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石川五右衛門3世―但し直系ではない/五右衛門3世、登場②


五右衛門3世、登場①
五右衛門3世、登場①

 
 金倉屋の朝は早い。
 住み込みの番頭が雨戸を開けたのは、まだ、夜の明け切らぬ寅の刻(午前4時)だった。

 裏木戸の門錠を外そうと、番頭は、裏庭へ出た。ややおぼつかない足取りで歩いていた番頭は、何か柔らかいものに躓いた。老齢の彼は、本人が気づかぬうちに、視野が狭くなっていたのだ。

 みごとに足を救われた番頭は、ものの見事につんのめった。彼は、自分が躓いたむしろの上に突っ伏した。

「誰がこんなところに、むしろを……」

 悪態を吐こうとした彼は、こもで編んだむしろの一部が割れているの気づいた。そこから誰かが、じっと自分を見つめている。

 むしろの間から覗く、一対の目。
 どんよりと、全く生気の感じられない……。

「ひぃ!」

 日頃の腰痛も忘れて飛び起きた。その拍子に、むしろがずれ、隙間が大きくなった。
 むしろからは、青黒く変色した男の顔が、覗いていた。

「ひぎゃぁーーーーっ!」

 還暦間近の番頭は、生まれてから一度も出したことのない雄叫びをあげた。
 転んだ拍子に脱げた草履をそのままに、裸足で、今出て来たばかりの縁側目掛けて駆け戻る。
 勢いづいた彼は、沓脱に思い切り脛をぶつけた。しかし、痛いと思う余裕もなく、屋敷の中へ駆け込んでいった。

 金倉屋の裏庭にあったのは、菰に包まれた男の死骸だった。
 恐ろしさのあまり、家人は、むしろを開くことさえできない。かろうじて、死んでいることと、それが男であることがわかったぎりだ。

 すぐに、岡っ引きの瀬戸長治が呼ばれた。

「菰に包まれた死体たぁ、気の毒なこった」

 長治は、ぷかりと白い煙を吐く。
 匂いが、凄いのだ。起き抜けの番頭の鼻は利かなかったようだが、むしろは、かなり匂った。
 くるんだ死体の死臭だ。
 煙草でも吸わなければやってられない。

「当家には、何の心当たりもありません」

真っ青になって、金倉屋の当主、権兵衛が弁解する。

「うん。わかってる」
「さすがは長治親分。金倉屋の商いは、それはそれはきれいなものでして……」
「それはどうか知らんがな。だが、少なくとも、この男を殺したのはこのの人間じゃねえな」
「えっ! 当家が無関係だと、信じて頂けるので!?」

 当主権兵衛は、殆ど、長治親分に抱き着かんばかりだ。

「ああ」
あやうく権兵衛の抱擁を逃れ、長治は頷いた。
「庭へ入る前にな。通りからこうっと見て回ったら、土塀が崩れておってな。案の定、死体が投げ込まれた裏庭の土塀だった」

「へえ」

 間の抜けた声を、権兵衛が出した。
 朝からずっと、見も知らぬ男の殺害を責められたらどうしようと、生きた心地もしなかったのだ。

 それが、岡っ引きの親分、瀬戸長治は、死体は、外から来たものだという。
 権兵衛がほっとしたのも、無理からぬことだった。

「死体が他所から来たことは、間違いねえ。だが、あんたんとこの商売がきれいかってことまでは、わかんねえな」

 憎まれ口を叩きながら、長治は、菰に覆われた死体に近づいていった。
 しゃがみこみ、むしろを開けようとした時。

「触ってはいけない!」

 鋭い声が、振ってきた。
 やや痩せ型の、若い男が、足早に近づいてくる。

「金倉屋さんに、死体が投げ込まれたと聞いて、急いでやってきました」

 長治に向かい、男は言った。
 立ち上がり、長治は、男に向き直った。

「あんたは?」
「医者の天寿庵てんじゅあんの方から来ました」

「天寿庵先生なら、持病の神経痛で、当面、往診できないとおっしゃっていましたが?」
金倉屋権兵衛が不審そうな顔をする。

「ですから、私は、天寿庵師匠の弟子です。一番弟子の司寿しじゅと申します」
わざわざ、一番弟子、と付け足す。

「ほう。で、司寿先生。死体に触っちゃいけないたあ、どういうわけですかい?」

 長治が尋ねた。

 傷の有無や人相、はては、死後硬直の有無など、岡っ引きとして、調べておきたいことは、山ほどあった。

 司寿は、顔を顰めた。
「実は、隣町で、疫病が流行りはじめましてね」

「疫病!」
権兵衛が、素っ頓狂な声をあげた。

 無理もない。
 江戸は、比較的衛生状態が良かった。それでも、人口が密集している都市の宿命、一旦、病が流行れば、それは、瞬く間に、人々の間に伝播する。

「疫病? そんな話、俺は聞いてないがな」

首を傾げた長治に、司寿が応じる。

「人心に不安を与えてはいけぬということで、役所から緘口令が出ております。しかし、隣町で流行ったということは、いずれ、当町内に伝播することは必至」

「ああ、どうしうよう」
すでに家主の権兵衛はおろおろしている。

「それで、隣町の疫病と、この死体に触っちゃいけねえことと、何の関係が?」
長治が尋ねる。

「そこですよ」
我が意を得たりとばかり、司寿医師が口を出す。
「隣町では、死者の数が、一気に増加しましてな。死体の処理が追い付かない。けれど、狭い家で、長いこと死体と暮らすわけにゆかない。そこで……」

「隣町に運んできて、うちの庭に放り込んだ!」
 悲鳴のように、権兵衛が叫んだ。

 司寿が、重々しく頷く。
「その可能性があります」

「なるほどなあ。疫病で死んだ死体か……。だが、まずはこの目で確かめてみねえと」
 再び長治が屈みこもうとする。

「危ない!」
司寿が叫ぶ。
「疫病は、触れるとうつります」

「だが、このままにはしておけねえだろう? 検視は、岡っ引きの大事な仕事だからよ」
「親分さん、わかっていますか? 命に関わるんですよ?」
「なに、なんとかは、風邪ひかねえっちゅうからな」
「疫病は風邪とは違います」
「おんなじだよ、俺にとってはよ。それに、こいつは、疫病で死んだんではねえかもしれねえし」
「だったら、医者の私が検視をしましょう」
「いや」

近づいてくる司寿を、きっぱりと長治は制した。

「町内に疫病が流行るんだったら、あんたの仕事はこれからだ。あんたには、元気でいてもらわなくちゃ。それによ。もしこれが殺しだったら、俺の領分だからよ」

 屈みこんだ長治が、むしろにくるまれた死体に触れようとしたその時だった。
 家の中から、ふらふらと女の子が出てきた。

「旦那さん……」

「お花じゃないか」
権兵衛が名を呼んだ。

「子どもが来ちゃだめだ」
振り返って、長治が諭した。
「権兵衛さん、その子は?」

「いえね。2~3日前に、うちの前に捨てられていたみなしごですよ。かわいそうだから、飯を与えてやっているんです」

「掃除と洗濯と水汲みの仕事もね。無給でね」
「しっ! 一宿一飯の恩を忘れるな!」

「何をごちゃごちゃ言っているのだ?」
「なんでもありません。どうしたんだ、お花」

作り声の優しい声で、権兵衛が尋ねる。

「お熱……」

見ると、女の子の頬には、真っ赤な熱の花が浮かんでる。

「疫病だ! その死体から、恐ろしい疫病が、放たれたのだ! 疫病は、すでに家の中に入り込んでいる!」

大声で司寿が叫んだ。

「親分さん、死体からお離れなさい! 触ってもいないのに、庭から家内へと伝播とは! この疫病の伝染力は、並外れています!」

 さすがに長治も、慌てて死体から離れた。





五右衛門3世、登場③
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