦痛は無いだろう」と意志を尊重しつつ、友人としての希望を述べてくれた。
また、と或る人は「生きるために必要な感情が枯渇して空になった状態が今だ。それを少しずつ満たせる手伝いは自分に出来るかも知れない」と日常で笑いを取り戻す手伝いをしてくれた。
時間経過と共にこれまで職場の同僚、考えに共感出来る人だと思っていた人達が大切な友人だったことに気付いていった。孤独は本当に人を弱くする、と前述した友人は言っていたが、孤独を生み出すのは本人の心であって、実際に本当に孤独な状況に置かれることは少ないのだろうと思う。
更に一ヶ月も経過すれば、自分の過去に対峙していけるくらいには回復した。人間は本当に大抵のことには耐えられるように出来ているものだ。
心理士さんとのカウンセリング、治療を進めていく中で自分にとっての大きな転機が訪れる。
時系列を辿ると、始まりはかなり昔から訪れていたものだったが、そこは語ると長くなるので割愛。
入院中にも関わらず、双方の親同士で後々の財産分与の話にまで展開し、結婚の話がまとまった。
亡夫との結婚の時にも痛感したが、縁のある人との話はとにかく形となるのが速い(変換ミスではない)当分は生活ベースの関係上、別居状態となるが法律上での婚姻関係を結ぶ日程までは決定した状態。
二ヶ月前にはマンションの6階から身を投げた人間が、二ヶ月後には第二の人生を歩もうとしてる。本当に意味が分からない。
分からないからこそ、人生は、世界は面白い。
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