石川五右衛門3世―但し直系ではない/五右衛門3世、登場③
大騒ぎになった。
調べてみると、家人には、花の他に熱の出ている者はいなかった。だが、女中二人が、にわかに吐き気を訴えた。
医者の司寿の助言により、すぐさま金倉屋は、家移りすることになった。
「なに、疫病が家人に広がってないってわかったら、すぐさま戻って来られますよ」
司寿が太鼓判をおした。
取る者もとりあえず、金倉屋は、町はずれに奉行所が用意した空き家に移った。
当座必要な物以外に、金子をあるだけ持ち出したのは、さすがだった。
その晩。
誰もいなくなった金倉屋の門前に、大八車が横付けされた。
疫病を恐れ、近所の連中は、戸をぴたりと立て切っている。
頬っかむりした二人の男が、足音を忍ばせ、蔵の中に入っていった。
帰っていく大八車は、ぎっちり積み荷を積んでいた。
◇
翌朝。
町はずれにある椿寿院には、長い行列ができていた。
「並んで並んで」
「大丈夫、たくさんあるから」
「はい、お待ちどう」
押し寄せた人々に、女たちが、粥を振舞っている。
椿寿院は、縁切寺だ。
この女たちは、いずれも、夫や婚家から非道な仕打ちを受け、保護を求めて逃げてきた女たちだ。
彼女らは、めでたく外界に戻っても、あいかわらず、通ってくるのだ。
庵主の如信尼と話し込んだり。寺の運営を手伝ったり。
そんな風に、賑やかに過ごして、また、外の世界へ帰っていく。
総じて言えるのは、女はたくましい、ということで……。
「いやあ、盛況だな」
境内に溢れんばかりに、粥を啜る人の群れを見て、俺はつぶやいた。
「五右衛門、邪魔!」
盆を持ったおえんが、腰のあたりにぶつかってくる。相変わらず、口の悪いガキだ。
「邪魔たぁ、なんだ。邪魔たぁ」
思わずむっとする。
「なんだい、あんた。粥を貰いに来たのかい?」
「隣人にやる粥はないねえ」
おえんの甲高い声に、縁切寺の女たちが気がついた。にやにや笑いながら、こちらを見ている。
「一文無しだって申告したら、粥を振舞ってもいいよ」
「あんた、充分に、その資格がありそうじゃないか」
「なんだよ。みんなして……」
迫力ある女たちに凄まれ、俺は、若干、あとずさりした。
向こうで、ふいごで窯の火を吹いていた独歩が、ひょこりと顔を上げた。
「五右衛門が、お寺のみんなを口説こうとするからだよ。だから、からかわれるんだ」
全く身に覚えのないことに、俺はむっとした。
というか、こんなに強い女どもを口説く? 冗談じゃない。
「してねえから。俺ぁ、誰も口説いてねえよ」
「全く、失礼な男だよ。これだけいい女がそろっているのにさ!」
恰幅のいい女が口を尖らせ、全員が笑い声をあげた。
粥を啜っていた者たちも、顔を上げ、頬を緩めている。
久々に、明るい、春のような陽気が、境内に満ち満ちていた。
「そいでよ。如信尼様はどこに?」
相変わらず、盆を持って、ばたばたと走り回っているおえんを捕まえ、俺は尋ねた。
おえんは、口を尖らせた。
「如信尼さまは、仏の使いだよ? あの方だけは、あげらんないねえ」
遣り手婆のような口を利く。
「ちげーわ、馬鹿。ご挨拶すんだよ!」
「あ、五右衛門、赤くなってる」
「なにぬかす!」
「真っ赤真っ赤、五右衛門、真っ赤」
「うるさい、黙れ!」
炊き出しの女たちに聞かれたら、大変である。
騒ぎ立てる幼女の口を、俺は慌てて、手で塞いだ。
「如信尼様なら、本堂だよ」
ふいごから口を離し、独歩が教えてくれた。
◇
澄んだ勤行の声が、嫋々と流れてくる。
うっとりするような、柔らかな響きだ。
お経の意味は、さっぱりわからないけど。
障子の外側で、俺が聞きほれていると、美しい経の調べは、ぱたりと止んだ。
「五右衛門殿」
「え、ああ、ええと……」
「そんなところにいないで、こちらへお入りなさい」
「へ、へい」
思わずひれ伏してから、俺は、本堂に入った。
「どうですか。お粥は充分に足りているでしょうか」
もったいなくも、ご本尊の前の尼僧が向き直る。
白い頭巾から覗くお顔が、輝くようだ。
「ほえ……」
「ですから、お粥は、足りましたでしょうか?」
「ふぇ……」
「皆にお粥はいきわたりましたか、と、聞いているのです!」
やや強めに問われて、俺はやっと我に返った。
尼僧の美しさに見とれていたのだ。
「みんな、満足していますとも! これも、ご庵主様の功徳のおかげです」
「私の功徳などではございませぬ」
如信尼は打ち消した。
全くこの方は、美しいうえに、奥ゆかしい。
「ゆうべのうちに、どなたかが、山門の前に、米俵をどっさり置いていってくれたのです。称賛は、その方にこそ、帰されるべきです」
「いやいやいや。それほどでも」
「あなたのことではありませんよ?」
色白のお顔から、黒い瞳が、怪訝そうに俺を見つめている。
「困っている衆生を救うのが、仏の願い。善意の喜捨が、少しでも多くの人に、行き渡るといいのですが」
「行き渡ってますとも。もう、べしゃべしゃに行き渡ってます」
「……。五右衛門殿。あなたが言うと、どうしてこう、……」
言いかけた言葉を、途中で、如信尼は引っ込めた。
「そろそろ失礼を。お勤めの途中でした。この後、私も、炊き出しに参加せねばなりません」
「へい」
「勤行も、最後まで続けなければ」
「へい」
「炊き出しの他にも、やることがあります」
「へい」
「退出して下さいと言っているのです!」
金切り声まで麗しかった。
◇
「まあた、如信尼様につきまとって」
本堂を出ると、おえんが腕を組んで、塀に寄りかかっていた。
「つきまとってなんかいねえよ」
俺はむっとした。
「如信尼様は、清らかな尼僧だ。彼女とどうこうなんて、仏が許しても、俺の良心が許さねえ……、」
「そもそも仏さまが許してないんだよ、このあほんだら!」
5歳の女児が言い返す。
「あたしに内緒で、ことを運ぼうだなんて」
おえんは機嫌が悪かった。
そうなのだ。
最初の計画では、俺と独歩だけで、金倉屋から米俵を頂戴するつもりだった。
疫病を理由に、金倉屋を家移りさせて……。
「司寿だなんて、いいかげんな医者を名乗ってさ。あんた、天寿庵先生の弟子でもなんでもないじゃないか」
「だから、天寿庵の方から来ましたって言ったろ?」
泥棒だが、俺は、嘘が嫌いである。
おえんは、鼻の穴を大きく膨らませた。
「ふん、馬鹿みたい。そもそもあんたに、長治親分の目を欺けるわけがないじゃない」
「いやいや、俺だって捨てたもんじゃなかったろ?」
そもそも、あの死体を、金倉屋の裏庭に放り込んだのは俺だ。ま、独歩も手伝ったけど。つか、あいつの方が力持ちだ。
その後、医者の司寿になりすまして、疫病だと騒ぎ立てたのも、この俺だし。
長治親分を説き伏せて、金倉屋の全員に家移りさせたのも、もちろん、俺だ。えと、独歩に言われた通りにしたわけだが。
そして、深夜、誰もいなくなった金倉屋に、独歩と一緒に、大八車を引いて行って、米俵を頂戴してきた……。
「すごかったろ? まさに八面六臂の活躍じゃないか」
「ばっかじゃないの?」
だが、幼女は辛辣だった。
「菰で包まれた死体に、刃物傷があることがバレたら、この計画は、台無しだったじゃないか!」
「……」
金倉屋に投げ込まれた男は、疫病で死んだのではない。
匕首で刺されて死んだのだ。
「あたしが、出ていかなかったら、あんた、今頃、しょっぴかれてるよ。長治親分をたばかった罪で」
「まあ、確かに? おえんが、熱がある、って言ってへらへら出てきたおかげで? 疫病ってのも、信憑性が出てきたわけだが……?」
「なにその、? だらけのセリフは!」
「いやいやいや。ご協力、感謝してますよ?」
「ふん」
おえんは肩をそびやかせた。
「あたしに内緒で、うまくいくわけがないじゃないか」
うるさいチビなので、おえんには内緒にしていた。が、いつの間にか、嗅ぎつけられてしまった。
つまり、すごい剣幕で問い詰められた独歩が、思わず白状してしまったのだが。
だがまあ、正直なところ、金倉屋で、こいつが、みんなの注意をそらしてくれたのは助かった。
おかげで、死体の主は疫病で死んだと、押し通すことができた。
「で、死体はちゃんと処理したんだろうね」
「ばっちし安全な所に隠したさ」
「どこに?」
「この寺の墓地」
「あんたねえ」
おえんの声が、一際ヒステリックになった。
「そんなことして、如信尼様に、もしもの疑いが掛かりでもしたら、どうするのさ!」
「大丈夫だ。ぬかりはねえ。無縁仏の墓に埋めたから。下手人はわかってるんだからさ。案ずることはねえ」
「あんた、まさか、お妙さんを番所へ突き出すつもりじゃないだろうね?」
5歳女児に詰め寄られ、俺はむっとした。
「俺を何だと思ってんだい! 天下の五右衛門3世だぞ!」
「直系じゃないけどね」
「うっ」
これを言われると、痛い。
俺は、1世の弟の子孫だ。
ちなみに、この事実を知っているのは、ここにいるおえんと、寺の庭で粥の窯の番をしている、独歩だけだ。この二人が俺の秘密を知ってしまった件については、またいつか、語る日も来るであろう。
俺が、かの有名な義賊・石川五右衛門3世であるという事実は、麗しの庵主、如信尼様も、ご存じない。
「お妙さんは、充分に苦しんできたんだ。今更、牢獄生活なんてさせたら、承知しないよ」
気の強いガキがのたまう。
「今だって、あの人、寝込んじまってさ……」
「え? お妙さん、病気なのか?」
「馬鹿だねこの人は。話の流れからわかりなさいよ! 心が辛くて、起き上がれないんだよ!」
「はあ」
そのような病があったのか。
俺は呆れ、驚き、感心しさえした。
やはり女人という者は、繊細にできているのだ。
「ここは俺も、もっともっと、女人とつきあって、理解を深めないといかんな」
「寺で何言ってんだよ!」
思いっきり、おえんに、蹴りを入れられた。