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ファンの在り方についてのエトセトラ - 2
どこから書いたら一番、差し障りがないんだろうをものすごく考えましたが、多分、このネタはどんな風に描いても物議を醸す話だと思うので、読んだ方がそれぞれがいろんなことを考えて、これから何を自分がしていくのかを選択するきっかけになったらいいなと思います。
ポストでも、スペースでもよく言っていますが、あくまでこれは私が考えることでいろんな意見や考え方が世の中には存在してていいと思うし、その多様性が社会を面白くしていくのだと思っているので、同じになる必要もお互いに同じになることを強要する必要もなく。
ただそこに違っているという存在があると思えたら人生は少し生きやすくなるのかもしれません。
「古参」も「新規」も本当は敵でもなんでもなくて、ただ、順番が違っただけの沼落ちした人なのですが、どうしてもトラブルが発生してしまうのはなぜなんだろうと思ったんですけど。
多分、どっちもお互いへのリスペクトが欠けていたり、必要以上に意識してしまうからなのではないでしょうか?
まずは「古参」に目を向けてみます。
いま「古参」と言われる人たちはバレーボールが人気がなかった頃からバレーボールが好きで現場に足を運んできた人たちだと思うので、そういう方々は急激な環境変化で、チケットが思ったように取れない苛立ちがあったり、当たり前のようにできていた出待ちだったり練習見学がなかなかできなくなった苛立ちもあるかもしれません。
またきっとずっとずっとそうやって見てきた方はバレーボールそのものが大好きだったりすると思うので、新しくくる人たちにも特定の選手のみを追いかけるのではなく、バレーボールを好きになって欲しいと感じているのかもしれません。
私はフィギュアからバレーボール観戦に流れてきた人だったので、最初に選手との距離感に私も驚きました。もちろん、現地観戦に行っても、選手にとても近い位置の席が多数あったり、大学でも、Vリーグでも普通に出待ちしてサインしてもらったり、差し入れを直接に渡すことができたり、そんな中で選手とちょっとした言葉を交わすことができたりする世界がそこにありました。
まあ、普通に驚くよね。テレビや映像を通して見てたすごい人たちが目の前にいて、普通に接してくれることにただただ驚きました。
そういう世界から人気が出過ぎてしまって、今までとは距離感が遠くなっていく状況を見て、寂しさを感じることがあったとしてもとてもそれは人間らしくて、その感情を持つことはあるだろうなと想像ができます。私ももしかしたら、少し寂しいと思っているかもしれません。
2016年 - 2017年シーズンには私は柳田さんを見たくて、普通にサントリーの箕面トレーニングセンターに出張帰りに行って、練習見学をして(あの日は普通にビジネススーツのまま見学に行って、浮いていたことを今でも思い出します。しかも帰りのタクシーがなかなか捕まらなくて伊丹までタクシーの運転手さんに頑張ってもらったことも懐かしい思い出です)、普通に出待ちをして、そこで差し入れを渡したり、サインを書いていただいたりしていました。その時にサインをもらったiPhoneは今も私の手元にあります。
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今の状況でそんなことをしたらサントの練習場はカオスになっちゃいますよね。(想像するだけで、ちょっと怖い)
そんな風に時間と共にバレーボールファンを取り巻く環境はちょっとづつ、そしてオリンピックや大きな大会を経るごとに変わってきました。
私もそうですが、入り口はただの「顔ファン」だったかもしれません。たったワンプレーを見て祐希さんに何かを感じただけで、バレーボールについては学校で得られる知識以上のものは何一つなかったですし、2015年に祐希さんを見つけてから沼に落ちるまでに半年以上の時間がかかったのは、今よりももっと情報が探しにくく、どの大会がどの時期にあるのか、どうやってチケットを手に入れるのかを知るのがとても大変だったからです。
今でもJVAも、SV機構も、チームも、選手も、もうちょっとできたらなと思うことはありますけれど、ホームページも、SNSやメディアの使い方も今よりももっと雑な(上手くできていないなと感じることも多かったです)感じでした。
私もアップデートしようと努力していますが、「古参」の中にはそういった過去とは違っている環境に馴染むのに時間がかかったり、受け入れられない部分があるのかもしれません。
<続>