量書く復帰戦
久しぶりにパソコンで書いてみます。手書きの方が楽ですが、僕は本を出したいのでとりあえずたくさん書きたい、どっちかというとまだ「書かないといけない」に近い感じですが、そういうわけなんですとにかく。あと、そもそもやってることが違うんじゃないかとも思うんです手書きでサラサラ楽〜に少量(とも決めずに)とパソコンでグワァーーっとにかく量!!!4000字!!!10枚!!量だけ村上春樹!!1冊目の煽り文決定!!みたいなもんとでは。他にも量書き続けとかないと、「わたし」を見つめる目というか、力というか、そういう世話っぽい精神が鈍っていきそうな気がしたからです。というかそうなっていくのを感じたからです。うーん。どうしても読みやすくしようとしちゃうな、これだと4000字なんてとてもじゃないけど書けません。そんな感じだった気がします。いちいち区切ってここの言葉遣いは、、とかやってて到底書ける量じゃないですからね確か。村上春樹だって日々の鍛錬やら、物書きを始める以前、20代までの膨大な読書量のお陰で基礎技術が高すぎるだけで、毎朝4000字(確か長編小説を書いているとき)で進めてる時は推敲なんて言葉、初めから見たことがなかったみたいな顔でやってるに決まってます。そしてそんな中でこなくそっと書いてやったものがその後の筋肉になっていくというか、語彙力というだけではない、本人が言うところの湧水的なテクストが立ち上がっていくんじゃないかと思います。立ち上がるという言葉はイマイチだったかもしれない、三次元的な動きというか生成変化に使うものだから多分。つまり、まずまっさらな紙に、意味なんか求めずに文字を書き出してみる。書き出してみるなんて上品なものではなく、なるべくハングリーに、もちろん下品に!と意識するんではまた恣意的な空気に触れてしまいますから、真空を求めるんだけども結果的には、結果的には求めるってわけわかんないかもな、でもこれもまた意味で書いているわけではない、意味がその基盤にある言語から出た場所で、ただ文字を1文字ずつ置いてみているだけである。んで話を戻すと、イメージをそのまんま形としてなんとか写してみる。それができれば他のどこにもないニッチな感覚が目に見える形で少なくともそこには含まれるようになるわけだから、問答無用で面白いはずなのです。しかし問答のないところに面白いことは起きないのもまた事実で、この段階そのものをある程度運用できるようになるまでに「練習」が必要になると。だから本来、本来?誰でも文章やら小説は書けます。みたいなことをそこかしこの物書きが言ってたって信用ならん!そんなわけないだろうと新たなへそ曲がりを多少なりとも産んでしまう。あるいはこれでまた「勘違い」する人が出ないと良いけど、みたいなどっから何言ってんのかわからん、多分自分でもわかってないからとりあえずかっこ悪くなりづらい感じだけ心がけていこうという輩たちが産まれていく。それもこれも、量を書く鍛錬というものの意義がわかりづらいからだ!というのは乱暴だとは思うが、僕は今そう言いたい。というか言っている。前も書いたことがあるのだが、頭の中と、口に出したことと、いうつもりのないことと、建前と、全部フラットに表に出てきてしまうのが面白い。こういう面白さを思いっきり楽しもうとしたらやっぱり全部ごちゃ混ぜに、あれ、この括り必要か?誰のためにやってんだ、なんなら俺のためだろうと今は不要である、ただ見たものを書きたいだけだ、別に書かなくても良いんだけど今のところ文字か文章を書くことでしかそれを、うちにある「都市」を、「世界」を「ルール」を、今このたまたまか知らないが僕の視点と認識している網膜?水晶体?レンズを通して存在しているってことにできませんから。てかそんなややこしいこと言わなくても、他の人に見えるように、なるべく見えやすいように(極力ということではなく)するって言えばよかったのかな。とにかく今日はそんなことがかけたら満足です。満足してたらまずいのかもしれないけど。まだ1700字くらいしか書けてないし。でも今日はもう復帰しきれない前提で書き始めたんです、そんな気がする2割、そういうことにしたい1割も含む断言。でも全部本当です。「本音か建前かの違いで、どちらも嘘ではない」というセリフがゴールデンカムイのなかで出てきたのですが、それを見他時いろいろストンっと落ちる予感がしたんです。これから。今までのことを落としてしまうとパワープレーの色味が強すぎる気がしているので、意識的か無意識か、そこは保留したみたいですね、忘れましたが。あと山下澄人さんの『おれに聞くの?』という本が大好きなのですが、そこに「おれの中では全部本当なんだから」みたいなテクストを含む文章がありました。これが出てきたのはさっきのセリフを見た二週間後くらいだった気がしますが、なんか色々助かりました。生きるのに役立ちました。この一冊と出会ってから云々かんぬん!その時ある一言が!みたいなのは本当に嘘だと思っているんですが、他から吸収したテクストを咀嚼して、自力で探したり運よく見つけたり、人からもらったりしたそれを活かして、自分だけのテクストを立ち上げた時は、そこに心強さというか、簡単には死なないぞ、こいつも俺も、という信頼に似た感覚を見ることができます。それはとても嬉しいことです。簡単には綻びませんから、原料も、作った過程も、三次元ですから拭いては飛びません。こういうことには「立ち上げる」という表現を使って良いことにしました。スッキリしてよかったです。さて、まだ書きたいことがないではないですが、9時から見逃しちゃいけない水ダウが始まりそうなのでこの辺にしておきます。2400字弱、約6枚。わるかーないですね!
2023年7月19日