ズル
おはようございます!久々にどかっと座って物をかけて嬉しく思います。でもこれから20分後くらいかな、妹を駅に送ってくる任務があり、多分車で往復している間に父が起きてくると思いますので、そこまでが各ゴールデンタイムなのかと思います。なんかこう、誰にも見られていなくて、居場所に気を使わなくてよくって、あと朝日の色の、黄色と緑が混じったような半透明、7割透明くらいの光がどこからともなく、どこからともなくというところが重要なんですが、この辺が揃っていると書くゴールデンタイムの完成です。いや忘れてました、やっぱり書くことをしないとそんな素晴らしい時間も目には見えないから、気づくことができません、今こうして、たとえばこんなふうになんでもいいから書くことによって、さわやかな時間を作り出せている、いや作っているというのはおこがましいですかね、別の流れを発見して、こっちの方が面白そうだと舵を切って散策を始めているような感じでしょうか。うーむ400文字ちょっと。悪くないですね。あんまり詰まるくらいならパッと目についた、目についてないことでも書く、どうせ脈絡はある。こじつけとも言えるが、俺が見ているものにそもそもストーリー性なんてないんだから、共通して僕のためにみんなが存在しているわけではない。ただ一緒に生活しながら、みて、そのまんまは僕には難しいけど、なんかデフォルメみたいなことをしたくなっちゃうから、でもそのまま書く。ある意味で角をとって、可愛く滑らかになったものたちは、僕にとってそのまま見ているものなのである。練習だ、僕は漫画が、白黒の絵が小学校1年性くらいの頃から好きだから、キャラクターみたいになんでも描こうとするのだが、その練習。いろんなものをキャラクターにしちゃう練習。書くことは、元々生きるための記録と、僕の心を見つける練習。一番弱い一人を、見つけて守るつもりで書いている、でも今は、そして今はか、別の流れとも合流している、そしてまた別れて、別の確かな流れとして、それぞれをやっていくんだと思う。その確かさというのが、キャラクターをどうするのか、文章をどうするのか、ということは今よくわからないが、でもやっていることは同じである、というか違うけど僕がやっているから同じようなもんである、ということがその強さを産んでいるのはまた確かだ。7:46。何分くらい経ったんだろう、30分くらいから書いてたんだっけ、今日に限って朝イチの時間を記録していなくて、どうなっちまってんだと思うが、面白いのでよし。多分7:50に向けてあと20分と言っていた記憶があるので、ざっと今19分経過したところだろうか。今ちょうど1100字くらい、結構早い方かもしれない、今日はどかっと座れていることもあってかえあだに負担がかからないので、悩む時間をなるべくなくして早めに書く、次に進める、ことを意識して書いて見ている。これはこれで、まだ慣れていないので書いている時は大丈夫か今日、ほんとそのまんま、何をひねるわけでもなく書いているだけだぞと不安になりそうなこともあるのだが、まあ書いている途中はもちろん次を書かねばならんのでそんなこと気にしている余裕はなくて、今ちょっとないっちゃけん、って書きたくなったので一応書いておく、ほんで後から読んだらそういう日の文章は結構読みやすいのである。あんまり慣れていないくせになんでわかるのかわからないが、なんとなく見本があるからだと思う。まさに坂口恭平がそう書いているし、彼はケルアックや椎名誠の文体に影響を受けているらしいから、僕もそっちの方までそのうち足を伸ばさないと、伸ばさずにはいられないと思うのだが、そういう見本の流れというものがまたあるので、ちょっとズルをしているのである。今の僕は、真似をしてスタートダッシュの補助をしてもらっている、ちょうど補助輪を外したての自転車で、グアーっと勢いよく押してもらうみたいに、そりゃ進んでいる感じがするよなという、それを認識したのはたった今のことで、あぶねえと思った。僕は書くことについて、なんとなくこんだけ書いていれば僕の文章だと言えそうな気がしていたが、まだまだ全然そんなことはないんだと気づいた。量が足らん。量があればなんでも気づける、あと目に見えるのがいいよねって思います。今日ってですますか、なんとかだってやつか、どっちで始めたんだっけ。いつもおはようございます!だから一応毎日ですますなのかな、みるほど気になってないんだけど、もうすぐ2000字なので書いてます。ちなみにだであるはなんかダサいので使いませんでした。なんかですますとちがくない?そもそもという気がして、別にこれが一番気にならないので掘り下げませんが、だである、という言葉は避けてみています。なんとかしてみているって言葉はいいですよね、何をしても文章にできるんだって希望になります。と、ここで一度伸びをしたところで2000字ちょっと。悪くない窮屈感覚じゃないでしょうか、窮屈には、息苦しさとかそっちは感じなかったですけど、流石に体の方は、息苦しさを感じるのも体なんですけど、腰とか肩とか首は、ちょっと固まっちゃったみたいですね。後僕は元々深呼吸とかあくびが好きなので、ほんと、全部吹っ飛ばしてくれるし、ふぁーっと数秒世界が淡い感じの色に変わるし、まあすぐ戻ってくるんですけど、その意向もスムーズで嫌な感じはしないし、ほんと深呼吸とあくびすごいですよ、と言いつつずっとあくびのことだけをイメージして書いてますが。猫の大きなあくびの外面と、僕のあくびの内側、いいとこ取りですね、可愛いとこどりみたいなイメージを今書いていました。ちょっと休憩しようかな、暑いから、パソコンも充電しながらやってるんで熱がこもってる感じがあるし、俺はなんでかわからんけど、一応慣れないことしてるから「熱がこもっている感じがするので、一度休ませて、冷ましてあげることにします。8:10。はい8:42。30分くらい休憩をいただきました。残り1500ちょっと、惰性で描いていきましょう。惰性のいいところを探していく、ただ何をしたいでもなく、楽しいわけでもなく何かが待っているわけでもなく、ほっつき歩いていたら足跡すら風に飛ばられたんだか、元々僕にはそんな重さはなかったのかわからないが何もないような気がして、ああ不安だなあとそれでも歩くことだけは、歩いていなくても、たまに休憩している時も足をぶらぶらさせたり、一応メモ帳だけは持ってきたから、その辺の葉っぱや蝶々を描くわけでもなく、勝手に書いて、柄とか皺とかも消えちゃったり増えちゃったりしていたけど、元々何個あるのかなんてわからない、見えていないのだからいいかと思ったりしてまた歩き出す。歩く彼は、自分が何を残して何をしているのかわからないかもしれないけど、これを書くぼくにとっては、書くものが残る。そして歩く彼もまたぼくだから、ちょっと過酷な役をやらせてしまっているような気もするけど、しっかり労ってあげて、体に気を遣ってご飯や睡眠や、深呼吸や書くことや、とにかく守ってあげれば、彼はまた歩いてくれる。それを彼が苦に思っているとか、あるいは楽しくて仕方がないとか、それもわからないとか、そこまでは書くぼくにわかることではないけれど、どうやら今は持ちつ持たれつ、うまくやれているようだ。そのうち彼はどこかへ行ってしまうのだろうか、ぼくなのに。そんな可能性もある、あっていいはずなのだ。彼がどこに行こうと、ぼくは彼を書くことができる、というかもともとそばにいたわけではないいんじゃないかとも思う。顔を見せるまでもなく、劇的に再会することもありえず、ただぼくが会いたいと、丁寧に彼を探せば、そして書くことを続けていれば、ぼくは彼に会うことができてしまう。それは孤独であるが、心強いものである。そもそも孤独が悪いことではなく、放っておいてもらえるが自分でなんでもやらなくてはいけないという、当たり前の条件設定のことなのかも。でもぼくは怖がっている、まだずっと怖いから、とにかく近いところ、書くことからやってみて、彼に歩いてもらっている。ずるいのだ、今のぼくは、それでも書くことしかできない、というか、ここを止めてはいけないのだきっと、何を探すにしても、探さずに何かから逃げるんだとしても、これをやめては湧いてくるもの、いや少し違う、どこからきたかはわからないが、今流れているものの全てが止まってしまいそうな気がする。ぼくはまたそれを恐れて書いているのだろうか、それは違う気もするのだが、でも苦しくはないけど、ぼくが知っている感覚の中では迫られている、という観念に最も近いような原動力を使って、今ぼくはこれを書いている。書いているし、生きていると書こうとしたんだけど、それは押し広げてしまっている気がしてやめた。広がるのを待ちたい。ぼくが広げるのではない、ぼくが手を使ってできることは、書いて、探して、それと一緒に飯を作り、絵を描き、洗濯物や食器も洗って、たまには芝刈りもすることくらいだ。そうやって、それしかできないけれど、それでは満足できない欲求が生まれる、までじっとしている。スケールとかなんとか気にしていたら、今の僕は身動きが取れないか、あるいはパキッとした国の、パキッとした思い出みたいな写真をみんなに見せるしか無くなってしまう。それはしたくないから、じっと書いている。やれることは他にもありそうだが、書いている、これでいいのかという問いも、面倒臭い何もかも、この時間は置き去りにして、ただ次の1文字に、あまり1文字を意識して書いたことはないが、格好いいのと語呂がいいからそう書いたが、進める進める、貯める貯める、続ける続けると念じながらやっている。それでいいと思う。
2023年7月31日