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ぼっちって最強なのでは?
今回は「ぼっち」についてまとめようと思う。
ぼっちとは、通称一人で行動したり生活することで、一匹狼とも言われたりする。
ぼっちにもレベルがあるが、本当に一人で生活している人の中には他人との関わりがほぼない状態という人もいるかも知れない。
そこまでいくと逆にマイナス面が出てくる。
ぼっちを極めすぎると孤独感という感情が脳内にはマイナスで、体に不調を起こすことがある。
人間は元々少数民族で生活していたと言われていて、それがだんだん成長してきて一つの国として今に至る。
今ではそれが逆に「ぼっち」に繋がった。
昔の民族的な生活は、今でいう集落的な感じなのだろう。
隣人との関わりが深く、村の人なら誰でも知っているという状態だ。
ある日誰かが引っ越してきたものならすぐに広まり、馴染めるかどうかが問題になる時もある。
今は一つの国としてのグループになり、政治や経済の面で一つのまとまりになって法律というルールの中で生活している。
最低限の安全や配慮というルールが設けられ、それぞれの家で生活している。
一つのまとまりが大きくなればなるほどそこにグループが生まれる。
学校のクラスがいい例だろう。
一つの学校に通うが知り合いは少数で、いつも一緒にいるメンバーはせいぜい五人ほど。
中にはぼっちに当てはまるような一人でいる人もいるだろう。
それが元々五人くらいで一つのクラスならぼっちになる確率はだいぶ少ない。
みんなが他の四人に対して配慮できたり、仲良くしていかないと気まづくなるからだ。
ただ、人数が多くなると、自分が配慮しなくても他の人もそうだしという他人行儀からもくる感情で一人でいる人を放置したりもできるだろう。
ぼっちが悪と言いたいわけではない。
ここではぼっちは最強だと言いたい。
ぼっちの一番の利点は時間とお金の使い方にある。
これは人生においていい影響を及ぼす。
例えば、五人のグループに入って同じ行動をしているとみんなが行きたい場所を出しても5つもできる。
そこに本当に行きたいかどうかは二の次でみんなが行くとなると行かなければいけなくなる。
なんでも体験できて面白いという人はそれでいいかも知れないが、時間とお金もそれに比例して必要になる。
それが一人だとどうだろう。
自分が行きたいと思ったところに集中してお金を使うことができる。
例えば、「馬に乗ってみたい」と思ったとしよう。
乗馬は友達といけば一緒に馬に乗っているという安心感もあるが、一人でも全然できるし、馬に乗った時の視界が別世界で、馬の生命も感じることができる。
数人の時と一人の時とでは感じ方が変わる。
最近流行りの副業をしたいと思った時も同じだ。
会社勤めで退社してから行動に起こそうとするとぼっちが最強である。
会社の定時に仕事を終わらせ、飲み会や雑談にも入ることなく自分の世界に入る。
勤務中は仕事のことや最近の話などできる時に話して人間関係もうまく作れば居心地も良くなり、たまにの飲み会くらいには参加してもいいかも知れないが、毎日定時を超えても一時間ほど話をしていると副業するには時間が惜しい。
ブログを毎日更新したり、海外から安いものを輸入して販売したりといろんな副業があるが、何か新しいことをするには時間がとても必要だ。
私は魚釣りをするのだが、一人でしたり、友達を誘ってすることもある。
一人でするときは、荷物も少なく、一種類の魚に集中して釣りをすることができる。
釣れなくても辛抱だ。
だが、友達がいて、その人が魚が釣れるのを楽しみたいという人なら魚が釣れる釣りを選ぶだろう。
五目釣りなどのなんでもいいから魚が釣れる釣り方を選んで、一緒にカップラーメンを食べたりして楽しむ。
一人で行く時と友達と行く時では楽しみ方が違う。
毎月の休みが8日から10日ほどあると思うが、あなたは誰と何をしているだろうか。
一人で休日を過ごす人も家族で休日を過ごす人も友達を休日を過ごす人もいるだろう。
人間だしいつもぼっちでいた方がいいとは思わない。
でも一人の時間を有効に使うことが最強だと思う。