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2.アスリートから理学療法士に

前回は、私の想いを伝えさせていただきました。
前回の記事を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

今回は私の生い立ちも混じえながら、
「どうして理学療法士になったのか」をお話ししていきます。
そもそも「理学療法士って何?」と「?」がつく人もいらっしゃると思うので簡単に説明しますね。

主に病院やクリニック、施設などで、病気や怪我によって身体が不自由になった人に運動を提供するお仕事です。
ご本人やご家族の希望を聞きつつ、日常生活や社会復帰のお手伝いをします。
「リハビリ」って聞くとわかる人もいるかも知れませんね。

私は元から医療や福祉に興味があったかというと、そうではなくて。
どちらかというと幼いころから自分本位で勝ち気な面が強く、
幼少期の私を知ってる家族からは
「わがまま」とか「自分勝手」って、(今でも)言われるくらい
「人のために」何かするようなタイプではありませんでした。
そんな私が幼稚園から大学まで17年ほど夢中になって打ち込んできたものがあります。
なんだと思います??

それは「サッカー」です!
中学までは男子チームの中で
高校は地元の富山を離れて静岡の強豪校へ行くくらい
ガチでやってました。

何事にも、決めたらのめり込むタイプなので
「上手くなりたい」一心で夢中にやってました。

その甲斐あって
高校では女子サッカー全国優勝
サッカー推薦で国立大に進学
大学ではリーグのベストイレブン、選抜に入ることができました。

一見、順風満帆にみえますが
怪我がとても多く、長期間ピッチから離脱することもありました。

15才でトラック事故に遭い、右くるぶしがえぐれ、3か月ボールを蹴れず
17才でハットトリック直後に膝を脱臼、その後手術をして9ヶ月間練習にすら参加できず
19才で腰の激痛、腰椎に疲労骨折が2か所みつかり、1ヶ月の安静


思うように走れない、ボールを蹴れない
試合どころか練習にすら参加できなくて、苦しくて悔しい思いもたくさんしてきました。

「その中で理学療法士さんにお世話になったことがあり、それで理学療法士を志すことに。。。」
っていうストーリーではなくて笑

恥ずかしながら、大学3年くらいまでは「サッカーでやっていこう!」って本気で思ってたから、先の就職とかあまり考えてませんでした笑
セカンドキャリアを積まずに、完全に将来を楽観視した脳筋タイプです笑

「サッカーしかしてこなかったから、私にはサッカーしかない」
って、ある意味囚われていた部分もありましたが、自分が納得するまで突き進んでました。

そんな将来のこと考えつつも、見て見ぬふりをしていた大学3年の3月。
2011年3月11日東日本大震災がありました。

皆さんもご存じの通りの大災害。
前触れもなく突然、日常が奪われてしまう人たちを、たくさん見聞きしました。友人にも被災されたご家族が多くいました。
あの時はただただ怖さや衝撃を感じていましたし、自分のことで頭がいっぱいになっている自分を恥かしくも思っていました。

テレビの報道を観ながら、「同じ日本で起こっていること」とわかっていながら、
「こんな状況下でサッカーしかしてこなかった私が、一体何ができるんだろう」って、自分の無力さもただただ感じてました。

この頃から「人の助けになる仕事」をしたいと思うようになりました。
自分の身近な人からでも、何か直接助けができる人に。

これまでサッカーを通して怪我が多かった十数年を振り返って
身体・運動にかかわる仕事をしたいと思うようになり、
「サッカー選手」から「理学療法士」へベクトルを変えました。

目標が決まれば、猪突猛進タイプなので笑
親の反対を押し切り、「自分で何とかする!」と啖呵を切って
大学卒業後、自力で専門学校へ通い直し、四六時中働きながら猛勉強をする4年間を送りました笑
何とかなるだろう!精神で飛び込みましたが、
想像以上に波乱万丈で刺激的な毎日でした笑

そんな理学療法士を目指すさなかに
私にとって、苦く貴重な経験をすることになります。

次回はそんな話を書いていこうと思います。

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