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◇好評連載【心理学の問題 連載24】 アダルトチルドレン

専門用語が一般化され俗っぽい印象がする言葉

 「アダルトチルドレン」という言葉を知っている人も多いだろう。これは、主に1990年代に日本で流行した言葉である。従来は精神医学、心理学などで使われていたが、かなり一般化されてしまい、近年はやや俗っぽい印象を与える。しかし、現在でも様々な人と人が治療や自分の癒しに使っているので、知っておいて損のない言葉である。

 もともと、「アダルトチルドレン」というのは、「Adult Children of Alcoholics」という言葉が短くなったものである。訳すと、「アルコール依存症の子供だった人で今は大人」という意味で、ちょっとややこしい。
「子供っぽい大人」という意味ではぜんぜんない。しかし、その後意味が拡張され、「機能不全家族で育った人で今は大人」という意味に変わった。

 元々は「アルコール依存症の子供だった人で今は大人」と書いたが、
1960年代までは、アルコール依存症の患者さんにしか注目をしていなかったが、1970年代から、親がアルコール依存症の子供で、子供が親の顔色を見ながら成長して行くと、その人の人格にどのような影響を与えるかという話題がさかんに出されるようになった。

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 そうなると、親の問題としては、アルコール依存にとどまらなくなる。薬物依存、ギャンブル依存、DV、虐待など、他の問題を抱える親に育てられた子供も、似たような影響がみられることがら、「機能不全家族で育った人」というように枠が拡げられたのである。

 幸せな家庭で育った人間にとって「家族」という言葉は、「自分が気を許して良い人達」「どんな時でも自分の味方になってくれる人達」「心のふるさと」というようなことを連想させるが、実際家族というものは、その中で虐待やいじめが行なわれていた場合、他の社会の枠組みの中よりも、より一層陰惨で深刻なものになることが多い。

 同じようないじめが学校で行なわれていたとしても、1年経てばクラス替えもあるし、そもそも親が学校に怒鳴り込んで行けばよいが、他所の家庭の中でいじめが延々と続いている場合、善意の他人は、「まさか自分の可愛い子供、配偶者にそんなひどいことをするわけがない」と、安心してしまっている場合が多い。

 しかも毎日同じ家で寝食を共にしているのだから、凄まじいいじめや虐待を行なうことができるのである。

 よく「結婚は不幸の始まり」と言うが、要は他の場所で人間関係が悪化することと、家族内で人間関係が悪化することは、その悲惨さにおいて段違いだから、そのように言われているのであろう。

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大きなバッシングを受けた精神科医の痛恨事

 日本でも欧米でも、昔は、「家族」とか、「親」というのは何か神聖な響きがあって、「まさか親が、かわいい自分の子にそんなひどいことをするわけがない」という強い通念があった。だからフロイトが19世紀に「家庭内で性的虐待をされるケースが多いのではないか」と声を挙げた時も大きなバッシングを受け、フロイト自身も考えを変えてしまった。そのおかげで児童虐待の真相が明るみに出るのが数十年遅くなってしまったという痛恨事がある。

 以前にも書いたことがあるが、最近児童虐待の報告件数が上がっているのを見て、「日本の世も末だ」「昔は良かった」などと言っている人がいるが、そんなことはない。日本で児童虐待に対する意識が高くなっただけのことである。だから、昔なら見逃されていたケースを虐待として報告しているのである。

 その点では、日本は昔よりも良くなっている。昔の映画やドラマを見れば、「これは現在なら児童虐待だな」と思われるケースが平然と流されているケースも多い。嫁姑間のいじめだって、恐らく昔のほうがひどかったことだろう。

 日本はアメリカと比べると、まだまだ虐待の報告件数が少ない。これは、アメリカよりも犯罪件数自体が少ないため、おそらく実際にも日本のほうがアメリカより実際の虐待の数は少ないと思うが、アメリカのほうが虐待の報告義務が強いことも大きな原因である。

 医療事業者や教育関係、心理関係の職種の人が、虐待の疑いがある場合にそれをしかるべき場所に報告しなかった場合、その資格を取り上げられるほどアメリカは罰則が強く、結果、ささいな虐待の兆候を見逃さないような空気が出来上がっている。

 日本では、虐待のことが頭をよぎっても、ことなかれ主義で報告しないで済まそうとする空気が今でもある。アダルトチルドレンから話が逸(そ)れてしまったが、機能不全家族の中で、どのようにアダルトチルドレンが育つのか、次号以降で軽く触れてみたい。

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