イエスのロック精神

そもそも元々イエス自身に改革的傾向があったと思う。聖書の中に、ユダヤ人の中で当時支配的だったパリサイ人達を思いっクソ批判する章があって。えっそこまで言う?ってくらいに徹頭徹尾ボロカスに言うのだ。

パリサイ人達って、今でいうイランの宗教警察の人達みたいに、生活のあらゆる部分に律法を引いて、ちょっとでも違反してるとギャーギャー言ってくる面倒臭い人達だったんだろうなぁ、と思う笑
比べ物にならないだろうけど、コロナ禍のマスク警察を想像してもらえれば日本人にも想像つくと思う。
そこに颯爽と現れて、そんな細かい律法をものともせず「一番大事なのは隣人愛だ」とか言って民を解放してくれる人が現れたらそりゃモテるよね笑

しかしこのパリサイ人ボロカス批判のシーン、牧師さんに聞くと、それはパリサイ人達が金を溜め込み神を崇拝するふりをしながらその実腐敗していたことをイエスが痛烈に批判したのだという。
へぇ、やっぱり基本的に保守的な解釈なんだなぁ、と思って。
体制批判と原理主義という、一見正反対に見える解釈が共存しているのが面白い。

でもここまで当時支配的だった権威者達を批判した文章をそのまま載せて、よくローマ帝国の国教に採用したよなぁ、と思う。
私がローマ皇帝なら、このシーンは完璧にカットしたことだろうと思う。こんな強烈な体制批判を載せた教典を採用したら、自分の地位も脅かされるではないか、と思わなかったのかな、と思う。

以前YouTubeでキリスト教批判をしてた日本人が、「宗教というのは基本的に体制を転覆させる要素を持っている、だから危険だ」と言っていた。
絶対に体制を転覆させたくない、という強い意志が感じられ、非常に日本人的だなと思った。だからアジアでは儒教や仏教等、世俗の君主に忠誠を誓わせる、宗教というよりも哲学しか無いのかなと思う。

前美術史の本の中でバビロンの王が神様の前にひれ伏している彫像を見たんだけど、これがまずアジアじゃありえないよなぁ、と思ったのだ。
世俗で一番権威を持つ王様さえもひれ伏す存在という発想が無い。だから徹底的に権威主義になるのは当たり前だと思う。

ちなみに私はそのボロカス批判の中でもこのセリフが一番好きだ。
「民に負いきれない程の重荷を負わせ、自分では指一本触れようともしない」だったっけ。
民の負担を思って上層部に抗議してくれていることが伝わってきて、すごくカッコいいと思う。

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