妄想こじらせジャリボーイ
おざます。今日はなんやかんやで4時起きが厳しそうだったので休憩ということにしました。前日はいつもより1時間弱くらい遅く寝たのですが、やっぱり4時くらいに一度目が覚めて、なおかつ微妙な明るさで「4時だな」って判別できたのは目に見えた変化でした。ただ懸念点があるとすれば、別に時間を確認して実際に4時だったとかではないということです。こうやって都合よく解釈することで体調を良くしていこうと思います。
てなわけで今日は出先の電車からちょい遅めの時間に書いているわけですが、意外とやりづらくはないです。ただやっぱり電車の混んでいる時間帯なので、満員電車の中では気が引けるのでやめてます。隙を見てなんか書くって方法もたまにはいいかもしれません。ただやっぱり、ベースは4時過ぎからパソパソで書くのが良さそうです。なんと言うか、やりづらくはないと言ったんですが気持ちそわそわします。いつも余裕で書き終えて仮眠も終えている時間ですからね。時間に追われている感覚というのはどうしても覚えてしまいます。そもそも僕時間で見てないとめちゃくちゃ乗り過ごすんで、不可避ですね。てなわけでなんやかんやノルマの真ん中500文字あたりまできたところで、乗り換えます。
↓以下乗り換え後↓
なんやかんやで1番スムーズに目的地につける特急がホームに上がって2分できたのでいい感じです。今のところ全てがうまく運んでいます。なぜならまだ起きて顔を洗って飯を食って電車に乗ることしかしていないからです。立派ですね。僕が立派というか、僕を形成しているパーツが立派です。洗面台が飯があって電車が時刻通りにくることで、僕の気分がアガるわけですから。僕はその中で流れに逆らわずフラフラやってるだけです。この考え方、なにかに流用できそうですがしたくないです。普段から思っていることなのですが、これって日常生活にも応用できるよねってチンケな占い並みに何にでも言えると思っちゃうんですよ。もはやそこから教訓を得ようとするのではなくて、論理の飛躍を楽しむものとして捉えた方がいいんじゃないかと今思いました。たとえばさっき隣に座っていた方がうどんを食べていたのですが、そこそこ人いる時間帯のコロナ禍ですから、割とのっぴきならない理由がありそうです。あるいは、そんなもんは全然気にならない、食べたいもんは食べちゃうよの解脱タイプも考えられます。前者の場合、「この前電車でうどん食ってる人いてさ、やっぱり譲れないものって大切にしたいよね」とか言えちゃいます。ここまでいくと分かりやすいですが、どう見ても飛躍の幅を楽しむものです。これは程度によって捉え方が変わるとかではなくて、学びを得るとか多角的な視点がどうとかわけわかんねえ、いやわけはわかるんですけど濫用されている世論に圧されてただ笑っとけばいいボケから普遍の真理を見つけ出すことが高尚みたいな、こっちはほんとにわけわかんないことが正当化されているように感じます。勉強はほんと勉強の範疇で収めてほしいです。真理からボケはありますがボケから真理はないと思ってます。だって作ってる人が笑わせようという目的しか持っていないはずだからです。これをやってしまうとただの妄想こじらせジャリボーイです。ジャリボーイは適当ですが、語感がいいのでぜひ使ってみてください。サトシお疲れ。というわけで今日も思わぬところに話が逸れていきましたが、ちょうどサトシも労いたいところでしたし、ちょうどよかったです。それでは全国のダイパキッズの皆さん、良い1日を。
4月11日 青空が白けてるのか雲がかかってるのか分かりづらいときあるよね