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石川五右衛門3世―但し直系ではない/五右衛門3世、登場①


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 月の明るい夜。
 ばらばらばら。
 ばらばらばら。
 空の方から何かが降ってくる音。

「なんだい、あの音は」
「雨じゃないのかい?」
「雨じゃねえ。もっと固いものだ」
「気におしでないよ、お前さん。それより、お櫃が空だよ。どうするつもりだえ?」

女房に迫られつつ、亭主は、耳をそばだてた。

「あっ、庭の鉢に当たった! 大事の盆栽の鉢が割れたかも」
「鉢なんざ、どうでもいいじゃないか。あたしが言いたいのは、明日から食べるものがないってことだよ! わかってるのかい!」

「ちょいと見てくる」

 自分の言葉に興奮してくる女房を、喜八は制した。大急ぎで狭い長屋の部屋を出、住人共同の裏庭に飛び出していく。
 背後では、女房の喚き声が続いている。

 「いてっ」
喜八が庭に出るのを見透かしたように、何かがでこにぶつかった。足元に落ち、転がっていく。
「?」
屈んで拾い上げてみると……。

「まさか、これは……」

 思わず月に翳した。
 紛れもない、金色の……。

「小判だ!」

屋根の上から笑い声が聞こえた。
見上げる長屋の、ぺんぺん草の生えた屋根に、月を背に、すっくと立つ、一人の男。

「義により参上仕った。その金で、菜なりとも買うがよい」

 高らかに笑う。
 宵待ちの月を背に、黒く浮かぶ影は、腰を締めた半纏に、すっきりとした脚絆姿。

 喜八の口が、あんぐりと開いた。
「あ、あんたは……?」

「名前なんざどうでもいいが、聞かれたからには、答えにゃなるめえ。俺は、五右衛門3世。3代目襲名、石川五右衛門とは、」

 少しの間。
 十五夜を明日に控えた月が、その構えた姿を、煌々と照らし出す。

「この俺のことさぁ!」

 そう。俺は、五右衛門3世。
 京都三条河原で釜茹でになった希代の大泥棒、石川五右衛門は、俺の先祖だ。


 「で、どうだい。町の評判は」

 盃を手に、俺は尋ねる。仕事の後のいっぱいは、やっぱりうまい。
 ここは江戸の町外れのボロ家。窓を開ければ墓地が見える。

「盗んだ小判を江戸中にばらまいてきた? 馬っ鹿じゃないの?」
 おえん・・・が口を尖らせた。5歳のクソ生意気なガキだ。

「五右衛門、評判悪い」
すかさず川端かわばた独歩どっぽが、おえんの肩をもつ。

 川端独歩とはおかしな名だが、彼が初めて江戸の町に現れた時、川のほとりを、一人で歩いていたからだ。
 ふらりと現れた少年は、幼児並みの常識しか持ち合わせていなかった。
 彼には、保護と教育が必要だった。

 おえんは、赤子の頃、捨てられた。独歩も、身寄りが現れない。行く当てがない二人は、隣の寺の住職が育てている。
 隣は、縁切寺だ。

 「馬鹿? 今、馬鹿って言った?」

俺……3代目石川五右衛門……の声が上擦る。

「それに、評判が悪いだって? あんな大量の小判を、だよ? 着服もせずに、一晩かけて、江戸のあちこちにばらまいてきたのに、江戸のみんなは、それかよ?」

「じゃ、聞くけどさ。五右衛門はなぜ、そのお金を自分のものにしなかったのさ? がめついあんたが、さ」
生意気なおえんが、生意気にも、俺を見下ろす。腰に手を当て、仁王立ちしてやがる。

「がめついは余計だろ!」
思わず、5歳女児の迫力に負けそうになり、俺はふんばった。
「俺は義賊だからな。義賊は、自分がいい思いをしたら、ダメなんだ! 常に、世の為、人の為に、だな」

「小判、使えないからじゃないの?」
普段は無口な独歩から突っ込みが入る。
「町民が小判なんか持ってても、怪しまれるだけだ。使う前に、取り上げられちゃう」

「そうよそうよ」
すかさずおえんが、独歩の助太刀に入る。
「それに、今、小判が何の役に立つっていうの? 江戸のみんなは言ってるわよ? 小判があったって、買えるコメがない、って」

 そうなのだ。
 ここ数年、作物の不作が続いている。ただでさえ貧しい庶民は、日々の食事にも事欠くありさまだ。
 たとえ金があったとしても、買える米がない。

「ただでさえ、お金の使い道なんてないのに。よりによって、小判をばらまくなんて。五右衛門は、馬鹿ね! やっぱり3世はダメね!」
「う……」

 全く、七光りは大変だ。
 とはいえ、俺は、1世の直系じゃない。かの有名な大泥棒・石川五右衛門の、弟の子孫だ。

 五右衛門(1世)は、豊臣秀吉により、京都三条河原で、釜茹での刑に処せられた。幼い息子も一緒だった。
 なんともむごいことだ。煮えたぎる窯の中で、子どもを頭上に掲げている絵をみると、涙が出てくる。
 この苦しみに敬意を表し、栄誉ある「五右衛門2世」の敬称は、父親と一緒に死んだ幼児に捧げられている。

 こうして五右衛門の直系は途絶えたわけだけど、弟の一族が生き残っていた。義賊だった兄と違い、弟は、慎重派でおとなしかった。しばらくの間、一族は庶民として、平和に暮らした。

 そんな中、先祖の無念と遺志を汲んで、敢然と立ちあがったおとこがいた。即ちこの俺、五右衛門3世である。
 ただし、直系でないせいで、3世を名乗る俺への風当たりは、非常に強いのだ。

「それにしても、おかしい。全国各地から援助米が送られてるって話なのに。みんな、どこへ消えちゃったのかな」

 独歩が首を傾げている。
 隣の寺に引き取られて、独歩は、すっかり落ち着いた。今では、普通の少年だ。反面、おっとりしていて、人擦れしてない。つまり、騙されやすい。
 だが、意外に鋭いことを言う。

「米ならあったぞ」
俺は言った。
「山と積まれた米俵を、つい、2~3日前に見たばかりだ」

「米俵? どこで!」

 悲鳴のような声でおえんが叫んだ。
 あんまり喰い付きが激しいので、俺は、わざとゆっくり答えてやった。

「そりゃよう、金倉屋かなくらやに決まってらあ」
「金倉屋! 五右衛門が忍び込んだ相場師の屋敷じゃないか」
「うん。蔵の中にな。米俵がどっさり積まれてた」
「それなのに五右衛門は、小判を盗ってきたわけ? 米じゃなくて」
「うんにゃ。金倉屋の金庫は警護が厳重だったからな。だから、別の商家おたなに盗みに入った。小判はその家から盗ってきた」

「……はあ」
おえんがため息を吐いた。
「とことん、ダメなやつ」

 こんな幼女に言われたくない。だが、こんなんでも、一応、女だ。言い合いになれば、絶対、負ける。
 俺は素早く話題をそらせた。

「それにしても、金倉屋だ。金倉屋は、相場師の家なのに、なぜ、米俵がぎっちり積まれてたんだろうな?」

「……」
「……」
 おえんと独歩が顔を見合わせた。

「本当にわからないの?」
恐る恐るおえんが尋ねる。

「あ?」

 判じ物は嫌いだ。当たったためしがない。
 すっとぼけていると、おえんが、呆れたように首を横に振った。

「買占め、転売に決まってるじゃない!」
「買占め……? 転売?」
「江戸市中に出回るべき米を、一手に買い占めて、高値で売る!」

「金倉屋は、廻船問屋と仲がいいと聞いたことがある」
仔細らしく、独歩が頷いた。
「援助米が、江戸に入る前に、いち早く買占めたんだ。そして、高くなった頃合いを見計らって、売るつもりなんだ」

「わかった。差額で儲けるつもりだな!」
 俺だって、頭がいいんだよ。
 ただ、賢さをひけらかす機会がないだけで。
「でもよ。そうなるってえと、金倉屋が手に入れるのは、結局は小判だろ。小判なんて役に立たないって、今、おえんが言ったばっかじゃないか」

「それは、あんたのような貧乏人が持っていた場合! だけど、金倉屋みたいな金持ちが小判を持っていたら、それなりに使い道があるのよ。第一、ビンボーなあんたがいきなり金回りがよくなったら、問答無用でお上にしょっぴかれるでしょ」

「それは……そうかもしれない」

 なんて不平等な世の中なんだ。
 金持ちは小判をざくざく集めて、貧乏人は、持ってるだけてで捕まっちまうなんて。

「米! 米を撒こう!」
 独歩が叫んだ。
 何かを決意したような声だ。

 俺は考えてみた。
 青い月を背負って、長屋の屋根に立つ俺。
 見上げる人々。

「あ! 五右衛門3世だ!」
「義賊の五右衛門様だ!」

 一斉に上がる歓呼の声。
 期待に打ち震える庶民の上に、ぱらぱらと……。

「うーん。長屋の屋根から米を撒いても、絵にならんなあ」
 第一、拾い集めるのが大変だと思う。
「ひとつかみずつ、手拭いで包むか? お前らの内職で?」

 「はあぁぁぁぁぁ」
深いため息をおえんがついた。
「アホの五右衛門なんて、捕まっちまえばよかったのに」

「こら! なんてこと言うんだ!」

牢獄は嫌いである。自由を奪われるのは、耐えられない。

「考えようよ。五右衛門が捕まらないで、困っている人にお米がいきわたる方法を!」
 独歩が叫んだ。

 はっと目を見合わせ、俺とおえんは頷いた。



 椿寿院ちんじゅいんから、がやがやと女たちが出掛けていく。

 小間物屋に行くのだ。そして、簪や、きれいな端切れで作られた小袋などを買いあさる。
 たまに、みんなで集まって、江戸市中へ繰り出すことを、女たちは、ことのほか楽しみにしてた。

 ここにいるのは、皆、夫や婚家から、ひどい仕打ちを受けて、逃げ出してきた女たちだ。
 かつては。
 そのうち、後悔した夫やら、娘が心配になった親御やらが迎えに来て、山門の外に帰っていく。

 そうした家族らは、少しの間に、嫁や娘が、驚くほど強く、たくましくなっているのに、驚嘆するという。
 これは、椿寿院の魔法椿寿院マジックと呼ばれている。

 その一方で、家族が迎えに来なかった者や、夫などくそくらえという女は、自分の仕事を見つけて出ていった。椿寿院には、懇意にしている口入れ屋がある。それが、一人一人にふさわしい仕事を仲介してくれる。

 夫の元に戻った場合も、仕事を見つけて奉公に出た場合も、みんな、折を見ては、こうして、椿寿院に集まってくる。
 かつての朋輩どうし、肩を叩きあい、今の不満を吐き出し、ついでに、寺の運営を手伝う。
 椿寿院の卒業生(?)は、いわば、江戸中にちらばった檀家のようなものだ。

「ほら、おえん! 何をぐずぐずしてるんだい。おいてくよ!」
「待って、待ってよお!」

 寺の中から幼い女の子が駆けてきた。門のところで待っていた女のところまで行くと、すかさずその手を握る。
 一滴の血の繋がりもない二人だった。ただ、椿寿院という縁で繋がっているに過ぎない。
 それなのに、まるで母子のようだった。
 仲良く手をつないだまま、先を歩く女たちの後を追いかけていく。

 門の傍の立木の陰から、男が一人、ゆらりと姿を現した。
 色白の、くっきりとした目鼻立ちの男だ。人によっては、二枚目だという者もいるだろう。
 だが、整ったその顔に浮かんでいた表情は、暗く澱んでいた。

 男は、随分と長いこと、そこにいた。
 物陰に隠れたまま、庵主の如信尼にょしんにが檀家の家に出掛けて行ったのも見送っている。

 今また、いかにも力のありそうな女の一団が、目の前を通り過ぎていった。
 寺は、無人のはずだ。
 いや、……。

 男は笑みを浮かべた。凄惨で、残酷な匂いのする笑みだ。
 懐手のまま、山門の中へ入っていった。

 女たちから、買い物に誘われたが、妙は断った。

 この寺に来たのは、三日前のことだ。
 夫、宗十郎の暴力に耐えかねて、家を出た。

 椿寿院のことは、かねて、聞いたことがあった。悪縁を断ち切ってくれるという。
 小雪のちらつく中、駆け込んできた妙を、庵主の如信尼は、優しく迎え入れてくれた。
 ……。

 右の二の腕がじくじく痛む。腹には、大きな痣がある。
 着物に隠れて見えないところばかりを、夫は狙った。

 与えられた寺の離れで、妙は、小さく丸まって過ごした。動くのがおっくうだった。食事は、小間使いの女の子が運んでくれた。

 今日になって、女たちが何人も、寺に集まってきた。
 じっとしているのは良くないと、口々に言う。一緒に買い物に行こうと、しつこく誘う。

 どうやら、かつてこの寺に逃げ込んだ女たちらしかった。今では外界に帰って、力強く己の道を歩んでいる。
 いわば、強者だった。

 妙は、放っておいて欲しかった。
 彼女は、恐ろしかった。

 婚家は、江戸市中にある。大きなお店だ。
 宗十郎は、そこに、いる。
 買い物になど、いけるわけがなかった。
 考えるだけで、全身が震えだす。

 ……「わかった。まだその時じゃないんだね」

 女たちの一人が言って、みんなは、気の毒そうな、生温かい目になった。
 それがまた、妙のプライドを傷つけた。
 そんなものが残っていたとしたら、だが。

 どやどやと、みんなは、出掛けて行った。
 庵主の如信尼も、所用で朝から出ている。
 しんと静まった寺で、妙はひとり、布団にくるまり、震えていた。

 「妙」

 いつの間にか、うとうとしていたのだろうか。
 自分を呼ぶ声で、ぎょっとして目が覚めた。

 朝寝は許されない。昼寝もダメだ。夜は、夫より早く床に就くなど、とんでもない……。

「ごめんなさい」
反射的に謝った。

 ここが寺であることを思い出した。
 椿寿院……縁切寺だ。
 いくらでも眠っていいと、あの優しい尼僧は言った……。

「妙」

 そのきつい調子に、今度こそ、本当に、目が覚めた。
 目の前に、宗十郎がいた。

「こんな時間まで、床の中たあ、いいご身分だなあ」
「あんた……」

 いつのまに、ここに来たのか。
 いや、それより、どうして妙がここにいることがわかったのか。

 いくつもの疑問が妙の頭の中をぐるぐると回った。
 だが、今はそれどころではない。

 宗十郎は、穏やかだった。
 それは、すぐ近くまで迫っている危険の証だった。

「いいんだよ、妙。いつまで眠っていたって。俺をおいて出ていったって」
果たして宗十郎は、不気味に笑った。
「ただな。俺は寂しいんだよ。おめえに置いて行かれて、なあ」

 ゆっくりと、懐から、何かを取り出した。
 板戸の隙間から差し込む陽の光に、ぎらりと光る。

 小刀だった。
 妙の右の二の腕の傷が、熱を持ってじくりと痛んだ。少し前に、この小刀でつけられた傷だ。

「女房に出ていかれて、俺は、恥をかいた。この落とし前はつけてもらわねえとなあ」

 薄い刃にゆっくりと指を走らせ、長十郎は、にたりと笑った。




五右衛門3世登場、②
五右衛門3世登場、②
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