石川五右衛門3世―但し直系ではない/贔屓の筋④
「これ、独歩。独歩や。親分さんがお呼びです」
如信尼に呼ばれ、川端独歩が現れた。
ちなみに「川端」というのは、彼を保護した町人がつけた姓だ。名前も同じ人物がつけた。
川のそばを独りで歩いていたから。
単純明快だ。
「……」
本堂に現れた独歩は、素直に、如信尼の前に坐した。
憧れの籠った眼差しで、如信尼を見つめ、同じ目のまま、本尊を拝んだ。
つられて自分も本尊を見上げようとし、長治は慌てて目をそらした。
頭上には、やはりどうにも禍々しい風が吹いているような気がしてならない。
川端独歩の人柄については、長治も、疑問はなかった。
幼少期をたった一人で監禁されて過ごし、思春期になって初めて人と接するようになった彼は、人に騙されることはあっても、人を騙すようなことはできない。
ましてや、人一人、殺すだけの強い情念を持つなど、思いもよらなかろう。
外見は少年だが、心は未だ子どものままの独歩は、犯人像に、全く、当てはまらない。
「ああ、君はもう、引っ込んでいいよ」
そういうと、来た時と同じく、全く素直に、独歩は本堂から出ていった。
足音が聞こえなくなると、長治は気を引き締めた。
「草刈りに参加された、もう御一方のことですが……」
「ああ」
用心深く長治が切り出すと、途端に、如信尼の顔が暗くなった。
「あの方は……なんと申しますか」
ためらっている。
「隣人とお聞きしましたが」
「ええ。寺の隣の廃屋に住んでいらっしゃるんです」
「廃屋?」
「あ、ボロ家? あばら家?」
「なるほど」
「ビンボーなんです。たぶん」
「たぶん、とおっしゃいますのは?」
少し、不穏な気がした。きっぱり貧乏だと言い切れない如信尼に、ある種のためらいを感じる。
問い詰められ、如信尼はため息をついた。
「ご覧になればわかりますわ。今にも倒壊しそうなひどい小屋なんですの。にもかかわらず、隣人は、ひどく呑気なんです。働くのが嫌いなんですね」
長治はうなった。
貧から、人が悪事に走るのはよくあることだ。その上、労働が嫌いなど、もってのほかである。
「でも、悪い人じゃありません」
決然として、如信尼は断言した。
「だって、独歩もおえんも懐いておりますもの。二人の目を、私は信じたいと思います」
おえんというのは、もう一人、如信尼が引き取って育てている女の子だ。
なんでも、赤子の時に、捨てられたという。
独歩と違い、こちらは正真正銘の幼児だった。
あなたはどうなんですか、と、長治は問いたかった。
如信尼様は、その男を信じているのですか?
だが、さすがにためらわれた。
「その人と、会うことはできますか?」
……このヤマの下手人は、女にモテる、優男だ。
長治は、お藤の情人を疑っていた。
未婚の娘や、若いご新造が刃物で殺されていたら、十中八九、痴情のもつれである。
長年の経験から、長治はそれを知っていた。
小栗家の台所女は、お藤の情人は、「いい男」だと言っていた。
それで長治は、ひそかに手下どもに、草刈り人の中から、男前を探し出すよう、命じていた。
もし、寺の隣人が男前なら、事件は解決したも同じだと、長治は思った。
「会うのは簡単ですわ。なにしろ、働かない人なので。今、おえんを呼びにやりますね」
茶を運んできた女の子を、如信尼は呼び止めた。
隣人を呼んでくるよう、言いつけている。
素直に、女の子は、呼びに行った。
「時に、ご庵主」
ちらり。
ご本尊を見上げかけ、長治は、全力で視線をそらせた。
やはりどうしても、不穏な気を感じる。見てはいけないモノが、上から睨んでいる気配がしてならない。
「当院のご本尊ですが……」
「あら」
途端に、尼僧の顔に、生気が漲った。
気のせいか、2つ3つ、若返ったようでさえある。
長治に向かい、生き生きと、語り始めた。
「当院のご本尊は、それはそれは美男におわす……」
「失礼いたしやす」
流れるような麗しい声を遮り、無粋な男が入ってきた。
「あっしをお呼びだそうで」
……こいつじゃねえな。
ちらりと見て、長治は即断した。
……だって、全然全く、男前じゃない。
むさくるしい男から目をそらせ、長治は、如信尼に向き直った。
輝くような美貌を、真っ直ぐに見つめる。
「私もあなたを信じますよ、如信尼様。隣人の身元は、あなたが保証してくれましたものね」
優雅に、如信尼は微笑んだ。
憮然としている男を追い出し、長治は、さっき女の子が持ってきた茶を飲んだ。
出がらしの、ひどい味がした。
あまりのまずさに、頭がすっきりした。服毒に対する生存本能が、活性化されたとみえる。
今なら、この寺のご本尊と対面できそうな気がする。
思い切って上を見上げた。
長治の口が、ぽかんと開いた。
「御庵主」
上を見上げたまま、長治は尋ねた。
「当院のご本尊は、なぜに、お顔に紙を張り付けておられるのですか?」
「愛之助様ですの」
溌溂とした声が、嬉しそうにのたまう。
「は?」
「当分の間、当院のご本尊は、愛之助様が、お務めになります」
「……」
愛之助。
聞いたことがある名だが……。
それが、数日前、版木が盗まれたと、蔓屋が訴えてきた役者だと、長治は思い出せなかった。
「ですから、ご本尊様は今、愛之助様の姿絵を、お顔に乗せておいでなのですわ」
「……いいんですか、それ」
さすがに呆れて、長治は尋ねた。
「ご本尊が、あのような……」
……うらなりで。
は、かろうじて、口の中でとどめた。
言わなくて正解だった。
「いいんです。男前だから」
迷いのない返事が返ってきた。
「はあ」
「男前なら、全ては許されるのです」
うっとりとご本尊の顔を見上げ、如信尼は、胸の前で手を組んだ。
◇
「ううう、あの男……。ううう」
本堂から出ると、俺はうなった。
「岡っ引きの分際で、如信尼様と二人きりになりやがって……。それに、なんだって? 如信尼様の言うことなら、なんでも信じる? なんだその言い草は! そのセリフ、百年早いわ!」
「いいじゃないの。おかげで、疑いが晴れたんだから」
先に立ってすたすたと住居部分へ歩いて行きながら、おえんが言う。
「疑いも何も、俺は全く無関係だ! お藤なんて女、顔も見たことねえ!」
「そりゃ、御武家さんの細君だもん。あんたごときに、顔なんか見せるものか」
「ああ? 身分差別反対!」
「僕なんて、最初から、全然疑われてなかったけどね!」
途中で追いついた独歩がにやにや笑う。
「やっぱり人格だね!」
「でも、よかったじゃないの。司寿? とかいう医者に化けたことがバレなくて」
前を歩いていたおえんが、つぶやいた。
「お前」
俺はむっとした。
「俺を誰だと思ってるんだ? 天下の五右衛門3世だぜ?」
「だから?」
「変装の達人に決まってるじゃないか!」
「五右衛門。前々から思ってたんだけど……」
少しためらい、結局、独歩は続けた。
「変装できるんなら、もう少し、普段の顔をなんとかした方がいいよ。その方が、絶対、運勢が上向く……」
「うるさいうるさいうるさい! 普段の生活で、なぜ、顔を作らにゃならんのだ! 俺は、地で勝負してるんだぜ! 如信尼様だって、絶対、素の俺に惚れるはずだ!」
おえんと独歩が立ち止まった。
急なことだったので、俺は危うく、2人にぶつかるところだった。
「あり得ないことを言うのは、むなしくない?」
大真面目で独歩が尋ねる。
「そうよそうよ。如信尼様は、変態じゃないのよ!」
「……あのなあ」
「くだらない与太話はもう、終わり!」
住居の入り口に立ち、おえんが叫んだ。
「さあさあ、あんたたちには、仕事があるでしょ!」
「仕事?」
俺と独歩は顔を見合わせた。
今日はもう、晩飯喰って寝るばかりのはずだ。
「愛之助様の姿絵の印刷よ!」
腰に手を当て、お延は仁王立ちしている。
一歩だって、自分と如信尼の住居には通すまじという迫力だ。
「愛之助の姿絵の印刷? いやだって、ついせんだっても、さんざん刷ったばかりじゃないか……」
呆れて俺は文句を言った。
紙や墨、バレンの調達だって、大変だったのだ。
「刷り過ぎて、もう、飾るところがなくなっちまったんだろ? ご本尊様の顔の上にまで貼り付けたくせに」
「あれは余ったからじゃない! 毎日見上げて、拝む為に、あそこに貼ったの!」
金切り声でおえんが喚く。再び、俺と独歩は顔を見合わせた。
「如信尼様がね!」
「なら、仕方ねえな」
俺は納得した。
だが、おえんはまだまだ、不満そうだ。
「あのね。あたしはそもそも、色刷りが欲しかったの!」
「それは無理。愛之助、人気ないから、色刷りの役者絵出してるところなんかな、」
言いかけて、独歩は固まった。
おえんが、凄まじい眼力で睨みつけているからだ。
「だったら、今ある版木で、一枚でも多く、役者絵を刷るのよ」
「そんなに刷ってどうするのさ」
呆れて俺は尋ねた。
「いいから、あたしの言うことを聞きなさぁい! とっとと、あんたのあばら屋へ戻って、印刷する! 回れ右! 進めっ!」
やっぱり今日も、如信尼様の住居へは、入れなかった……。
◇
椿寿院の縁故の二人を含め、川原の入会地の萱を刈った草刈り人たちに、男前は一人もいなかった。
ただし、たった一人、二日連続で作業に従事した男だけが、所在がわからなかった。
草刈りはかなりの重労働で、それなのに、賃金が安かった。この男は、よほど、金に困っていたものと見える。
だが、お武家の妻女の情人が、住所不定、無職で、かつ、金欠であるわけがない。
そもそも、色男が、川原の草刈りなどに従事するわけがない。カオさえよければ、他にいくらでも稼ぐ道はあるはずだ。
岡っ引きの長治親分は、そう、結論付けた。
捜査は再び、振り出しに戻った。