読みたい本をえらぶ
最後の最後に読みたかったのは、恋人たちはせーので光る。別れを告げない。おれに聞くの?をまた買わなかった。だんだんこの関係性が面白なってきていけない。ふざけて買わな続けることになりそうで
別れを告げない、というかハン・ガンの本がなかなか見つからなくて、持っていかれたかと思った。数多の、なんだかわからないが女性を想像した、猛者なのか、あるいはノーベル文学賞というのはそれだけ話題性に富んでいて、だからこんなに売れてしまうんだと僕を驚かせるような人に。ハン・ガンの本たちがあったと思わしきスペースがあった。別れを告げないが3冊ほど入りそうだった、在庫検索機で調べてそのくらいだったから、そう思った。
すわんなら座れェタコ。お前がぼんやりしているせいで僕が座れませんでした、ってことではなく、もとよりじーちゃんひとりが座ってあなたがそこに座れば埋まる数しか空いていなかったんだけど、目の前に空いているけど座らなくてもいいようにも見えたというか僕が座りたいためにそう思いたかった、だから君を恨んだ。なーしてんねんとせめて怒らせてはくれまいか。なんとかなんジャマイカ。と言わせてくれまいか。この感じだと、こじつけないと言えないか。
カフカの日記を買うことにした。格好つけて全集でしか読みたくはなかったが、誰かの、新刊でカフカの日記読めるの嬉しすぎるってツイートと、そうかもなと思った僕が開いて上がったテンションに浮かされて、それに、人生相談本も買わなかったし、今日買ってもよかったけど、とりあえず今度買うことになった。今日買っとかないと、早いほうが、みたいなことを思ったのは2回目だった。ギリシア語の時間も買おうかと思った、ミーハー×ミーハーの答えは俺が探してくるから、とリズミカルにツイートでもしてやろうと思ったが、一冊ずつ、醤油を毎度小さいサイズで買っていちいち使い切るように、ちょっとずつ買って、最後に背表紙の並びを確認する。これなら読める。これなら嬉しい、それもいいが、それとこれとは両立する。だったらお金が減らないといいし、読み切れそうではなくてもいいが、まず、これから読み出せそうなほうがよかった。これを買うことによって、案外これを読む気にはならなかったけど、他の、持ってたのを読めました、不思議だね、じゃ今回はダメだったので、これで勝負した。最果タヒの詩集はずっとなにかしら欲しくて、そういえば、なぜか短歌を歌っている人だと僕は彼女を思っていて、詩も書くんやと毎回目で思っているが、あたりまえに詩しか書いていない。彼女の、と言ったら僕は次に必ず詩集という。彼女の本は、漫画のことを語ったエッセイを綴じていようと詩集と呼ぶはずなのに、そう思う。
恋人たちはせーので光るを開いて、その前にことばの恐竜だったかな、あこがれの8人との対談集と銘打たれたそれを読んで、大変興味深かったし読めそうだったし、読めそうで読めない作家はまず対談を読んでボイスを得るべし、それで読めるようになる、という自前の豆知識、これもツイッターで拾った断片を使ってはいるが、肝心なところは、山下澄人の人生相談本を読んで、一部の彼の小説を革命的に読めるようになった、のが初めて読んだものでもそうだとわかったときのことでできている。それもよかったが。恋人たちはせーので光るが気になったタイトルだし背表紙だし、開いたページの詩が、僕の書いている、今書いているようなものに近いような、というか、この書き方俺できる、と思って勉強しようと思って、迷ったがこれを買うことにした。急に眠い。妥当だが