石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋③
「恐らく、首を切られてから、川に投げ込まれたのだろう」
もったいぶって、天寿庵が結論した。
「川の中で、首を切り裂かれたのではない」
それはまあ、そうだろうと、長治は思った。川の中で相手の首を切りつけるのは、難しい。
「では、致命傷は、首の傷ですね?」
「まあ、そうともいえる」
「水に落ちた時には絶命していた、と。お藤という女は、死んでから、川に捨てられたわけですね?」
「どうかな」
「どうかな、とは?」
「はっきりとは言えん」
「は?」
「おぬしが腑分けをさせてくれんからだ」
恨めし気に、天寿庵は、長治を睨む。
「腑分け?」
なぜここにその言葉が出てきたか、長治には判然としない。
それなのに、天寿庵は、やたら前のめりだ。
「だからな。胸を開けてみればわかるのじゃ。そこに水が入り込んでいるか。それとも、空気だけで膨れておるか。それを、確かめるのじゃ」
「腑分けはいけませぬ」
ダメだ、このジジイは、と、長治は思った。
山脇東洋が、死刑囚の解剖に立ち会うのは、今より、もう少し、時代が下ってからのことである。
「……」
天寿庵は恨めしげである。
この医者は、死人の体を切り刻むことに、変に執着してた。それは、純粋に学術的興味というより、趣味的な何かのような気が、長治はしてならない。
見立て……生きているのも死んでいるのも……は確かだが、長治がいまひとつ、天寿庵を信用していないのは、この辺りからだった。
「たとえ息があったにしろ、川に落ちた時は虫の息だったろう。それは、保証する」
こたびも、医師は自信を持って、結論を出した。
「いずれにしろ、小栗杢左エ門が妻、お藤は、殺害されたことに間違いない」
「ありがとうございます、天寿庵先生」
入水自殺ではなく、殺人事件だと太鼓判が下りたのだ。
これで、岡っ引きの仕事の方向が定まった。
長治が礼を言うと、天寿庵は、得意げに胸をそらした。
「生きてるのも死んでるのも、患者は、やっぱりこの、天寿庵に任せるがいい」
「ええ。お弟子の司寿先生より、やっぱり老先生の方が頼りになる」
一応、天寿庵を持ち上げておこうと、長治は思った。それで、以前、金倉屋に来た若い医師を引き合いに、お世辞を言った。
「司寿? 誰だそれは」
それなのに、天寿庵は首をかしげている。
「ほら。金倉屋で、疫病の死体を検分してくれた……神経痛の天寿庵先生の代わりに」
「儂は、弟子は取らん主義だぞ? 養えないからな」
「え?」
長寿の胸が、ざわついた。
それでは、金倉屋へ来た、あの若い医者は誰だったのか。
あの後、金倉屋の家人に、疫病患者は出なかった。死者の届もないから、発熱を訴えてきたあの女の子は、ただの風邪だったのだろう。
今では再び、店は再開されいる。金倉屋からは、特に不審な情報は入っていない。全ては元に戻ったようだ。
「おお!」
長治が考え込んでいると、不意に、ぽん、と、天寿庵が手を打った
「あれね。あれ。司寿といったか?」
「ええ」
「あれだ。きっと、儂の弟子じゃ」
「きっと、って……、お弟子は取られないと、今、おっしゃったばかりじゃないですか」
長治は呆れた。
「いや?」
ぎょろりと、天寿庵は、長治を見つめる。
「儂くらいの名医となるとな。弟子の希望者が大勢いてな。許可を与えんでも、弟子になってしまうのだよ。司寿たらいうものも、そういうやつの一人じゃ」
大丈夫か、この医者、ぼけたんじゃなかろうなと、長治はいささか、不安になった。
「それで、司寿先生の腕は……」
この上、弟子がヤブでは、救われない。
「大丈夫じゃ。なにしろ、儂に弟子入りを希望するくらい、見る目のあるやつだ。そやつの見立ては確かだよ」
涼しい顔で、天寿庵は保証した。
◇
長治は、さっそく、聞き込みに奔走した。
小栗夫婦の仲が悪かったことは、間違いないことがわかった。
だが、杢左エ門は、肝心なことを、口を拭っていた。
お藤には、男がいたのである。
「そりゃあ、いい男よぉ。色が白くて、目鼻立ちがくっきりしていて」
そう話してくれたのは、台所女だった。
「でも、あたしの趣味じゃないけど」
台所女の趣味などどうでもいいのだけれど、長治は頷いた。
小栗家の使用人たちは口が堅くて、やっと、しゃべってくれる人を見つけたからである。
この中年過ぎの女は、おしゃべりだった。放っておいたら、木の枝にも話しかけかねない。
「ご亭主が留守をすると、決まって、この男が呼ばれてね。もうね。真昼間から。目の毒ったら、ありゃしない。あ、耳の毒か」
使用人達は、全員、知っていると、台所女は言った。だから、自分の口から洩れたと、露見する気づかいはないらしい。
思わず、長治は前のめりになった。
「ご亭主は? 女房に男がいることを、亭主の杢左エ門も知っていたのか?」
「当然よ。だから、離縁の話が出たんじゃない」
聞けば、亭主も、小女に手を出しているという。
長治は呆れた。
「夫婦で、浮気してたわけかい?」
「そう。お武家って、いやらしいわね。あれね。普段、体を使って仕事してないから、精力が有り余ってるのね」
何か、含むところがありそうだった。
「小栗夫婦の離婚は、子宝に恵まれなかったことが理由だって言ってたぜ」
長治は言ってみた。
ふん、と、料理女は鼻を鳴らした。
「体裁でしょ? 女房を寝取られたなんて、体裁が悪いもの。それも、町人風情にさ」
「町人なのか、相手の男は」
「そうよ。なよっとした、ちょっとこう、女形みたいな雰囲気の」
「役者か?」
「さあ」
台所女は首を傾げた。
「違うと思うわよ。いかにもお金のなさそうな、やさぐれた男だったもの」
妻の不義密通は、犯罪である。
夫に隠れて間男を引きずり込んでいたお藤は、杢左エ門に斬り殺されても、文句は言えない。
もちろん、相手の男も。
ただこの場合、杢左エ門には、体裁を理由に、妻を離縁するだけの度量があったわけだ。
「愛情がなかっただけじゃない?」
けろりとして、台所女が言った。
◇
「そうですか。それはお気の毒に……」
川から女の土左衛門が上がったと話すと、庵主は気の毒そうな顔をした。
美しい女性だと、長治は思った。
色白で、目がぱっちりとしている。鼻筋がすうっと通り、少ししゃくれた顎も愛らしい。
こんな美女が、髪を下ろすとは。
とかく世の無常を思わずにいられない。
「では、わたくしも、本日の勤行に、その方の供養をいれておきましょう」
美しいだけではなく、心優しい尼僧だった。
こんな女性にかしずかれる仏が、つくづく、長治は、うらやましかった。
思わず本尊を仰ぎ見、長治は、慌てて目をそらした。
はっきりとは見えなかったが、なにやら、見てはいけないものを見た気がしたのである。
「そっ、それで……。その女には、喉に傷がありまして」
さりげなく本尊から目をそらせ、長治は言った。
「喉に、傷……」
尼僧……如信尼……は驚愕したようだった。
普段、穏やかな生活をしている彼女を脅かしてしまったことを、長治は、心中密かに恥じた。
「殺しです」
「むごいことですね」
尼僧は静かに手を合わせた。長治は頷いた。
「ぜひとも、下手人を捕え、罰さなくてはなりません」
「それが、あなた様のお仕事ですものね」
それは、自分に向けられた励ましのように、長治には聞こえた。
「その土座衛門……」
「お藤さん」
すかさず、如信尼が、聞いたばかりの被害者の名を口にする。
長治は頷いた。
「お藤の、帯留めの辺りに、草が数本、絡まっていましてね」
「……草が?」
「はい。手下の言うことには、それは、萱だと」
「萱ですか」
如信尼は怪訝そうな顔をした。
この話の行く先がわからないのだ。
「恐らく、喉を切られて、一度、河原に倒れ、それを、下手人が、川に蹴落としたものでしょう」
「……むごい」
俯く美貌の尼僧に、長治は、再び、斬鬼の念を覚えた。
「御庵主様にこのような残酷な話をして、申し訳なく思います」
「それが、あなたのお仕事ですもの」
再び、如信尼が繰り返した。
優しい声に、長治はくらりときた。
「それで、その草ですが……」
「お藤さんの帯留めに絡まっていた草ですね。萱、とおっしゃいましたか」
美人の上に、頭がいい。
話の要点を、的確にまとめてくる。この尼僧に、天は確実に二物を与えている。
……惚れてしまいそうだ。
上から、ご本尊に睨まれた気がした。
慌てて、職務に戻る。
「はい。萱は、根本の断面がきれいでしてね。この草は、引き千切れたものではない。刃物で刈られたものです」
「あら」
「実は、川の上流で、草刈りをやってましてね」
そろり。
長治は本題に入る。
「入会地の川原で」
「そうでしたわね」
聡い如信尼のことだ。
こちらの言いたいことは、大方理解したろうと、長治は考えた。
しかし彼女は、首を傾げている。黒い大きな瞳が、流れるように美しい。
頭上から、ご本尊の視線が、もはや、長治を刺し殺さんばかりに降ってくる……。
「こちらのお寺から、2人、参加されてますね」
「正確には、椿寿院からは一人ですわ。もう御一方は、隣人です」
隣人、という言い方が、わずかに冷たかった。
「いずれにしろ、2人とも、しっかりした素性の人です」
「なるほど」
「ええ、本当に。悪いことのできる人たちじゃ、ありませんの」
もはや、如信尼にも、長治の意図が伝わったようだ。
被害者の帯に絡みついた萱は、切り口がきれいだった。
千切れたり毟られたりしたものではない。
刃物で刈り取られたものだ。
そして、同じ川の上流で、萱刈りが行われていた……。
犯行現場は、間違いなく、草刈りが行われたばかりの川原であろう。
萱刈りは、二日に亘って行われていた。作業に従事した者たちを、岡っ引きの手下らが、手分けして、洗っていた。
そのうちの二名、椿寿院の縁故の者達が、長治の担当だった。
「では、その二人の身元は、御庵主様が保証されると」
しつこいくらいの長治の念押しに、美貌の庵主は頷いた。
「もちろんですとも。川端独歩は、私が引き取って養育しています。いわば、我が子も同じ」
川端独歩の噂は、長治も知ってた。
ある静かな夕暮れ、お江戸のお堀端を、一人で歩いていた。
見かけた町人の男が声を掛けたのだが、どうも話に、要領を得ない。それどころか、満足に話すこともできないほどだった。
少年の服装は、古ぼけていて、体に合っていなかった。だが、よくよく見ると、質のいい生地であることがわかった。
その後、本人のとぎれとぎれの話から、どうやら、暗い地下牢のようなところで、外から隔離されて育てられたのだと判明した。
一人の男が、食事等の世話していた。だが彼は、その男の顔さえ見たことがないという。
この少年は、暗い地下牢に、たった一人で閉じ込められ、まるで動物のように育てられてきたのだ。
どこからかこの話を漏れ聞いた篤志家が、彼を引き取りたいと言ってきた。気の毒な少年に、きちんとした教育を施そうというのである。
だがやがて疫病が流行し、篤志家のご仁も、それどころではなくなってしまった。
そうした中、疫病で行き倒れた仏を引き取って供養してた椿寿院の庵主が、ついでに彼を引き取り、養育することになったのだ。